第43話 献身


「これで正しかったんだよな、ヘズ」


 古い盟友の墓の前で、ロキは呟く。


「お前のように思い切るのは、まだできないが。私もこれで、少しは赦されるだろうか」


 誰もいないオアシスのほとりで、彼は獣の仮面を外した。美しい青年の顔が現れる。

 その瞳は――バナジスライトを嵌め込んだような複雑な光を放っていた。

 けれどもそれは片目だけ。もう片側、左の眼球は虚ろな穴のように真っ暗だった。


 先程ラーシュに与えたのは、ロキ自身のバナジスライト、その一部だ。

 エリンの血にはユミル・ウィルスの抗体が含まれている。

 しかしアース神族である彼のバナジスライトは、抗体を超える抗ウイルス特効薬剤となる。


 ユミル・ウィルスは能力をもたらす原動力。かの微小生命体は宿主と万物の元素エーテルとを繋いで、一個の生命体が内包するエネルギーを超えた能力を引き出す。

 しかしユミル・ウィルスの感染は、この星の生き物たちにとって病気という形で発現した。

 元からウィルスと共存していたアース神族は、病のペナルティがない。彼らの体には、生まれつき抗体が備わっている。

 そのため彼らはウィルスの恩恵だけを受けて能力を磨き、やがて高度な技術をもって肉体の改造に成功した。


 遺伝子を操作して才能を自在に開花させる。記憶を司る遺伝子をも改変して、生まれながらに知識と技術を身につけた者が誕生するようになった。

 そうして急速に文明を発達させた彼らは互いに争い、大規模な戦争を起こした。ついには故郷の星に重大な損害を与えてしまって、宇宙をさまようこととなった。

 長い旅の末に漂着したのが、この星だった……。


 ロキはまぶしそうに両目を細めた。

 バナジスライトを脳に宿す者として、彼もまた強い光に弱かった。それゆえの仮面である。


「砂漠の陽光は相変わらず強い。片目が見えないというのに、まぶしくて目が潰れそうだ。

 あとはシグルドに残りを与えて、フレイとの決着をつけて……。最後までこの身が持つよう、祈ってくれ」


 アース神族は本来、不死である。彼らの高い能力と技術の融合が、長い時を経て生き続ける体、病や外傷で死なない体を実現した。

 けれども墓に眠るヘズのように、死ぬ方法は一つだけある。不死であるはずの彼らの肉体を、深く傷つける方法が。

 その方法こそが、ロキの考える対オーディンの切り札。

 ――エリンに託す役割だった。


「ヘズ、お前が羨ましいよ。誰よりも勇敢に生きて死んだお前が。星の一部になって、安らかに眠るお前が……」


 墓は静かに佇むだけで、生者の声に答えない。

 それでもロキは、砂漠の日が落ちて夕闇が訪れるまで、亡き盟友の墓の前でじっと立ち尽くしていた。







 ロキの帰還により、アースガルド反攻作戦が本格的に開始された。

 ムスペルヘイムの能力者が集められ、能力を持たない者も武装して兵士として参戦する。

 砂漠の国の武装はアースガルドの技術で造られていて、ヴァルキリーやアース神族相手にも通用する。


「アースガルドを瓦解させるには、オーディンを殺さねばならない」


 主だったメンバーが揃う会議室で、ロキは言った。


「アース神族は既に数えるほどしか残っておらず、そのうち数人は中立、ないしやや人間寄りだ。ただし彼らも、オーディンという強力な支配者に表立っては逆らえない。

 オーディンの他はフレイが強硬な反人間派だな。フレイはヴァルキリーの統括者でもある。あの人造戦乙女ホムンクルスは一体一体はそれほど強くないが、数を集められるとやっかいだ」


「強くないっていうけどさー、普通の人間の能力者よりよっぽど強いよ。俺の知ってる範囲じゃ、トップクラスの能力者でやっと互角くらい? エリンとかロキのおっさんが強すぎるんだよ」


 セティの言葉にロキは肩をすくめた。「おっさん」と呼ばれるのは諦めたようだ。


「そのための武装だろう。能力者ではない兵士でも、五人いればヴァルキリーを一匹殺せる。能力を組み合わせれば、さらに効率は上がる」


「そんなに!? 知らなかったわ。私たちはずっと素手で活動してたもの。ヴァルキリーには敵わないと思ってた」


 と、ベルタ。


「人間の手駒に、必要以上の力を与えたくなかったんだろう。ましてやエインヘリヤル――ミッドガルドの能力者の末路は全て『収穫』。下手に知恵や力をつけて反抗されたら、面倒だと考えたのだろうよ」


「胸糞悪ィ」


 吐き捨てたのはスルトである。


「今まで何度か、エインヘリヤルと接触して説得したんだがよ。誰も信じなかった。洗脳されてやがるんだ」


「エインヘリヤルは能力に目覚めたら、まず本部に行って名簿に登録するから。その時に精神をいじられるのね」


 ベルタが自嘲気味に言った。

 セティも同意する。


「それだけじゃない、オーディン教は根強いよ。俺、ミッドガルド生まれだけど、毎週教会に通ってお祈りしてた。その時に自然と刷り込まれるんだ」


 最後にロキが続けた。


「そのようにして、オーディンは長らく人間を支配してきた。ミッドガルドの民の洗脳を短時間で解くのは、難しいだろう。ただし強固に精神統制が入っているのは、能力者であるエインヘリヤルだけだ。一般市民であればそこまでではない。こちらの精神感応者テレパシストの精神干渉で、大人しくさせるのも可能」


「でもって、市民どもを黙らせている間に、ユグドラシルに突入。兵士と能力者はヴァルキリーをできるだけ引き付ける。ロキの旦那とエリン嬢ちゃんは、アース神族とオーディンを倒す。これが基本作戦だな」


 と、スルト。


「……勝てるでしょうか」


 胸元のペンダントを握って、エリンが言った。今更弱気になるつもりはない。けれど相手は、主神と呼ばれる存在。

 エリンの力がどこまで通じるのか、不安だった。


「――勝てるとも」


 少しの沈黙の後に、ロキが言った。


「エリンであれば、勝てる。お前でなければ、そもそも可能性すらない。全力で戦え。そうすれば必ず、結果はついてくる――」


 どこか自分に言い聞かせるような口調だった。

 それからも作戦会議は続いて、細かな部分の打ち合わせに入る。

 ユグドラシルの突入経路は、ロキが提示した。前回侵入した道とはまた違う場所に用意をしておいたという。


「あるアース神族の手配だよ。彼ともう一人には、好意的中立の約束を取り付けてある」


「つまり、マジの敵はオーディンとフレイだけってとこか。こりゃあ本気で何とかなりそうだ」


 スルトが拳を打ち鳴らした。


「開祖ヘズ様から五百年。ようやく我がムスペルヘイムの悲願が叶います」


 シンモラもうなずいた――その時。

 会議室のモニタから緊急事態を告げる警告音が鳴り響いた。


『報告します! 北北東より多数のヴァルキリーの接近を感知! 既に一部は城壁と接触し、戦闘が始まっています!』


 モニタに天を舞う戦乙女たちの姿が映し出される。

 その中に一人だけ、異質な影が混じっている。

 細身の黒い甲冑をまとった、白い髪の男。あらゆる色が抜け落ちた体に、赤の瞳だけが禍々しく灯っている。


「シグルドさん――!?」


 エリンが声を上げた。セティとベルタも息を呑む。

 モニタの向こう側、砂漠を背景に。変わり果てた姿のシグルドが、黒い魔剣を振るっていた。


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