第25話 出発
五日後、準備を整えたエインヘリヤルたちは拠点の街を後にした。
町長や常宿の女将、狩猟ギルドの主だったメンバー、その他大勢の人々に見送られての出発だった。
「シグルド様、皆様がいなくなった後に白獣が出たらどうしたらいいのでしょう」
「第八小隊の連中と話をつけておく。すぐに応援が来るだろう」
「ベルタ様、この前はうちの猫を助けてくださってありがとうございました。あの子ったら、冬で寒いのが嫌いなくせに外に出てしまって、木から降りられなくなるんですもの」
「通りすがりだったから。猫みたいな小さい生き物なら、瞬間移動させても能力もたいして使わないもの。気にしないで」
「ラーシュ様、またお帰りになりますか? 子どもたちが勉強の続きを教えて欲しいと言っております」
「ええ、戻りますよ。僕で良ければ、また教師役をやりましょう」
「よう、セティ様。あんた、あんまり大人のエインヘリヤル様に迷惑かけるなよ。この前だって食堂の肉をつまみ食いして、料理長が困ってたぜ」
「おっちゃん、俺を子供扱いすんなよ! 肉もつまみ食いじゃないよ、あとでちゃんとお金を払ったもん」
などと賑やかな様子である。
エリンはひっそりと村を出た自分を思い出して、微笑んだ。
あの時は、見送ってくれたのは司祭と子どもたちだけだった。村長夫妻や他の村人は、エリンを見送ったのではなくエインヘリヤルに礼儀を示しただけだ。
それに比べて、この町の人たちの温かさはどうだろう。いい関係が築けているのだろう、シグルドらへの信頼が見て取れる。
「エリン様も、お元気で。まだお若いのに旅から旅で、大変でしょうに」
宿の女将に言われて、エリンはびっくりした。自分がそんなふうに気遣ってもらえるとは、思っていなかったのだ。
「ありがとう、女将さん。私は大丈夫。元気が取り柄です!」
笑顔で答えれば、明るい気遣いの気配が返ってくる。エリンの心に小さなぬくもりが灯る。
そうして彼らは南を目指して旅立っていった。
一行は雪道を歩いていく。
山に囲まれたエリンの故郷の村や熊が出た村と違って、辺りはゆるやかな丘陵地帯だ。急な斜面よりは歩きやすいが、それでも降り積もった雪は分厚く、石畳の街道は雪の下である。
今日の天気は晴れ。冬空で輝く太陽の光が雪に反射して、まぶしいくらいだ。皆、帽子のつばを目深にしてかぶっている。ざく、ざくと雪を踏む音が辺りに響いた。
「馬そりを借りられれば良かったんだが」
足を止めないままでシグルドが言った。ラーシュがうなずく。
「行商人がちょうど出発した後でしたからね。街に残っている馬そりは、薪や食糧の運搬に欠かせないもの。人々の生活必需品です。取り上げるわけにはいきません」
「私の能力が回復してきたら、ちょこちょこ瞬間移動<テレポーテーション>で進みましょ。上り坂とか歩きにくい場所を中心にね。白獣と出くわしたとしても、索敵と追跡がなければ私の出番はあまりないし」
ベルタも答えた。
「ねえねえエリン、俺の能力からシグ兄の魔剣みたいなの出ない? 百歩譲って剣でなくていいから、なんかない?」
「えーっと……」
相変わらずのセティにエリンは苦笑した。
「ごめんね、分からないよ。あの時も熊の妨害能力波<ジャミング>を打ち破るのに必死で、一番いい方法を探っていたら、自然にシグルドさんの魔剣が出てきたの」
「エリンがもっと自分で力をコントロールできるようになれば、誇張抜きでヴァルキリー様の域に達するかもしれんな」
と、シグルド。
ヴァルキリーは神の御使い。神格は低いがそれでも神々の一員であることに間違いはない。人間とは非常に大きな隔たりがある。
セティはうんうんとうなずいているが、ベルタとラーシュは無言である。
「そういえば、皆さんはヴァルキリー様に会ったことがあるんですか?」
首を傾げながらエリンが言った。
彼女にとってヴァルキリーとは、教会のステンドグラスに描かれた有翼の女性である。聖典では主神オーディンに仕え、人間たちに神の言葉を伝える役目に就いていると学んだ。その程度のことしか知らない。
どちらかといえば実在の存在と言うより、聖典の中の伝説上の天使のような感覚だった。
「もちろん、会ったことあるよ。ミッドガルドの本部まで行けば、ちゃんと会える。いつでも面会できるわけじゃないけど、エインヘリヤルとして能力に目覚めて、最初に本部に行った時は、ヴァルキリー様が挨拶を受けてくれるんだ」
セティが言う。
「俺はすごく早い年で能力に目覚めたから、ヴァルキリー様に力を鑑定してもらったよ。優秀な透視能力者<クレアボヤンサー>だってお墨付きをもらった。
ヴァルキリー様はすごくきれいな女の人で、真っ白い翼が生えてるんだ!」
「へぇ~」
その時の得意そうなセティの顔を想像しながら、エリンは相槌を打った。
「あとは、熟練したエインヘリヤルを迎えに来る役目もあるね」
「どこに迎えられるんだっけ?」
「アースガルド。神々の住まいさ。ミッドガルドの街のど真ん中にある、ユグドラシルの空の上にあるんだ」
「アースガルドに迎えられたエインヘリヤルは、神々の末席に加わる栄誉に浴した上で、残りの人生を能力の研鑽に費やすそうだ」
シグルドが付け加えた。エリンは聞いてみる。
「アースガルドに行ってしまった人は、時々でも里帰りできますか?」
「いいや。神の一員になるのだからね。人界との接触は一切断つことになる」
「え……それって……」
残された人にとっては、その時点で死ぬのと同じでは。
そう言いかけて、エリンは言葉を飲み込んだ。
シグルドもセティも、他の二人も、アースガルドに迎えられるのはとても名誉なことだと思っている。疑う余地は一切ないというように。
今ここでエリンが疑問を挟んでも、どこまで聞いてもらえるだろうか? むしろ神々の威光を信じない不届き者だと思われないだろうか?
(時々、おかしな感じがする)
エリンは思う。白獣の病に関しても、主神オーディンとヴァルキリーの行いに対しても、彼らはひどく盲目的だ。
神の戦士としての忠誠心ゆえと言われればそれまでだが、どうにも引っかかった。だって彼らは、本当は思慮深くて優しい人たちだから。
エリンは胸のペンダントを握る。色は青いままなのに、やはり薄っすらと熱を感じた。
頭の奥で微かに能力行使の『声』がしている、ような気がする。熊を殺して以来、ずっとこうだ。
シグルドの言う通り、もっと自分で力をコントロールできるようにならなければ、とエリンは思う。何かあった時に、素早く的確に対処できるように。熊の時のように犠牲を出すのはもう嫌だった。
まぶしい雪景色の中を彼らは歩いていく。
後には点々と、足跡が残されていた。
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