第35話 急転
鉄道に並走すること三日。
エリンはとうとう、ミッドガルドまでやって来た。
街並みが近づいてきた時点でフレキから降りて、森で待っていてもらう。
「フレキ、一人にしてごめんね。ちゃんと待っていてくれる?」
「ワウ」
フレキは胸を張った。問題ない、ということだろう。
森は奥へ行けばそれなりに深くて、大きなフレキの体を隠してくれそうだった。ウサギやキジなどの小さな鳥獣の他、鹿や猪も暮らしている。餌には困らないだろう。
最後のおやつとしていくばくかの干し肉をあげると、狼はおいしそうに頬張っていた。
フレキと別れて、エリンは森を出る。
線路の近くには道路もあって、馬車や徒歩の旅人が行き来していた。エリンは彼らに混じってミッドガルドの街に入った。
ミッドガルドは今までのどんな街よりも大きくて、どんな街よりも都会だった。
十階建て以上の建物が立ち並ぶ表通りは、馬車と人とが切れ目なく往来している。
建物の一階の店や飲食店では、まだ午前中の時間だというのに歓声が行き交っている。とてもにぎやかだ。
エリンはさっそく人酔いしてしまった。よろよろとした足取りで目的地へと向かう。
目的地はセティの実家だ。
実家はミッドガルドの北部区域にあって、機械技師のおじいさんがいるとのことだった。両親はもう亡くなっているらしい。
セティが帰ってきたら思考統制を解いて、彼の実家で隠れてロキを待つ。それが作戦の次の段階だった。
北部地域に行くに従って、街並みはさらに雑多になった。どうやら目的地は下町に相当するようだ。
大きな通りを一つ外れれば、迷路のように入り組んだ路地が続いている。
エリンは何度も迷いそうになりながら、セティから教えてもらった地図のイメージを思い浮かべて進んだ。通常の紙に書いた地図ではなく、
「あそこだね」
エリンは建物の一つを見て呟いた。
小さな広場に面した角地の建物で、六階建て。一階は工房になっている。カーン、カーン、キンキン、と金属を叩く音が響いている。
通りすがりのふりをして工房を覗いてみると、もじゃもじゃヒゲの初老の男性と、他に何人か青年や中年の男性たちが作業をしていた。たぶん、ヒゲの人がセティのおじいさんだろうとエリンは思った。
先にエインヘリヤル本部へ行ったセティが、いつ帰ってくるかは分からない。
エリンはこっそり、おじいさんに
「あとは、どうしようかしら」
人酔いで疲れてしまったし、後々シグルドを取り戻す作戦が控えている。ミッドガルド観光だと浮かれる気分には程遠い。
ただ、今後の作戦に備えて土地勘を養っておくのはいいかもしれない。
エリンは工房を離れて、散歩をしてみることにした。
夕暮れ時、薄暗くなるまでエリンが街歩きをしていても、マーキングに反応はなかった。
「困ったなあ」
思わずエリンは呟いた。
手元にお金はある。ベルタとロキが当面の資金を分けてくれたのだ。
だから宿に泊まろうと思えばできるのだが、なんだか嫌な予感がした。
カア、カァと頭上をカラスが飛んでいく。真っ赤な夕焼け空に真っ黒なカラスは、どこか不気味な組み合わせだった。
エリンは宿を探そうと思って、表通りまで行ってみた。
すると人通りが多いのは変わらないのだが、群衆が何箇所かに集まっている。
彼らの中心に大声を張り上げる人がいる。黒い制服を着ているので、何かの役人のようだ。
明かりが灯され始めたガス燈の光が、制服を鈍く光らせていた。
エリンは人混みをかきわけて、できるだけ前に行った。
「市民諸君、静粛に! 静粛に聞くんだ! 大事件が起きた。主神オーディンの戦士、エインヘリヤルに裏切り者が出たのだ。
その名は第九小隊元隊長、シグルド! 奴は悪神ロキとムスペルヘイムの悪魔どもと結託して、オーディン様に害意を向けた。絶対に許されないことである!」
オオーッ、と群衆から声が上がる。
エリンは耳を疑って、さらに制服の言葉を聞いた。
「第九小隊の他のメンバーも、裏切りが確認された。
奴らには悪魔の一人が同行していたが、そいつは姿をくらましている。だが、市民諸君の心配には及ばない。ここは主神オーディンのお膝元、ミッドガルド。ヴァルキリー様が目を光らせて、悪魔をすぐに捕まえてくれるだろう!」
再び群衆から歓声が上がった。
エリンは怖くなる。どうしてこんなにも、誰もがあの人の言葉を信じているのだろう。思考統制のせい?
