第34話 奪還作戦


 エリンはセティの手をぎゅっと握り返した。

 彼女は考える。セティの気持ちはとても嬉しい。シグルドを見捨てるつもりはないのは、エリンも同じだ。

 けれどここで二人だけでミッドガルドへ、その先のアースガルドへ向かったところで、シグルドを取り戻せる可能性は低い。


「ロキさん。あなたも力を貸して下さい」


 だからエリンは言った。目の前の仮面の人物は、とても強い力を持っている。恐らくは現時点のエリンより強い。

 それに彼はアースガルドの事情に通じているようだ。であれば、侵入の方策も目処がついているのではないか。


「私はシグルドさんに、何度も助けてもらった。恩人です。魔剣の責任もある。だから何としてでも、助けに行きます。

 でも私たちだけでは、勝ち目は薄い。あなたなら、何か手があるのでは?」


「……私にとって大切なのは、エリンだけだ。他の能力者がどうなろうと、本音を言えば知ったことではない」


「ですから、私は諦めません。それとも今度は、無理やりムスペルヘイムへ連れて行く? 北の村に置き去りにしたみたいに、私の意志を無視して。

 やってみるといいよ。私、あの時みたいな無力な子どもじゃないから。全力で戦って、勝ってやるんだから!」


 エリンは射抜くような力を込めて、ロキを見つめる。

 ロキは仮面の下から彼女を見返して、――やがて息を吐いた。


「エリン……。お前は、本当に彼女にそっくりだな。頑固で、言い出したら聞きやしない。誰が教えたわけでもないのに、そんなところまで似るなど、因果を感じるよ。

 ……分かった。手を打ってみよう。ただし私も万能ではない。この状況からシグルドを取り戻すのは、かなりの困難を伴うと覚悟しておいてくれ」


「……! ええ、分かっています」


 エリンが一瞬だけ表情を明るくして、すぐにまた口元を引き結んだ。

 ロキが続ける。


「そこの瞬間移動能力者と精神感応者は、覚悟が決まりきらないようだな。かなり強固な思考統制を受けているから、やむを得ないだろう」


 ベルタとラーシュは目を伏せている。二人はシグルドを案じながらも、オーディンへの忠誠が枷となって動けないでいた。


「いや、構わんよ。その方が都合がいい」


 ロキがそう言ったので、エリンとセティは不思議そうに視線を交わした。

 ロキがエリンに問う。 


「手札は他にあるか?」


「戦力なら、フレキもいます。狼の白獣で、私の血を飲んだ子」


「成る程。ユミル・ウィルスの抗体か」


 ロキはうなずいた。


「承知した。ではこれから、作戦を伝える。内容は――」


 そうしてシグルド奪還作戦が始まった。





+++





「それにしても、シグルドがあんなに早く召し上げられるなんて、ほんとに名誉なことよね」


 そろそろ冬が終わりに近づく季節、通信装置の街からミッドガルド行きの汽車に乗って、ベルタが言った。


「ええ。彼は確か、十八歳で能力に目覚めたのでしたね。まだ四年しか経っていないのに、大変優秀です」


 ベルタの向かい側の席に座ったラーシュが答えた。隣でセティもうなずいている。

 彼ら三人は一等客室の豪華なソファに座って、窓の外を流れる景色を眺めていた。

 北の土地からずいぶん南下したおかげで、もう雪はほとんど積もっていない。露出した土は雪解け水できらきらと輝いて、間近まで来た春を待ちわびているように見えた。


 シグルドがヴァルキリーに迎え入れられたのは、つい先日のこと。

 すぐにミッドガルドから第九小隊宛に続報があった。人員補充と今後の担当領域を調整するため、ミッドガルドまで来るように、と。

 そこで彼らは指示された通り、ミッドガルドまで繋がる鉄道に乗り込んだのである。

 汽車の切符は、エインヘリヤル本部が手配済みだった。おかげで一等客室に乗って、セティが役得だと喜んでいた。


 そして、彼らは気づいていない。車窓を流れる景色の隅、森の木立ちの少し向こうに、白い影が疾走していることに。







 疾駆するフレキの白い背にしがみついて、エリンは汽車を見る。

 もくもくと黒煙を吐き出す鉄の機関車は、一定の速度で走っていく。時折、ピーッと甲高い笛の音が鳴り響いた。

 フレキも負けてはおらず、ぴったりと並走を続けていた。彼の走り方は安定していて、一日中走ってもちっとも疲れていないようだった。

 フレキの白獣としての能力は、牙と顎の強化だとエリンは思っていた。けれど予想を上回って、身体能力全ての大幅な向上も含まれるらしい。


 ロキの作戦で、第九小隊の三人には改めて思考統制をかけ直している。ただしあくまで偽のもので、エリンが合図をすれば全て消えるのだ。

 彼らは一時的にエリンのことも忘れている。ヴァルキリーから尋問を受けても、情報を渡さないためだった。


「エリンには隠蔽術をかけておく。オーディンや他のアース神族相手ならともかく、ヴァルキリー程度であれば完全に欺けるだろう。

 今のエリンは、ヴァルキリーから見ればただの市井の少女だ。目の前を歩いても、特に警戒はされないよ」


 とは、ロキの言だった。

 こうしてヴァルキリーの監視をかいくぐりながらミッドガルドに入って、アースガルドまで登る機会を待つ。

 ロキはアースガルド侵入の手はずを整えると言って、どこかに行ってしまった。準備ができたら知らせに来るそうだ。

 彼にはもっと聞きたいことがあったのに、エリンは残念に思う。


「でも、いいんだ。今はシグルドさんを取り戻すのに全力をかけて、落ち着いたら話を聞くよ。

 ロキさんはお父さんではないみたいだけど、私の両親はどこにいるんだろうね」


「ワフン」


 エリンがフレキに話しかけると、白狼は返事をした。彼の気遣いを感じて、エリンは毛皮をわしゃわしゃと撫でる。

 フレキが走る森は、もう春の気配が満ち始めている。


 鉄道を走る汽車の汽笛が鳴る。

 その音を聞きながら、エリンを乗せたフレキは白い風のように走っていった。


 目線を上げれば遠い空を背景にして、霞のように巨大な塔が、ユグドラシルがそびえ立っているのが見えてきた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る