第10話 心の波紋
雪のテラスに立って、シグルドは言葉を続ける。
炎の明かりが彼の半身を照らして、もう半身を闇に沈ませていた。
「先程も言ったが、能力には系統がある。本来であれば、同じ系統の能力者が後輩を指導するんだが、エリンの場合は特殊だ。
まずは基礎的な修練を積んだ上で、安定して能力を使えるようにする。その後は本部に行って、ヴァルキリー様に指導を仰ごう」
「ヴァルキリー様、ですか? オーディン様に仕えているという、聖なる戦乙女」
「ああ、そうだ。ヴァルキリー様は我らエインヘリヤルのまとめ役で、アースガルドとミッドガルドを行き来して、オーディン様の意志を伝えて下さる。
来るべき時に、熟練のエインヘリヤルをアースガルドに迎え入れるのも、ヴァルキリー様の役目だ」
「迎え入れる……」
「エインヘリヤルは能力が熟練の域に達すると、オーディン様の
シグルドは笑って、先を促した。
「さあ、その辺りの話はまた今度。今は能力に集中しようか」
「はい」
シグルドが目配せすると、ラーシュが立ち上がって横にやって来た。
「我らエインヘリヤルの能力は、精神、つまり心が原動力となっている。だから――」
「僕が能力を引き出す手伝いをします。
「……それは」
エリンは怯んだ。心を探られれば、彼女の今までがばれてしまう。自分を押し殺して暮らし、打算をもって周囲に接してきたエリンの醜さが知られてしまう。
そして、いくつもの力を使うことが判明すれば、彼らは一体どう思うか。
エリンの様子を見て、ラーシュは困ったような笑みを浮かべた。
「ええ、他人に心を覗かれるなんて、嫌ですよね。僕もできるだけ、能力に関連する部分だけを視るようにします。……でも、能力は心の深い部分、苦しさや痛みを伴う部分に関連しているケースが多い。どうしても、エリンさんのプライベートに触れてしまうでしょう」
「…………」
「プライベートな領域を視ても、決して口外しません。シグルドや他のメンバーに対してもです。共有するのは能力に関連する部分だけ。ヴァルキリー様には全て報告の義務がありますが、彼女らは僕など足元にも及ばない能力の使い手。もとより隠しても無駄でしょう」
「エリン。無理強いはしなくない。だが、エインヘリヤルとして主神オーディンのために働く以上、避けて通れない道なんだ。どうか、覚悟を決めてくれ」
彼らが気遣ってくれているのは、十分に感じられた。
けれどエリンは、自分の能力があまりに特殊――系統に属さないどころか、様々な系統の能力を使えるとを知られたら、また一人になってしまうのではないかと恐れた。
知らず、ペンダントを握り締める。
――ふと、エリンは思った。
爪弾きにされるのは悲しい。
でも心を視てもらえば、エリン自身が覚えていない過去が分かるかもしれない……?
エリンがあの辺境の村に住み始めたのは、四、五歳の年頃。物心はついていたはずなのに、それ以前を一切覚えていなかった。
彼女の一番古い記憶は、教会の前に座っているところ。あの時もやはり冬の夜で、凍える風と降りしきる雪が冷たくて、悲しかったのを覚えている。
もしもあの夜を超えて、さらに過去の記憶を探せるなら。
「……分かりました」
エリンは言った。恐れと期待を同時に込めて。
エリンとラーシュは向かい合って立った。他の三人は少し離れて見守っている。
十三歳としては小柄なエリンは、大人の男性であるラーシュとかなりの身長差がある。
「――失礼」
ラーシュが言って手袋を脱ぎ、右手の人差し指と中指を揃えてエリンの額に触れた。
右の中指は、オーディンのしるしが入った指輪が嵌められている。
「エリンさん。これからあなたの心に呼びかけて、記憶に波を起こします。もしも気分が悪くなったら、教えて下さい。休憩をしますから」
「はい、分かりました」
「心を楽にして下さい。決して傷つけるような真似はしません。どうか僕を信じて――」
ラーシュの声が肉声を離れて、エリンの心に染み込んでくる。
エリンの心の表面に、雨粒が落ちるような感触があった。それは始めは小さく、徐々に広く、水面に波紋を広げるように広がっていく。
同時にエリンの脳裏に、今までの思い出が蘇っては消えた。
つい先日の白い獣と対峙した時。必死の思いで子どもたちを逃したこと。
熱を帯びるペンダント、変わる色彩。
『ふむ……。確かにこれは、障壁の能力。こんな力は初めて視た。この力、いったいどこから』
意外な近さでラーシュの声が響いて、エリンはわずかに身をこわばらせた。
『エリンさん、今、僕の声が聞こえました?』
『はい』
エリンが心の中で返事をすると、ラーシュの意志が身動きした。
『成る程。あなたは
……申し訳ありませんが、もう少し深いところまで波を起こします』
次の雨粒は表面を滑るように落ちて、エリンの中に染み込んでいった。
エリンの心がゆるゆると揺れる。少し昔の思い出が蘇る。
教会の子どもたちがもっと小さかった頃。寂しがって泣く彼らに寄り添って、一晩中背を抱いていたこと。
おかげで風邪を引いてしまって、司祭に叱られたこと。もっと自分を大事にしろと。
料理を初めて間もない頃、慣れないナイフで指を切ってしまったこと。痛くて血がたくさん出て、泣きそうになった。
司祭が手当をしてくれて、包帯を巻いて。
次の日になると、傷はもう消えていた。痛みが消えたのが嬉しくて、司祭に指を見せたら……心の声で化け物と言われたこと。
以降、怪我をして治ってしまっても、その上からまた同じような傷をつけて誤魔化していた。
『超回復……』
ラーシュの声が呟いている。そういう能力が存在するようだ。
心の波紋はさらに深まっていく。
記憶の中のエリンは、だんだんと幼く小さくなっていった。
そして、あの夜。
小さな幼児のエリンが、白い闇の中に座っている。膝を抱えて座っている。
辺りには雪が舞っている。
ふと、そばに誰かがいると感じる。
目を上げればきっと、その人が見える。
エリンはそっと視線を上げようとして――
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