第50話 再び、ミッドガルド


 ミッドガルドの街は奇妙な静けさに包まれていた。

 ムスペルヘイムの戦士たちは一般市民を巻き込まないよう、精神感応テレパシーの力で一時的に市民らを眠らせる予定だった。

 けれどそんな作業が不要なくらい、辺りは静まり返っている。巨大都市にふさわしくない光景に、砂漠の民たちは不審を隠せない。


「今、確認を取った。この前の雷神の鉄槌トールハンマー以来、市民どもは衰弱状態だそうだ」


 情報員と話していたスルトが言う。


「うちの潜入情報員もかなり消耗している。オーディンが何かしやがったな」


「恐らく、バナジスライトを持たない者からも無理にエネルギーを吸い上げたのだろう」


 ロキが答えた。


「元々、ユグドラシルにはそういった機能がある。ミッドガルドを都市化したのも、より多くの人間から生命エネルギーを得るためだ。

 ただ、バナジスライトのない人間のエネルギーはたかが知れている。今までは必要性が薄かったが、雷神の鉄槌トールハンマーを使うとなれば話が違う。あれは莫大なエネルギーを消費するからな。手近な所で補ったのだろう」


「オーディンは、本当に人間を何とも思っていないんですね」


 エリンが拳を握り締めた。

 敵対していたムスペルヘイムの人々はおろか、オーディンを神として崇めるミッドガルド市民すら使い潰した。

 少しの沈黙を経て、ロキが言う。


「……行くぞ。精神感応者テレパシストは待機、他の能力者と兵士は侵入経路からユグドラシルへ」


 誰もいない大通りを走り抜けて、彼らは巨大塔ユグドラシルまでやって来た。

 正面の入り口は閉ざされていたが、ロキを先導に回り込む。側面の小さな門に彼が手をかざすと、扉が開いた。

 そうして、最後の戦いが始まった。







 ユグドラシル侵入から間もなく、多数のヴァルキリーたちが襲いかかってくる。

 狭い通路で、所々にある広間で。砂漠の戦士たちと人造戦乙女の戦闘が開始された。


「できるだけ引きつけろ! ロキの旦那とエリン嬢ちゃんの道を開けるんだ!」


 スルトが叫んでいる。

 エリンはロキの後を追って通路を駆け抜けた。第三段階の能力に目覚めたセティも一緒だ。

 ユグドラシルの内部は、植物とも金属ともいえない奇妙な質感の素材で構築されている。

 鉄に刻まれた年輪の床を走り、銀色に輝くツタが絡まる扉を押し開けて、彼らは進んだ。


 フレキも途中まではエリンと一緒に走っていた。

 けれど襲ってきたヴァルキリーの一隊をさばくため、彼は足を止めた。

 心配そうに振り返るエリンに胸を張って見せて、フレキは持ち場を死守すべく立ちふさがった。


 さらにしばらくして、やがて大きな広間に出た。

 空間の中央には、円筒状のガラスが高くそびえている。その中にカプセルのようなものが見える。エレベーターだ。


『やあ、ロキ。また会えたね』


 不意に広間に青年の声が響いた。


「フレイ」


 ロキが呟く。


『色々とやってくれたよね。僕の戦乙女たちは人間どもの相手で手一杯だし、君らもここまで来てしまった。直接決着をつけようじゃないか。

 そのエレベーターに乗っていいよ。心配しなくても、ちゃんとアースガルドまで運んであげるから』


「ふん。どうだか。お前のような卑怯者の言葉を、誰が信じるか」


『オーディン様のご意思でもある。その娘を直接殺してやりたいんだってさ。大事な星の収穫の前に、ひとつの間違いもあってはならないから』


「……あんなこと言ってるけど、どうすんの?」


 セティがロキに囁いた。


「オーディンの名を持ち出した以上は、嘘ではなかろう。階段と転移で進む予定だったが、正直に言えば時間がかかりすぎる。話に乗ってやる価値はあるだろう。だが――」


 ロキは姿の見えないフレイに向かって、声を張り上げた。


「お前の言葉だけでは信用できん。相応の対価をよこせ」


『ちぇ。やっぱりそうなるか。仕方ないなあ』


 エレベーターの扉の前に、赤い光が灯った。一辺が一インチ(二・五センチ)以上もある方形の結晶体――バナジスライトだった。

 エリンとセティは、その宝石の巨大さと深い光に息を呑む。深淵領域化している。


「よりによってそれか。悪趣味な」


 ロキが吐き捨てるように言った。エリンが問う。


「ロキさん、あれは誰のバナジスライト……?」


「ヘズの弟だ」


 ロキは短く答えた。

 アースガルドを離反した、砂漠の開祖ヘズ。雷神の鉄槌トールハンマーで墓すらなくなってしまった彼の名を聞いて、エリンは胸が締め付けられるのを感じた。


『裏切り者の弟だろうが、アース神族であることにかわりはない。大事な大事な『蘇生候補の国民』だもの。それを傷つけたら、僕がオーディン様に殺されてしまうよ。対価としては十分じゃない?』


「……あぁ、いいだろう。お前の話に乗ってやるよ」


 巨大なバナジスライトを大切に抱えて、ロキはエレベーターの前に立った。

 ガラス筒とカプセルの扉が開く。

 カプセルは三人を乗せると、一気に上昇を始めた。

 エリンは一瞬だけ内蔵が浮くような感覚を感じたが、すぐに消えて安定した。

 カプセル本体もほとんどが透明なガラスのような素材でできていて、みるみるうちに地上が遠ざかる様子がよく見える。


「すげー! 空を飛んでるみたい!」


 セティが興奮した口調で言って、ロキに睨まれている。

 彼らを乗せたカプセルは、ひたすらに上へ上へと昇っていった。


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