第39話 銀の少女
(力があふれてくる)
エリンは感じる。
今ならば、何重にも妨害術式が敷かれたこの広場でも、彼女の力が通用するだろう。
「フレキ! 出番だよ、来て!」
だから彼女は呼んだ。もう一人の旅の仲間、彼女の眷属とも言える白獣の狼を。
主の役に立てる喜びで、フレキは大きく咆哮した。
「な……あれは、銀狼!?」
「そんな馬鹿な!」
「で、でも、あの銀の髪の人……銀狼を従えた……あれは、まるで」
群衆だけではなく、動揺はヴァルキリーにも広がった。
多くの戦乙女たちが、呆然とエリンとフレキを見ている。そのさまはどこか、機械が予想外のエラーで停止したかのような印象を与えた。
「行こう、フレキ。皆を助けに!」
言ってエリンは、フレキに飛び乗った。巨大な白狼は一足飛びに広間の中央まで駆けていく。
銃を持った兵士たちを引き倒し、蹴散らして、拘束の鎖を引きちぎった。
「セティ! ベルタさん、ラーシュさん!」
エリンは倒れ伏した三人の名を呼ぶが、反応はない。
目隠しを素早く取り外しても、視線が定まっていない。虚ろに空を眺めているばかり。
と。
エリンの背後で無機質な殺気が膨れ上がった。
ヴァルキリーの手に槍のような一条の光が生まれている。戦乙女はそれをエリンめがけて放った。
『防御術式、障壁。タイプ:
鋭い光はエリンを守る壁にぶつかると、角度を変えて虚空へと消えていった。
だが、他のヴァルキリーらが次々と光槍を投擲してくる。
見た目ばかりは美しく輝く光の槍が、凶悪な威力で降り注いでくる。
エリンとフレキは防ぎ、回避しながら、セティたちを守った。
フレキは跳躍して戦乙女に噛みつき、地面へと引き落とす。その牙に爪に白銀のオーラが宿って、強靭なはずのヴァルキリーをあっさりと噛み殺した。
空中に舞い上がったヴァルキリーの一人が、やはり光槍を投擲しようとして、地面から噴き上がった炎に巻かれて落ちた。
「さっさとずらかるぞ! モタモタするな!」
掌から黒煙を上げながら、スルトが叫んでいる。炎は彼の能力のようだ。ムスペルヘイムの長を名乗るだけあって、並の
ヴァルキリーたちが広場を取り囲むようにして、再度、妨害術式を強化している。
こうなればいかにエリンといえど、全員を
しかし。
今度はユグドラシルから爆音が上がった。巨大な人造塔の中程、外壁が破れている。
その破れ目からヴァルキリーが数人、動かないままで墜落していった。
ロキの仕業だろう。
ヴァルキリーたちは一斉にそちらを見る。
隙が、生まれた。
『
エリンを中心に虹色の空間が広がった。先程フレキを呼び寄せたものによく似た、それよりも何倍もの規模を持つ空間。
空間は瞬時にエリンと仲間たちを飲み込み、あっという間に閉じた。
後には血まみれのヴァルキリーたち、倒れた兵士たち、そしてどよめく群衆が残された。
フレキを潜ませておいた郊外の森に着地して、エリンは息を吐いた。
「ひとまずは成功だな」
森の木の幹に手をついて、スルトが言う。
シンモラは土に膝を付けて、意識の戻らないセティたち三人を介抱していた。
他にもミッドガルド人とムスペルヘイム人が何人か、辺りを警戒していた。
「さて、あとはロキの旦那も首尾よくやるよう願って、俺らはムスペルヘイムまで行く」
「はい」
エリンはうなずいた。これは、事前の打ち合わせどおりだ。
セティたちを取り戻して、ムスペルヘイムまで行く。彼の地はミッドガルドの遠い南にあって、防備に優れた要塞都市国家なのだという。
「運搬用の車は、こっちだ」
スルトが先導して歩いていくので、エリンはついていった。ぐったりしたままのセティたちは、フレキの背に乗せて運んだ。
森をしばらく進むと、小さな広場に出た。布や木の枝で隠された下には、何台もの車両が置かれている。既に荷物は積まれていて、地下基地で見かけた機械類が荷台に載せられていた。
エリンは初めて見る自動車に目を丸くした。
「ミッドガルドの地下基地もそうだったけど、ムスペルヘイムは不思議なものがいっぱいあるんですね」
「まあな。こいつらはみんな、アースガルドの技術だ。砂漠の民の開祖様が教えて下さった」
「アースガルドの?」
「開祖様はアースガルドの離脱者だ。ロキの旦那と同じさ。まぁその辺の話は、道中で教えてやるよ」
乗った、乗ったと急かされて、エリンは車両の一つに乗り込んだ。セティたちも狼の背から移した。
見慣れない機械にエリンを取られて、フレキは不満そうだ。「フンス!」と鼻を鳴らしている。
スルトが運転席に乗り込んで、起動させる。車両は軽く鳴動した後、僅かに地面から浮き上がった。
「移動は
他の車両も浮かび上がって、森の木々の間を縫うように走り始めた。
振り返れば木々の梢の向こうに、ユグドラシルの巨大なシルエットが見える。
(シグルドさん、ロキさん。どうか無事でいて)
今のエリンは、祈ることしかできない。
徐々に遠ざかるユグドラシルの影を見つめながら、エリンはただ、彼らの無事を願っていた。
+++
これにて第五章は終わりです。終盤が近づいてきました。
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