第37話 私が私であるために
エリンはさらに続けた。
「ロキさんが敵の目を引き付けている隙に、私はセティたちを取り戻します。その場合、アースガルドは私たちを追撃するでしょうか?」
腕を組んだままでロキが答える。
「微妙な線だな。奴らにとって一番重要なのが私の確保で、次がシグルドのバナジスライトの収穫だろう。第二段階の能力者に過ぎない他のメンバーと、正体が割れていないエリンにはさして興味を示さない可能性が高い」
「では私の正体とやらを、思いっきり派手に見せつけたら?」
「…………」
ロキは押し黙った。
正直に言えば、『正体』は未だエリン自身にもよく分かっていない。ロキと同類であるらしいが、アース神族の一員なのだろうか。
自分が神様だなんて、エリンには全く実感できない話である。
ところが。
「それは……それだけは、やめてくれ……」
ロキが呻くように言った。いつもは不遜な態度なのに、いっそ弱々しいほどの声だった。
ムスペルヘイムの人たちが戸惑っている。
エリンは驚いて、次いで確信した。この方法は有効打になり得ると。
「私にかかっている隠蔽術を解除して下さい」
「断る。お前がそこまで危険に身を晒す必要はない」
「危険なら、もう既に降りかかっています。そして、その危険を切り抜けるために頼んでいるんです!」
エリンがきっぱり言うと、ロキは仮面の視線をそらした。
「……どうしてお前は、そこまでして第九小隊の奴らを助けようとするんだ」
「どうしてって」
エリンはまばたきした。
「あの人たちは、私に優しくしてくれました。北の村でずっと心を押し殺していた私に、力の使い方と責任を教えてくれた。
私が異常な存在だと分かっても、見捨てないでいてくれた。私の大事な人たちです。
そして私のせいで、彼らは命の危機にある。助けに行かなければならない。
それ以上の理由がありますか?」
「だが私は、お前に人としての生を全うして欲しい。こんな所で、子供のままで死んで欲しくないんだ」
「長生きするのだけが、幸せなのでしょうか」
少し考えてから、エリンは言った。
「もちろん私も、死ぬのは嫌です。十三歳のこの年まで、いいことなんて何もないと思って生きてきた。でも違った。
世界は広くて、いい人も悪い人もいっぱいいる。私はもっともっと、色んなところを旅してみたい。ムスペルヘイムにも行ってみたい。きっと今までの旅と同じように、たくさんの出会いがあると思うから。
だからこそ、みんなを助けたい。あの人たちを見捨ててしまったら、私はもう私ではなくなる。教えてもらった責任を投げ捨てて、正しさを放棄して、卑屈に生きるしかなくなる。
そんなのは嫌です。私はもう心を押し殺したくない。
死ぬのも嫌です。だから、作戦が最大限成功するように、手を考えています」
エリンが言い切ると、部屋の中に静寂が訪れた。機械類の駆動音、電子音だけが響いている。
「エリン嬢ちゃんの言うとおりだぜ」
最初に口を開いたのは、スルトだった。
「今回俺らが呼ばれたのは、シグルドとやらの奪還とアースガルドの偵察のためだったが。
オーディンのクソ野郎にも、そろそろ本気で反撃しねえとな。いつまでも隠れ住んでいるだけじゃあ、ムスペルヘイムの開祖様に申し訳が立たん。そうだろ、シンモラ?」
スルトは横の女性に言った。彼女はうなずく。
「ええ、そうですね。最近のムスペルヘイムの状況は、良く言ってジリ貧でした。このままでは遠からず、砂漠の民は散り散りになって消滅するでしょう。
エインヘリヤルの切り崩しと、第三段階の能力者の確保。それにロキ様とエリンさんの助力。これらがあれば、反撃の嚆矢になると考えます」
部屋中の視線がロキとエリンに向く。
けれどもロキは拳を握った。握って、その手を震わせていた。
「勝手なことを――」
怒りと別の何かの感情。押し殺しきれない想いが、彼の声を揺らしている。
「私がどんな思いでエリンを手放したか、何も知らぬくせに。私はこの子に、一個の命を全うして欲しいだけだ。たったそれだけの望みなのに、何故邪魔をする……!」
「ロキさん」
エリンが言う。対照的に静かな声で。
「私が私として生きるために、必要なんです。あなたが私の親代わりだとしても、私はもう小さい子供じゃない。
あなたが術を解いてくれないなら、自分で何とかします。たぶん、できると思う。だってずっと、この術は私を守っていてくれたから。ずっと私と一緒にあったから……」
事実だった。村を出てから、否、孤児として暮らしている時から、常にペンダントの内側に発動していた力。熊の白獣以降顕著になったが、その前からエリンには壁があり、殻があった。旅を始めてすぐの夜、ラーシュと視た心の光景そのままに。
ロキはエリンの言葉を聞いて、立ち尽くした。
エリンの今の力を鑑みて、解除は可能と察したのだ。
彼が拒んでも、エリンは実行するだろう。そして飛び立って行ってしまう。ロキの手の届かない場所まで。
「……分かった……。せめて私の手で解除させてくれ。今すぐではない。作戦決行と同時に、だ――」
絞り出すような声で、彼はようやくそれだけを言った。
エリンはまっすぐにロキを見た。仮面の下の素顔を見据えるように。
「ありがとう。私、精一杯やります」
エリンの微笑みは、緊迫した状況に不釣り合いなもの。
それでも確かに、彼女の本心だった。
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