第20話 目覚め


※微グロ注意。



 シグルドは熊の足跡を負う。

 積雪に埋もれたり、横道にそれたりして見失いそうになった時は、セティが透視クレアボヤンスの能力で確認をした。

 そうしてしばらく進んだ時、セティが短く息を呑んだ。


「どうした?」


 シグルドが問う。

 セティはエリンをちらりと見た。エリンも彼と同じものを見たようで、うつむいている。


「……あそこ」


 木立の中、少しばかり雪が盛り上がっていた。

 シグルドは近づき、覗き込んで――


「――――」


 無言のまま首を振った。

 彼の視線の先に昨日死んだ狩人がいた。凍った傷口を晒しながら、体が折りたたまれていた。まるで小さな箱にしまい込むように。

 骨も肉も無理矢理に折りたたんだせいで、手足があらぬ方向に突き出し、壊れた人形のような姿になっている。

 おもちゃ箱に詰め込まれた、壊れた人形。そんな言葉がシグルドの脳裏に浮かんだ。


「肉を食った形跡は……あまりない、な。何故こんなことに」


『狩猟ギルドの案内人が言うには、熊は食べ物を保管する習性があるそうです』


 ラーシュの精神感応テレパシーの声がする。


『恐らく今は、空腹ではなかったのだろうと……』


「分かった。空腹ではなくとも人を襲う凶暴性があると、改めて認識したよ。

 熊を殺し終わったら、彼を連れて帰る。ちゃんと埋葬してやらねば」


 狩人を引きずった跡が消えたので、目視での追跡は困難になった。


「エリン、どうだ? 白獣の精神波は見つかったか?」


 問われてエリンは肉体の目を閉じた。

 あの赤い結晶のような波動は、直接は感じられない。けれど不自然さがある。

 長く広く行き渡るエリンの精神感応テレパシーの中に、奇妙な空白がある。ぽっかりと抜け落ちている。そこだけ生命の声が聞こえない。生命に満ちる大地の中、そこだけが病んで壊死した細胞のような空白。


 エリンは精神感応テレパシーをその方向へ集中させた。

 間違いようもない黒いモヤがその先にあった。


「……見つけました。これから妨害能力波ジャミングの解析を始めます」


 目を閉じたまま、エリンは言った。

 彼女だけの戦いが、始まる。







 その熊は、遠い山からやって来た。

 熊は縄張り意識が強い生き物だ。子育て中のメス以外は常に一匹で行動をして、広い縄張りに他の熊が入ってきたら追い払う。

 その熊は大人になって以来、ずっと放浪を続けてきた。彼はあまり強くなく、他の熊と争えば負けてばかり。居場所を見つけられなくて、長いこと移動をしていたのだ。


 ある時その熊は、人間の家畜の羊を襲って食べた。

 家畜は綱で繋がれていたり、柵で囲われていたりする。野生の鹿などに比べれば、勘は鈍くて動きも遅い。その割に肉はボリュームがあり、熊の他の食べ物――ドングリや山ブドウや、木の芽、山菜類、それからアリやハチなどの昆虫類――よりもお腹がいっぱいになる。

 だから家畜は、弱い熊にとっていい獲物だった。


 何度か家畜を襲っていたら、人間は罠を仕掛けて熊を捕らえようとした。熊はそれなりに痛い目を見たものの、捕まりはしなかった。

 それどころか罠の様子を見に来た人間を襲って、食べた。

 人間は家畜よりもっと弱く、それなのに体が大きくて、食べごたえがあった。


 ただ、罠で痛い目を見た熊は慎重になっていた。

 家畜のように人間を襲い続けたら、もっと反撃を受けるかもしれない。

 そうなる前に、移動しよう。誰も熊を知らない場所へ。


 そうして熊は移動を続けた。熊は元々、長距離を歩く生き物だ。

 その熊も何十マイル、何百マイルもの距離を歩いて、新天地を求め続けた。

 そしていつしか、ずいぶん北までやって来た。冬は雪がたくさん積もる寒い場所だった。


 この頃から熊は身体に異変を感じていた。妙に気が立って落ち着かない。頭の奥が痛い。朝日やちょっとした光がまぶしくてたまらない。

 熊は冬眠をしたかったのに、できなかった。

 何年も肉ばかり食べていた熊は最早、他の食べ物を受け付けなくなっていた。せっかく目の前にドングリがたくさんあっても、腹に入れると吐き戻してしまう。悲しかったし、苦しかった。

 この辺りは家畜も人間も少ない。腹を空かせた熊は冬眠に入れず、毎日を苛立ちと苦痛のままに過ごしていた。


 やがて本格的に冬になった。熊はいよいよ異常を感じていた。

 雪明かりがひどくまぶしい。頭が痛くて痛くて、叫びそうになる。

 やっと鹿を仕留めて肉を食っても、何故か満足感がない。


 そんな苦しい日々は、人間を二人食った日に少しだけ楽になった。

 弓矢で武装した人間たちだった。

 武器を持った人間はとても危険だと、熊は知っている。

 けれども熊は苛立ちと空腹を抑えられず、彼らを襲った。すると人間たちは、ずいぶんあっさりと死んでしまった。

 こんなに苦しいのに、体がつらいのに、何故か熊の力は強くなっている。

 苦しみのままに人間の肉をむさぼれば、いくらか楽になった。


 でも、楽になったのはほんの短い間だけだった。


 もっと肉を、人間の肉を喰いたい。食わねばならない。

 熊は衝動に突き動かされるように、村へと近づく。ただ、さすがに集落の中に踏み入るのはできなかった。

 丈夫な柵が巡らされていたし、弓矢を持つ人間はまだ何人かいる。

 ごちそうを目の前におあずけをくらった気分で、熊は村の周辺をうろついた。


 そして、あの日。

 弓矢で武装した男と、素手の女と少年がやって来たあの日。

 熊はとうとう、自分が変貌したのを知った。


 黒かった毛皮に白が混じり、黒と白とのモザイクになり、急速に白に染まっていく。

 同時に、女と少年が手強い敵であると本能的に感じた。一見無防備な彼らのほうが、武装した男よりもよほど危険だ。

 それに、手強い敵は他にもいる。遠くから熊を探る力と、重圧を感じるほどの力の持ち主とがいる。

 奴らに『力』を使わせてはならない。

 力の邪魔をしなければならない!


 そうして熊は能力に目覚めた。

 望んだ通りの能力が放たれて、女と少年は逃げていった。

 だが、熊は気づいている。

 熊の能力に触れて、探るような動きをした気配があることを。その後はごく短時間、力ずくで熊の能力を抑えてきた者がいることを。


 油断できない、と熊は思った。もっと慎重に、もっと自分の能力を高めて。

 探られても平気なくらい、強く。

 二度と抑えつけられないくらい、強く……。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る