第3章 鬼退治をする羽目になりました -2-

 助けることができた安心感と、その後に待っているであろう恐怖感が入り混じった、絡まった電源コードやケーブルくらい複雑な感情のなかで揺れる優月をポチが引っ張って、眼鏡の少年の前に躍り出る。


「ウー、ワン! ワン!」


 なんと、ポチは宇良ではなく、眼鏡の少年に向かって吠えたのだ。


「わっ! な、なんだよこの犬!?」


 歯をむき出しにして唸るポチの剣幕に押されて、後ずさる。せっかく逃げるチャンスなのに、逃げ道を塞いでしまった。


「ご、ごめん!」


 優月が慌ててポチを引っ張るが、びくともしない。助けたいのか助けたくないのか意味不明な優月たちの行動に、少年は混乱している。無理もない、優月だって混乱しているのだから。宇良は殺気だった気配を纏ってこちらに向かって歩いてきている。


「あわわわわ……」


 眼鏡の少年と優月が仲良くへたり込んでしまったその時、ボストンバッグから希望の光が放たれる。優月は待ってましたとばかりに急いで依代箱よりしろばこを出し、ガチャを回す。出てきた神袋施流かぷせるは、例のごとく形を変えていく。光は三つに分かれ、ある形をとって、優月の両手のひらにぽとりと落ちる。そこにあったのは――。


「……桃?」


 そう、春に咲く艶やかな花の色を現したカラーが存在し、その実は甘くて美味しい、胸がキュルルンと片想いしてしまいそうな植物。鮮やかな桃の実が手のひらに三つ乗っていた。


「カア……。それハア、オオカムヅミ、ダア」


 カっちゃんが目を回しながら解説役を買って出てくれる。


「カア……。伊邪那岐命いざなぎのみことガア、伊邪那美命いざなみのみことの軍勢に追われテ、黄泉の国から黄泉比良坂よもつひらさかのふもとまでお逃げになった際、桃の実を三つ投げタラ、追手が逃げて行ったんダア。その後、伊邪那岐命は桃の実に意富加牟豆美おおかむづみという名を与えたんダア。れっきとした神だゾ」


 地面に伏してぐったりしていたはずなのに、神の説明をしながら徐々に元気になって、今はカラス胸を張っている。神についての知見という自信が体力回復に繋がっているのだろうか。


 それにしても、猿、鳥(ただしカラス)、犬(ただし狼)、それに加えて桃って、登場するキャラクターが完全に桃太郎じゃん。


 ――いや、そんなことより。カっちゃんの話からすると、この桃は投擲とうてき武器として使えばよいということになる。優月は左腕で桃を二つ抱え、右手に一つ握った。ほとんどやったこともない野球の投球フォームを真似て、桃を宇良に投げつけた。


 宇良は手で防御の姿勢を取り、腕に当たって桃はポトリと落ちた。優月は続けて残り二つの桃を投げ、一つは防御されて弾かれたが、もう一つは宇良の腹に当たった。


「ぐっ……」


 くぐもった呻き声とともに、宇良は膝をついた。


「え、やった!?」


 柔らかい桃の実が当たったところで、大きなダメージにはならないはずだが、宇良は桃の運動エネルギー以上の苦痛を受けている。


「ぐっ……ぐおおおおお!」


 咆哮をあげた宇良の背中から、赤黒い靄が噴出した。身の丈四メートルほどの大きさに広がったそれは、胸を掻きむしるような仕草をしながら、人型に凝縮していく。宇良から完全に抜け出たその姿は、ぐるぐると渦巻いた髪の毛も瞳も燃えるように真っ赤で、人睨みするだけで人の魂を奪っていきそうな形相の、まさしく赤鬼といえる存在だった。


「ひいっ……」


「うわあああ!」


 腰が抜けた優月の横を、眼鏡の少年が全速力で駆け抜けた。ポチが唸っても構わず、一目散に逃げて行ってしまったのだ。ゆっくりと立ち上がった宇良は、庇うように赤鬼の前に出て、優月たちを睨む。


「……満足かよ」


「え……」


「弱い者を助けた勇者を気取れて、満足かって聞いてんだよ」


 怒りと悲しみ、激しさと静けさが入り混じった、どこか諦めたような表情と抑揚。だらりと腕を下げた彼からは、もはや敵意は消えていた。ポチが尻尾を振りながらトコトコと歩いていき、宇良の脚にすり寄る。宇良がしゃがんで、ポチを撫でてやると、満足そうに眼を細めた。カっちゃんと顔を見合わせて、その様子を眺める。


「えっと……。どういうことなんだろう」


「カア。あの男は見た目ほど悪い奴じゃないナア。大口真神おおぐちまかみハア、善人を守護し悪人を罰するんダア。悪人ナラ、あんなに懐くのはおかしいからナア」


「うーん? そういえば、ポチは逃げちゃった眼鏡の人に対して唸ってたなあ。いったいどうなってるの?」


「見えているものだけが真実ではないということだ」


「ふぉっ!?」


 突然暗くなって、突然知らない声が会話に入ってきたと思ったら、真後ろに赤鬼がいた。四メートルの体躯で近寄られたら、その陰で優月の全身が隠れてしまう。カっちゃんなんて、口をあんぐり開けて赤鬼を見上げている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る