「ヴァルキリー様が取り調べた結果、第九小隊の罪は確定した。よって明日、彼らの処刑を実行する。中央第二広場にて、銃殺刑だ!」
轟くような声が群衆から響いた。誰も彼もが興奮に顔を赤くして、裏切り者を殺せと叫んでいる。
(まさかこんなに早く、事態が動くなんて)
狂乱する群衆から少しずつ離れながら、エリンはロキの言葉を思い出す。
『私の予想では、まだオーディンとアースガルドは正確な情報を得ていないのだろう。シグルドはエリンと数ヶ月をともに旅したが、お前の能力全てを知っているわけではない。私の偽装と隠蔽術は、常にお前にかかっていたからな。
オーディンが事態を把握しきっていないのは、第九小隊のメンバーを呼び寄せようとした件からうかがえる。他のメンバーを尋問して情報を引き出すつもりだろう。だが、彼らには私の思考統制プログラムが入っている。ヴァルキリー程度であれば破れぬし、たとえ他のアース神族――そうだな、例えばフレイ辺り――でも、そう簡単には解けない。
よっておそらくは、セティらは当面、開放されるだろう。エリン、お前は彼に合流して待機してくれ。アースガルドに侵入する方法は、一応は存在する。準備をしてくるから、待っていてくれ』
ただしロキは、最悪のパターンとして今回のような事態も言及していた。あくまで可能性は低いが、と前置きして。
『オーディンが過激な手に出て、一気に解決をはかる可能性もゼロではない。私とお前とをおびき寄せて、捕らえるためだろう。
決して軽率に動かず、連絡を待て。私は必ずお前を助ける。今度こそだ。どうか、信じて欲しい』
エリンはロキの言葉を何度も頭の中で繰り返しながら、セティの実家に戻った。孫の処刑を聞いて、あのおじいさんが悲しんでいると思ったからだ。巻き込んでしまうから、エリンから言葉をかけるのはできないけれど、せめて顔を見ておこうと思ったのだ。
セティの実家が面している小広場まで行く。処刑の報を聞いたのだろう、辺りは騒然としていた。
工房の奥で、おじいさんががっくりとうなだれているのが見えた。エリンは胸の痛みを押し殺して、心の中で頭を下げる。
(これからどうしよう。一度街を出て、森でフレキと合流しようか)
エリンがそう考えた時。
「やあ、お嬢ちゃん」
後ろから肩を掴まれた。エリンはぎくりと身を強張らせる。
首をひねって振り向くと、金の髪と無精髭の中年男性がこちらを見ていた。どこかで見覚えのある面差しの人だった。
「<砂漠の砂は、とても熱い>」
彼が言った。唐突な言葉にエリンは目をぱちくりとさせて、すぐに気づいた。
教えられた通りの言葉を返す。
「<砂トカゲだって、足の裏が焼けてしまう>」
「おう。合言葉、ちゃんと言えたな」
男性がにぃっと笑った。
「最悪の事態になっちまったな。仮面の旦那から事情は聞いてるよ。俺らのアジトまで来てくれ」
そうして彼らは、喧騒に包まれた人々の間を縫って進んでいった。
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