第18話 刻まれた記憶


 どこかで誰かの声がする。

 聞き覚えの薄い、けれど懐かしい声だった。


「いいかエリン、よく聞きなさい。能力は本来、二種類ある。肉体に備わっている才能と、生まれた後に自ら磨いて身につける技術だ。

 遠い昔においては、才能は遺伝子に潜在化して確率で開花するだけのもの。技術は世代を経て洗練され、才能と合わさって何倍もの効果を生むものだった。


 才能のみで使う力は未熟で、低効率。

 技術が洗練され、身につけるには長い時が必要になる。


 しかし我々は、確率の不確かさと世代を経るための時間を克服した。

 ――遺伝子に才能を人為的に刻み、技術を記憶として遺伝子に保存コードする。遺伝子の彫琢ちょうたくをもって、我々は他の種族を大きく超えた。

 無論、限界はある。能力を増やしたいからとでたらめに刻み込んでも、肉体が破綻するだけだ。

 よって、ヒトとして生まれた後の研鑽は、やはり絶やしてはいけない。


 お前はまだ、生まれたばかり。お前の肉体に備わる力は、特に最初期においては、慎重に磨かねばならない。偏ることなく、幅広く。……お前の『特性』に合わせて。

 第一歩を踏み出しさえすれば、刻まれた記憶がお前を導くだろう」


 声が少し途切れて、誰かの手がエリンの首にひもをかけてくれた。ひもの先端には、馴染んだ丸い石が結ばれた、ペンダント。

 エリンはその人を見上げる。

 ずいぶん大きな体の人だとエリンは思って、気づいた。彼が特別に大きいのではない。エリンが小さいのだ。

 幼児と大人。そのくらいの違いがある。


「このペンダントをお前に預けよう。これは、■■■■■のシンボルであり、彼女の一部。彼女以外ではお前だけが使いこなせる。

 だが、もしも可能であるならば。

 お前には一歩を踏み出さず、穏やかに暮らして欲しい。


 だからこのペンダントには、制限と目眩ましとを施しておく。

 お前が静かに暮らせるように。また、彼女に見つからないように。壁を作って殻をかぶせ、本来のお前を隠しておこう。

 この星はきっと、お前を受け入れてくれる。病に苦しみながらも、けなげに生き続けるこの星なら、きっと。


 最早、生命とは言えぬ我々と違って、お前であるならば……」


 エリンは手を引かれて、歩いていく。とても寒い場所だ。

 空は暗いけれど、辺りは案外明るい。雪明かりの反射が煌めいている。

 やがて彼女は、見慣れた教会の入り口に座り込んだ。


「すまない、エリン。お前という存在に、私は責任を全うできそうもない。一個のヒトとして、どうか幸せに暮らしてくれ――」


 雪が降ってきた。ひらひらと舞う白い花びらのように。

 行かないで、とエリンは思った。

 行かないで。置いていかないで。私を一人にしないで。

 けれど遠ざかる背中は歩みを止めない。舞い散る雪のかけらが、白く光る闇夜を覆い隠してしまう。

 何もかもを優しく残酷に包んで、かすかな思い出がこぼれていく。


 あとに残るのは冷え切った体と、静寂の時間だけだった。







 ぽかぽかと暖かな感触でエリンは目を覚ました。凍える雪景色の中にいたはずなのに、変だなと彼女は思った。


「良かった。エリン、気がついたね」


 すぐ横でセティの声がする。

 見れば、エリンは毛布にすっかりくるまれて、ベッドの上に横たわっていた。

 懐には温石おんじゃくが入れてある。暖かな感触はこれのおかげだったようだ。

 場所は見覚えがある。近くの村の教会の一室だろう。窓の外は暗く、もう夜だ。

 エリンが育った教会とよく似た雰囲気で、彼女はなんだか不思議な気持ちになった。


「セティ! 無事だったのね。熊をうまく穴に落としてやれた?」


 エリンが起き上がって言うと、セティはうなずいた。


「うん、うまくやれたよ。エリンのおかげだ」


「他のみんなは? ベルタさんは大丈夫?」


「狩人さんが死んでしまったよ……。他の人は無事。ベルタ姉は能力の使い過ぎで休んでるけど、大丈夫」


「そっか……」


 エリンは、木の根元で事切れていた狩人の姿を思い出す。

 あの人は、今日この日まで生きていたのに。あっさりと命が失われてしまった。


 と、ドアが開いてシグルドとラーシュが入ってきた。

 ラーシュがエリンを見て言った。


「エリンさんの意識を感じたので、来ました。気分はいかがですか」


「体は何ともないです。状況は、セティから聞きました」


「明日も熊狩りを行う。だが、やっかいな能力だ。ベルタも消耗している、いつものように一気にカタをつけられない可能性がある」


 シグルドは険しい表情だった。


「我々の能力を邪魔する力。たとえ白獣であっても、精神感応テレパシーで感知は難しいでしょう」


 ラーシュが言うが、エリンは首を振った。


「いいえ。白獣は独特の精神波を出しているんですよね。だったらあの黒いモヤをかいくぐって、私が必ず見つけます」


「エリンはラーシュ兄の精神感応テレパシーが切れた時も、メッセージを送ってくれた」


 セティが言うが、ラーシュは眉をひそめる。


「その黒いモヤというのが、僕には分かりません。熊の能力のことですか?」


「はい、そうです。私は妨害能力波ジャミングと呼んでいます」


 エリンが言うと、部屋中の視線が集まった。


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