第8章 さよなら~後編~ -6-

「優月殿、感傷に浸っている時間はありませんぞ」


「そうだよ。遠くへ流しておいたけど、すぐに戻ってくるはずだから」


 海幸彦、山幸彦が神妙な顔つきで指摘した。山幸彦が、念には念をとイザナミが流された方へ洪水を三度起こして、追い打ちをかけておいた。


「最後の私の料理、全部召し上がっていただけて嬉しかったですわ。優月さん、達者でね」


「来年のお母さんの料理は出してあげらんないけど、アタシが送った着物は残るし、それで勘弁してよ」


 トヨちゃん、ゲロちゃんが微笑んだ。どこまでも美しい笑顔だった。それなのに、ものすごく悲しい笑顔だった。


「最後って……? ねえ、どういうことなの。みんな一緒に帰るんだよね?」


 優月の問いかけに、誰も答えてくれなかった。それぞれが困ったような顔で、微笑むだけだった。


「ねえ、カっちゃん!」


 カっちゃんも、困ったように唸った。しかし、意を決したように話し始めた。


「カア。吾輩たちハア、お前とは行けないんダア。一度現世から出てしまえバア、依代箱がないと現世には行けないんダア……。依代箱ハア、お前を現世に送るのが精一杯ダア。お前を送り届ける役目を終えれバア、きっと消滅するはずダア」


「え……そんな、嘘、でしょ。嘘って言ってよ……」


「本当です。残念ですが、私たちが現世を離れ、ここに来た時点で、もう現世との繋がりは消えてしまっているんです」


「それを覚悟して来たんだよ、アタシたち」


 トヨちゃんも、ゲロちゃんも、否定してはくれなかった。


「クゥン」


 ポチの耳は垂れ、寂しそうに喉を鳴らしている。


「ギィ」


 キー坊は、自身より小さくなってしまった優月を抱きしめた。そして、優月の目から流れていた涙を、太い指の先で拭った。木に引っかかっていた風船を取って、泣いている少女を助けてあげたあの日と同じ、どこまでも紳士的な猿だった。


「そんな……嫌だよ。僕、みんながいないと、何も、できない、よ」


 話は理解できるのに、感情が、ついてこなかった。溢れた感情が、とめどなく流れ出してしまう。


「優月殿。ワタシたちは、本来は現世に姿を現すべき存在ではないのだ。それに、優月殿はワタシたちがいなくても大丈夫。ワタシたちと出会ったあの日、ワタシや山幸彦の手を借りなくても、優月殿は自分で問題を解決したではないか」


 海幸彦がそう諭した。隼人と友達になった日。呼び出した神の助けを借りずに、隼人との間に起きた問題を友好的に解決した。今では、隼人も大切な友の一人だ。


「料理の腕には少々不安を覚えますけど、神も人間も適材適所ですから。優月さんはそのままでいてくださいね」


 そう言って、トヨちゃんが優しく抱きしめてくれる。


「じゃあボクもハグしとこうかな」


「あんたはいいのっ! ……ゆづっち。アタシとの思い出、ちゃんと覚えておいてよ?」


 両腕を広げて優月に覆いかぶさろうとした山幸彦を押しのけ、ゲロちゃんが激しく抱きしめてくる。その明るい口調とは裏腹に、彼女の目もまた涙に濡れていた。


 そして、優月の肩に止まったカっちゃんが、その翼を広げて優月を包む。


「カア。お前に呼び出されてカラ、大変な毎日だったナア。羽をむしられたダロ、乱暴者に殴られたダロ、人間の祭りでこき使われたダロ。神を神とも思っていない奴らばかりダア。……だガア、久々の現世での生活ハア、悪くなかったゾ」


「カっちゃん……」


「カア。吾輩がいないからと言っテ、神棚の掃除をサボるんじゃないゾ」


「うん……」


「カア。御神酒ハア、月に二回は換えるんだゾ」


「うん……!」


 カっちゃんが翼の抱擁を解いた。


「カア……。達者に暮らすんだゾ」


「うんっ……!」


 優月の頬を、ポチが舐めた。優月の頭を、キー坊が撫でた。


「カア。お別れダア」


「カっちゃん……みんな……。ありがとう。さよなら……!」


 優月を愛し、救いの手を差し伸べてくれた神々に手を振り、優月は光の中に飛び込んだ。優月の肩に引っ掛かったカっちゃんの黒い羽が、優月を導くようにふわりと揺れた。


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