空の章
最終章 終わりゆくもの
第49話 大地の奥
大地に開いた巨大な穴のふちで、エリンは無言のまま立ち尽くしていた。
この場所には、六千人を超える人々の生活があった。
開祖ヘズから始まって、五百年分の思いが詰まった土地だった。
それがたった一夜にして、否、文字どおり一瞬にして破壊の限りを尽くされて、跡形もなく消し飛んでしまった。
砂漠の風が吹いて、エリンの銀の髪をなびかせる。
時空歪曲橋<ワームホール>と瞬間移動<テレポーテーション>で助けられたムスペルヘイムの民は、およそ半数。三千人もの人々が帰らぬ死者となった。この大地の穴は、三千人の命を飲み込んだのだ……。
数字が大きすぎて、なかなか実感がわかない。
シグルドを、ラーシュを一人失いかけた時すらあんなに悲しく、苦しかったのに。
犠牲者一人ひとりに家族がいて、友人がいて。愛する人がいて……。それが三千人分。
想像を超える喪失が少しずつ、現実のものとして胸を侵食してくる。その事実に、エリンはただ佇むことしかできなかった。
――と。
大地の裂け目の奥で何かが光った。ずいぶん深い場所だ。
エリンは自分自身を念動力<サイコキネシス>で操作して、ふわりと宙に舞い上がった。
ゆっくりと穴を、むき出しの大地を降りていく。
しばらく降下を続けると、だんだんと地上の光が届かなくなってくる。
薄暗い穴の中、エリンはさらに降り続けた。
そして、地上からの光がほとんど見えなくなった頃。
「これは……」
大地の裂け目、その最奥に。巨大な紅い結晶体が析出していた。
形は方形。奇妙に人工的な印象を受けるかたち。
「バナジスライト……?」
その結晶体は、あまりに巨大だった。ほとんどが大地に埋もれているにも関わらず、露出している部分だけでエリンの体よりも何倍も大きい。
その輝きは、白獣や人間の能力者のものよりも深い。
よくよく見れば、結晶の奥の方、より深い場所にあるものの方が複雑に光っている。光を何重にも屈折させている。深淵領域化が始まっている。
「――――」
言いようのない重圧と目眩を覚えて、エリンは結晶から目をそらした。念動力が揺らいで、彼女の体がふらつく。
高い能力を持つ彼女の感覚をもってさえ、とても全容を把握できない。あまりに巨大で、あまりに遠大。
そして、あまりに莫大なエネルギー。
「まさかこれも、オーディンの仕業?」
エリンはよろめく意識を叱咤して、上昇を始めた。地上の皆に報告しなければならない。ロキであれば、何か知っているだろう。
地上の光が近づいてくる。
最後に彼女が振り向くと、大地に埋もれた結晶は静かに光を放っていた。その様子がなぜか、エリンには孤独に寂しそうに見えた。
「……それは、バナジスライトで間違いない」
地上に戻ったエリンがロキに状況を伝えると、彼は言った。疲れ切って精彩を欠く口調だった。
場所はムスペルヘイム北側の仮設キャンプ。生き残った砂漠の民たちは、北側と西側に集まっている。
「でも、あまりに巨大でした。バナジスライトは生命がユミル・ウィルスに感染して生まれるものですよね。あの大きすぎる宝石の主は、いったい誰?」
エリンの問いに、ロキはしばらく押し黙る。スルトやセティらが見守る中、彼はやっと口を開いた。
「この星、そのものだ……」
ロキは語った。
ユミル・ウィルスは元来、惑星に寄生する生命体だったと。星に感染して大地を蝕む。アース神族のように、その星に生まれた生命たちが抗体を得て能力を使いこなすのは、稀なケース。今までいくつもの星がウィルスによって死に至った記録があると。
「最終的には、星ごと命を飲み込んで自壊する。我らアース神族の祖先が生まれた星は、そのようにして壊れた。もっとも祖先の科学と魔術の技術で戦争を引き起こしたせいで、自壊が早まったとの説もあるが」
「オーディンは星を壊す気ですか? そんなことをしたら、アース神族だって死んでしまうのに!」
「星の病状が末期に達する前に『収穫』して、自分たちは宇宙へ飛び立つ気なのだろう。星のバナジスライトは、生物のそれと比べ物にならぬほど巨大で高出力のエネルギー源。
これがあれば宇宙船の動力は十分以上にまかなえるし、あるいは――」
ロキは言葉を切って深い息を吐いた。
「あるいは、オーディンの考える『死者蘇生』が、実現するとでも思っているのだろうよ――」
「死者蘇生? そんなもんが、本当にあるのかよ」
スルトが言う。彼はたくさんの同胞たちを亡くしたばかりだ。その目には万が一の希望を求める光がある。
けれどロキは首を横に振った。
「ない。あると思いこんでいる、愚か者がいるだけだ。死者は決して蘇らない」
皆が黙り込んだ。
ムスペルヘイムの人々はたった今、大事な人々を失った。誰もが取り戻したいと思っているだろう。
だが、それは不可能だと理解している。一度きりの命に二度目はない。
皆、そうやって生きてきた。
だからこそ、命の重みを心から知っている。
「……じゃあ、作戦実行だな」
沈黙を破ったのはスルトだった。
「オーディンを放置できない理由が増えた。弔い合戦をしなきゃならねえ。星の収穫とやらも、オーディンをぶちのめして止める方法を聞き出せばいい」
今から止める手立てがあるのか。
そう聞こうとして、エリンは首を振った。
たとえ手遅れでも、行動をしない理由にはならない。
そして希望があるとしたら、スルトの言う通りアースガルドの打倒をもってのみ、実現できるだろう。
「行きましょう。今ならまだ、間に合うと信じて」
「ああ!」
「行こう、アースガルドへ!」
エリンの言葉に、皆が声を上げて賛同した。
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