第12話 夜ごとの訓練
一行はそれからも冬山の旅を続けた。
エリンの能力開発はあまりはかどらなかったが、多少のヒントは得られた。
エリンが意識的、無意識問わず、何かを望むと能力が発動しやすい。
無意識上ではごく簡単な望みを叶えるようなもの、例えば火を起こしたり高い場所の木の実を落としたり。
傷の治りが異常に早い超回復も、このカテゴリに入るだろう。
反対に意識して能力を使うのは、まだ上手にできなかった。
光壁の能力が発現した時は、全て命の危機と直結していた。そのくらいの差し迫ったものがなければ、今はまだ成功出来ないようだった。
「エリンさんの能力の主軸は、やはり『壁』にあると思うのです」
雪道を歩き、考えながらラーシュが言う。彼はあれからも何度かエリンの心に触れていたが、壁の拒絶は徐々に強くなってしまった。今ではもう心の表面に少し触れる程度しかできなくなっている。
「壁、守り、拒絶。エリンさんの心の中の壁は、内側にあるものを守って、外側から来たものを拒んでいるように見えました」
「拒絶しているつもりは、ないんですが……」
エリンが困り顔で言う。ラーシュの
シグルドがうなずいた。
「エリンの能力は、特徴的な壁を含めて全てが未熟。まずは一つずつ、自分の意志で使えるようにしていこう。
そして、そうだな。多彩な能力があるのならば、俺たちが似た分野の教師役を努めようか。俺ならば
「そんでもって、俺は
セティが雪の上で飛び跳ねた。スノーシューの扱いも慣れてきたようで、もう転んだりはしない。
「透視、楽しいよ。プライベートは気をつけなきゃだけど、世界中の色んなものが見えるんだ。
例えばほら、あの雪をかぶった木」
セティが指さして、エリンも見た。
「今は樹皮が凍って、葉っぱどころか芽の一つも出ていない。巻き付いているツルも枯れてるみたいだろ。でもさぁ」
セティはツルに近づいて行って、ナイフでツルを割った。すると断面から滴るほどの樹液が出てきた。
「透視したら、ツルの中にぎっしり水が入っているのが見えた。水の構造をよく見ると、甘い成分が入っているのも見えたよ。だからこのツルの樹液は天然のジュースなんだ。ほら、エリンも飲んでみて!」
エリンはツルを受け取り、水の滴る断面に舌を伸ばした。樹液はほんのりと暖かく、かすかに甘い。
エリンは知らず、笑顔になった。
「おいしいね」
「だろー! 冬は雪がいっぱいあるけど、雪を食べると腹が冷えて体力使うからさー、ツルの樹液の方がいいんだ。栄養もあるしね」
「あらあら。セティ、シグルドの受け売りが上手になったわね?」
ベルタが笑っている。セティはわざとらしく胸を張った。
「そうだよ、透視の部分以外は全部シグ兄から教えてもらったんだよ。だから今度は俺が、エリンに教えてあげるの!」
「うん。ありがとう、セティ」
樹液を飲み終わったエリンが言うと、セティは真っ赤になった。
「どういたしまして! で、エリンも後輩ができたら教えてやりなよ。セティっていう人が教えてくれたんだよーって」
「そうする」
エリンはにっこり笑って、手の中のツルを見た。なんだか見覚えのある手触りである。
「あれ。これって、スノーシューの材料の木かしら」
「そのようだね」
シグルドが自分のスノーシューと見比べている。確かに同じツルが、カーブを付けてスノーシューの形になっていた。
エリンは、このツルをよく乾燥させてスノーシューを作ったのを思い出した。
森に分け入って木を伐るのは男性たちの役目だったが、採集した素材を手入れして加工するのは女性たちの役割だった。エリンもよく、スノーシューを作ったりツルでカゴを編んだりしたものだった。
「森にあるものは、実に色んなものが人の暮らしの役に立っているのね」
ベルタのつぶやきに、エリンもうなずいた。
「山があって、森があって、動物がいて。そして人がいる。不思議ですね、世界は……」
エリンの世界は今まで、あの小さな村で完結していた。それが旅立って数日、たった少しの距離を進んだだけで大きな広がりを見せている。
エリンはそれをとても不思議に感じた。今までの自分は、村という壁の中に閉じこもっていたのだろうか、と。
「壁……」
エリンの心の中にある、不思議な壁。
その中には何が入っているのだろう。
……誰が、閉じこもっているのだろう。
夕方以降にキャンプを設営して、夕食を取る。
エリンの訓練の時間は、そこから眠るまでの間と決まった。
彼女の能力は多岐に渡るので、エインヘリヤルたちが各々の得意分野を担当、指導することとなった。
「じゃあまずは、俺から」
テント前、雪を固めたテラスの上でシグルドが言う。エリンは彼に相対する形で立って、「よろしくお願いします」と言った。
「
「なるほど」
「エリンの話だと、落とした食器が手に戻ったり、高いところの木の実が落ちてきたのだったか。それから薪に火が付いたと。
……それじゃあ、食器からやってみよう。ちなみに手に戻ってきた食器はどんなもの?」
「金属のスプーンでした」
「了解。それなら同じようなもので、と。
エリン、スプーンと自分の間に繋がりをイメージするんだ。糸でもいいし、見えざる力でもいい。そういった力でスプーンを支えてごらん」
エリンにシチュー用のスプーンが手渡された。両手で握って、じっと見つめる。そして、力のつながりを十分にイメージしてから離した。
けれども、さく……と小さな音を立てて、スプーンは雪の上に落ちた。
「どうして」
難しい顔をしているエリンに、今度はベルタが言葉をかけた。
「あの村の教会でスプーンを落としてしまった時、どういう状況だったの?」
「それは、ティララが……あの、小さい女の子が食べこぼしをしてしまって、自分で床のパンくずを拾っていたんです。私は手伝おうとしたら、ひじをテーブルの上に引っ掛けてしまって。スプーンがティララの頭にぶつかりそうになりました。しまった、と思ったら……」
「ふうむ。なるほどね」
ベルタは言って、金の髪を留めていた髪留めを抜いた。銀色のピンにきれいな緑の石が入ったデザインだった。
「これ、私の父親が誕生日プレゼントに送ってきたやつなの。それなりに高価みたいね。で、これを」
彼女は雪のテラスの端まで行き、指先で髪留めを振ってみせた。
「ここから落としたらどうなるでしょうね? 髪留めは小さくて、辺りはもう暗い。私の瞬間移動では追いつけないわ。頑張ってね、エリン」
「え!?」
ベルタの手袋の指先から、緑の髪留めが落ちた。
小さな髪留めはみるみるうちに宙を落ち、雪に落下して滑っていく――
「――っ!!」
エリンは青い目を見開き、冬山の夜に向かって手を伸ばした。
肉体の腕はむなしく空気を掻いた。大きく開けられた彼女の口から、白い息が塊となって吐き出される。
――だが。
必死に伸ばした指先で、涼やかな光が漏れる。
「え」
エリンの指先で、緑の石が揺れている。銀のピンが指の間に挟まって、緑石が雪明かりを反射していた。
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