第8章 さよなら~後編~ -4-

「ガアアアア!」


 大口真神おおぐちまかみ猿田彦さるたひこ。本来の強さを取り戻した二柱の神が、迫りくる鬼の軍勢を退ける。圧倒的な兵力差をものともせず、鬼女を蹴散らした。


「何をやっているんだい! とっとと捕まえるんだよ!」


 軍勢の奥から、聞く者を恐怖させるおどろおどろしい叫びが聞こえた。あの腐乱した女性だ。その姿を見たカっちゃんが戦慄する。


「カア……! 伊邪那美命いざなみのみことダア……!」


 イザナミノミコト。神話に疎い優月でも知っている女神。夫のイザナギノミコトと共に、日本という国を生み出し、多くの神々を生んだ創造神。とんでもない相手が、軍勢を率いていた。


「カア! 吾輩たちが時間を稼いでいる間に逃げるんダア!」


 カっちゃんが狼狽して叫ぶ。だが、イザナミも黙ってはいない。雷がもの凄いスピードで迫っている。


「カア! 雷神までいるのカア!」


 キー坊が桃の実を的確に投げて、雷神たちを退ける。だが、キー坊だけでは八つの雷全てを相手することはできない。雷神たちが優月を焼き焦さんと迫る。


 唐突に、地響きが鳴った。


「カア!? なんだこの揺れハア!」


 敵の軍勢も心当たりがないようで、イザナミをはじめ全員が困惑した表情を浮かべている。地響きは次第に大きくなり、誰も立っていられなくなった。


 そして、ドスンドスンとこちらに向かってくる何かの姿を、その場にいた全員が確認した。


「か、堪忍してくれー!」


「ならんわ! 貴様を捕らえ、その身を全て握り潰すまで許さん!」


 泣き顔で逃げる建御名方たけみなかたと、それを追う建御雷たけみかづちだった。文化祭の乱闘を良くも悪くも止めた二柱が、こちらに迫っていた。


 そして、その巨体で縦横無尽に走り回り、その場を踏み荒らした。彼らには、戦闘中のこちらの状況など目に入っていない様子だった。


「今度こそ州羽海すわのうみから出ないからあ! 約束するからあ!」


「一度約束を違えておきながら、今さら信用なるか! 貴様を粉々にするまで止まらんわあ!」


「カア! あいつらまだ追いかけっこしてたのカア!」


 軍神と、その軍神に勝った武神との死の鬼ごっこ。彼らは鬼女や雷神を容赦なく踏み潰し、彼らが去った頃には軍勢の大半がぺしゃんこになっていた。


「な……なんなのだ奴らは」


 その惨状に、イザナミですら呆気に取られていた。

 残った敵軍も、ポチとキー坊が退治したことで、相手はイザナミだけになった。


「カア! 形勢逆転ダア!」


「ふん。手下を負かしたくらいで、いい気になるんじゃない。このわたくし自ら相手をしてくれよう」


「カア! 優月はまだ死んでいないんダア! 無理やり黄泉の国に引き寄せるのはやめるんダア!」


「うるさいカラスだねえ。死は望まぬ時にこそやってくるものだよ。その坊やは、それが今だっただけの話だ。坊やだって、痛い思いをする現世になど戻りたくはないだろう?」


「ぼ……僕は……」


 謂れのない理由で暴行され痛めつけられた。さんざん怖い目にも遭った。どうしようもない孤独に、涙を流した。


 それでも。


 両親と、翔太と、宇良と、隼人と。カっちゃんと、ポチと、キー坊と。優しいバイト先の面々と。慌ただしくて、驚くことも多かったけれど。あの日常は、間違いなく優月にとって宝物の日々だった。


「僕は、みんなといたい。あの世界に戻りたい!」


 心から、戻りたいと願った。


「ふふふ。あはははは」


 イザナミが高らかに笑った。


「カア! 何がおかしいんダア!」


「残念ながら、それは叶わぬ願いだ。なぜなら、その坊やは既に黄泉戸喫よもつへぐいをしてしまったのだから」


「カア!? 小僧、それは本当カア!?」


 カっちゃんに尋ねられるが、優月にはそれが何なのか分からない。


「よもつへぐい? って何?」


「カア! ここで何か食ったかと聞いているんダア!」


「え、あ、うん。食べた……」


 カっちゃんの口がポカンと空いた。


「カア……。なんてことダア……」


「ふふふ。これで分かっただろう。坊やは、もう帰れないんだよ」


 意味が分からずに困惑する優月に、イザナミはその醜悪な顔で微笑みかけた。


「黄泉の国のかまどで煮炊きしたモノを食ったということは、黄泉の国の住民になったということ。つまり、坊やは既にわたくしたちの仲間というわけさ」


 同じ釜の飯を食った仲間。黄泉の国の住民になることを受け入れる契り。黄泉戸喫よもつへぐいの意味を理解した優月は、膝から頽れた。


「僕は……もう帰れない……」

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