第7章 さよなら~前編~ -4-

 優月は顔に水をかけられ、意識を取り戻した。そして、自分が捕らわれの身であることを思い出す。


 殴られ、蹴られ、首を絞められ。気を失い、意識を取り戻し、拷問され、また気を失う。その繰り返しだった。名も知らない男たちの謂れのない行為によって、優月は絶望感に支配されていた。縛られ、目隠しをされた状態の優月が、聴覚や触覚を頼りに得られた情報は、少なくとも三人の男がこの場にいるということ。


「優月くん、いい加減に白状しなさい。そうすれば、君は開放される。これ以上、痛い思いはしたくないだろう?」


「ですから……何度も言っている通り、あれは僕の意志で自由に動くものではないんです……」


 風を切る音の後、腹に衝撃が走った。


「その答えは聞き飽きたよ」


 くの字になって嘔吐する優月を、男は冷徹な表情で見降ろしている。優月に語りかけるのはこの男一人で、残り二人が優月に暴力を振るっている。骨が折れない程度の痛めつけ方だが、決して容赦はしない。階段から転げ落ちたのかと思うくらいくらいに全身が痛み、腹を狙われれば息が詰まり、吐き気に苦しむ。


 そうまでして、この男が優月から聞き出したいことは――。


「あのおもちゃは、君が持つのはもったいない代物だ。なにせ、神の力を手にしたも同然なのだから」


 ――依代箱よりしろばこだ。

 文化祭の日、校舎裏で人知れず行われていた不良集団との争いのさなか、優月は依代箱でガチャをし、二柱の神を出現させた。その様子を、この男に見られていたのだ。


「どうやったらカプセルを出せるのか。それを言うだけじゃないか。そうすれば、この苦しみから逃れられるんだよ」


 男が優月に問うたのは、ガチャを出す方法。依代箱ごと優月を攫ったはいいものの、大の男たちがいくらガチャを回そうとしてもびくともしなかった。優月に無理やりガチャをさせようともしたが、結果は同じ。それなら、何かガチャをするためのトリガーがあるはず。そう考えた男たちは、武力行使に出たのだ。


 だが、当の優月にも解決のしようがない話なのだ。優月が窮地に陥った際に光りだし、そのタイミングでガチャをしてきただけなのだ。窮地というなら今がまさにそうなのに、優月がいくら助けを願ってもガチャはできなかった。男たちから、優月が嘘をついていると判断されるのも仕方のない状況だった。


 男たちからの暴力。反応しない依代箱。優月は逃げ道のない恐怖を味わっていた。


 そんな優月の心情などお構いなしに、男たちの暴力は繰り返される。彼らからすれば、自分でガチャができない以上、優月を殺すわけにはいかない。優月の手を使ってガチャをしようとしてもうまくいかない。それなら、生かしたまま暴行を続け、口を割らなければ永遠に苦しみが続くという恐怖を与え続ければいい。優月にも理解できる単純な論理ゆえ、いつまでも続く暴力に耐える以外の選択肢がない状況に絶望するのは当然だった。


「もう……殺して……」


 目隠しを濡らして懇願するほどに、優月は追い詰められていた。


「殺さないよ。君が正直に言うまで、とことん痛い思いをしてもらう」


 首を絞められ、頭がかっと熱くなる。遠くなる意識の中、宇良の忠告を受け流していたことに激しく後悔した。脳内で宇良に謝ったところで、優月の意識は途切れた。



* * *


 宇良は隼人と合流し、低めに飛ぶカっちゃんを追うように街を走っていた。ごみごみした駅前から遠ざかり、少しずつ自然が多くなる。西に傾いた太陽に向かうようにこのまま走れば、街を縦に流れる川にぶつかる。


「おいカラス! 今度こそこっちで合ってるんだろうな!?」


「カア! 確かなことは言えないと念を押しただろうガア!」


 導きの神の力が発揮されるのは、対象者がカっちゃんと一緒にいる場合。優月とどれだけ離れていても、優月を見つけ出す力ではない。もうすでに三ヵ所回って、全てハズレだった。優月が攫われたと思われる、優月のバイト先近くで聞き込みをしてみたが、情報は得られなかった。だから、非効率だと分かっていても、手当たり次第に探す他なかった。


 人があまり来なくて、隠れられるような場所を虱潰しに探す。しかし、番長としての勘と神の勘をもってしても、いまだ優月は見つけられずにいる。そして、またハズレ。


「ちくしょう……」


 宇良が悔しそうに壁を殴りつける。怒りに任せた一撃で、壁にヒビが入った。こんなことになるなら、優月が嫌がろうが付き添っていればよかった。宇良は後悔の念に襲われていた。


「宇良、悩むのは後だ! 今はじっとしてる場合じゃねえ!」


 隼人が額の汗を拭って叱咤する。カっちゃんや宇良に比べれば、隼人と優月の付き合いは短い。優月のことが心配なのは同じだが、カっちゃんや宇良の不安は自分の比ではないだろう。だからこそ、自分だけは潰れるようなことがあってはならない。何があっても、自分だけは動ける状態にいなければならない。宇良の尻を叩いて奮起させてやらなければならない。


「……悪い」


 隼人の想いは宇良にも伝わり、頭を振って焦りを払った。深呼吸をして頭をクリアにする。思い当たる場所は、かなり探した。後は宇良が知らないような場所だろう。となると、考えて分かるものではない。せめて、誰が連れ去ったのかが分かれば、絞り込めるのだが……。


「キャン! キャン!」


「キー!」


 そこへ、ふたつの鳴き声が近づいてきた。見てみれば、ポチとキー坊が全速力で走って来ていた。


「カア! お前たちどうしたんダア!」


「キャン、キャンキャン」


「キキッ。キー」


 ペットたちによるやりとりが何度か交わされた。黙ってそれを聞いていた宇良と隼人に、話を終えたカっちゃんが向き直って、通訳した。


「カア。優月が心配で駆け付けたようダア。真神まかみの嗅覚があれバア、優月を探せると言っているんダア」


「キャン!」


 タイミングよくポチが鳴いたことで、真神=ポチと理解した宇良は、しゃがんでポチの頬をなでる。


「俺たちじゃ優月を見つけられなかった。頼むぞ」


「キャン!」


 任せろ、と言わんばかりに大きく吼えると、ポチは北西方向に走り出した。残りの一行もポチを追う。陽が落ち、急激に冷え込んだ。


「優月……頼む、無事でいてくれ」


 宇良のつぶやきは、白い吐息の中に消えていった。

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