第38話 影の広場


 一夜が明ける。

 ミッドガルドの東部分に朝日が差した。巨大塔ユグドラシルが中央に存在するために、西エリアは午前中はすっぽりと影に覆われる。

 処刑場となる中央第二広場は、ちょうどユグドラシルのすぐ西にあった。

 最も影の濃い部分。

 朝日が届かないその場所に、熱狂した群衆が早くも集まっていた。


 かなりの広さのある円形の広場である。足元は滑らかな石のタイルが隙間なく敷かれ、中心部分にはオーディンのしるしの角盃が描かれていた。

 群衆たちは広場の東側以外――ユグドラシルがある方向――の三方に群がって、今か今かと待ちわびている。


「裏切り者を殺せ!」


「オーディン様に楯突く者に、正義の鉄槌を!」


 口々にそのような言葉を叫んでいる。

 それらの人々にまぎれて、エリンは改めて空恐ろしいものを感じていた。


(この人たちだって誰かの親で、息子や娘で。家族や友人に対しては、きっといい人なのに。どうしてこんなにも敵意を剥き出しにするのだろう。憎しみを隠さないでぶつけるのだろう)


 けれど今は、疑問を深く考える時間はない。

 エリンの横には、フードを目深にかぶったスルトとシンモラがいる。露出がほとんどない服を着て、褐色の肌を隠していた。幸い今は寒さの残る早春、厚着をしても誰も不審に思わない。

 他にも、能力者ではないがミッドガルド人の協力者も何人かが散っている。


 やがて太陽が少しずつ高く登り、処刑の時間が近づいていた。

 ユグドラシルの高層部、雲の上から何人ものヴァルキリーが羽ばたいて降下してくる。純白の大きな翼が、陽光を反射してまぶしく輝いた。

 人々は歓声を上げた。


「ヴァルキリー様!」


「なんとお美しい。さすが、オーディン様の戦乙女」


 ヴァルキリーは揃いの仮面を身に着けて、そっくりな色の金の髪をなびかせている。髪型や、鎧やアンダーコートのデザインこそ多少違うものの、気味が悪いくらいに互いによく似ていた。

 エリンは嫌悪感を押し殺した。やはり、あれらは到底好きになれない。


「裏切り者をここへ!」


 ヴァルキリーの一人が声を張り上げた。不自然な揺らぎを伴う声。

 その音声に打たれて、群衆はさらに熱狂を深める。

 そして、セティたちが引き出された。

 三人とも布で目隠しをされて、奇妙な色に光る銀の鎖で両手を繋がれている。


(――能力封じの鎖)


 エリンは鎖の正体を見抜く。複数のチャンネルで拘束者の能力を封じる力が、鎖から発せられていた。


「あいつら、様子が変だな」


 すぐ横でスルトが言った。


「目隠しに鎖で拘束されているにしても、まるで魂が抜けたみたいだ。アースガルドの連中に、何かされたか?」


 セティたち三人は、ヴァルキリーに付き従うように歩いてくる。覚束ない足取りだ。

 反抗する様子はなく、ただふらふらとしている。明らかに異様な状態だった。


 エリンはペンダントを握る。ヴァルキリーに察知されないよう、そっと走査スキャンを走らせた。


「……強すぎるくらいに思考統制がかけられています。今は意識がほとんどないみたい」


「ふん。相変わらずえげつないことしやがる」


 スルトが吐き捨てて、シンモラは首を振った。


「心配ですね。後遺症が残らないといいですが」


「――後遺症」


 エリンは呟いた。そういう可能性もあるのだ。

 アースガルドは、セティたちを殺そうとしている。であれば何の遠慮もなく、尋問や拷問を行ったのだろう。


(私のせいだ……)


 エリンは歯を食いしばった。必ず、彼らを助け出さねばならない。


「殺せ、殺せ!」


「悪魔の手先を殺せ!」


 周囲の人々は変わらず、殺意と憎悪を隠そうともしない。それどころか自分たちこそが正しいと疑っていない様子だ。

 巨大なユグドラシルの影に沈みながら、暗い熱狂が広場を支配し続けている。


 セティたちは幽霊のような足取りのまま進んで、広場の中央に立った。

 人間の兵士が三本の杭を持ってきた。杭を地面に固定して、セティらを後ろ手に縛り付ける。

 別の兵士たちが銃を持って来た。

 セティたちから少し距離を取り、群衆のいない東方向へ銃口を向けて構える。


「これより、罪人どもの処刑を執行する。罪状は主神オーディンへの裏切り。こやつらは栄誉あるエインヘリヤルの一員でありながら、ムスペルヘイムの悪魔と通じ、このミッドガルドに悪を持ち込んだ。決して許されない行為である」


 ヴァルキリーの一人が地上に降り立ち、朗々と言った。叫んでいるわけではないのに、気味が悪いほどによく通る声だった。

 群衆がいっせいに賛同の声を返す。


「罪人はこの三人だけではない。小隊長のシグルドは、ムスペルヘイムだけではなく、悪神ロキの手先であると判明した。より罪が重いと言えよう。

 ゆえにシグルドは、銃殺ではなく獣刑にて死刑を執り行う。オーディン様の聖なる眷属、銀狼により生きたまま噛み殺させる!」


 熱気と驚きとが高まった。


「銀狼をこの目で見られるのか!」


「ヴァルキリー様のお言葉を賜るだけでありがたいのに、なんと幸運な」


 ヴァルキリーが軽く手を上げた。すると群衆はすうっと沈黙する。


「ミッドガルド市民諸君よ、諸君らの忠誠心はよく伝わった。――それではまず、その三人の死刑執行を」


 銃を構えた兵士がうなずき、空中にいたヴァルキリーたちが地上に降りてくる。


 今だ、とエリンは思った。

 スルトとシンモラに素早く目配せをして、ペンダントを強く握る。


 ペンダントの青い石が、炎のような熱を帯びた。みるみるうちに色彩が真紅へと変わる。


『ロキさん! お願い!』


 エリンが呼びかけた瞬間。

 ぱりん――と、彼女の中で澄んだ音がした。

 それはガラスが砕けるような、氷を突き破って芽吹く春の新芽のような、確かな胎動を予感する音。


「…………!」


 エリンの全身が熱を発する。特に右目の奥が熱い。体全体がペンダントと同化して、燃え上がるようだった。


 ざあ、と風が吹いた。

 エリンの髪が、宙になびく。その色はいつもの茶色ではなく――白銀。

 視界が一瞬だけ赤く染まり、すぐに戻る。瞳が赤色に変化したと、エリンは理解した。


 茶色い髪に青い目の少女は、もういない。

 銀の髪と真紅の瞳の娘が、誰よりも気高く力強く立っていた。


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