獣の章

第三章 冬熊

第14話 新たな問題


 約十日の旅を経て、エリンたちは新しい街へと到着した。

 エリンの住んでいた北の最辺境から南下した場所にあるせいで、積雪もやや少ない。

 主な街路は除雪されていて、石畳の上を馬車が走っていた。街路の脇には雪が壁のように積まれている。

 街路の脇には商店が軒を連ねている。一定間隔で設置されたガス灯は、昼間の今は灯されていないが、夜になればあかあかとした光で夜を彩ってくれるのだ。


「どうしたエリン、ぽかんと口を開けて」


 シグルドが苦笑交じりに言う。

 エリンは初めて見る街、初めて見る沢山の人に圧倒されてしまっていた。


「こんなに大きな街を見たのは、初めてで」


「えーっ、そう? ここらだって田舎じゃん。ここでそんな顔してたら、ミッドガルドに行ったら腰を抜かしちゃうよ!」


 と、セティ。ベルタとラーシュは微笑ましそうに年少組を見ていた。


「とりあえず荷物を宿に置いてこよう。白獣の目撃情報がないか、聞き込みもだ」


 シグルドが言って、一行は歩き出した。

 歩きながらセティがエリンに話しかける。


「ねえねえ、エリンの村からこの街、そんなに離れてないよね? 冬だから十日もかかったけど、夏の雪がない時なら三、四日ってとこじゃない?」


「うん、そのはずだよ」


「それなのに来たことなかったの?」


「うん。私は孤児だから。お出かけする機会なんてなかったもの」


「あ、う、そっか。ごめん……」


 セティがしょんぼりした様子になったので、エリンは笑いかけた。


「謝ることなんてないよ。平気」


「うーん。俺、いまいち人の気持がわかんなくてさ。じいちゃんにもよく怒られてた。もっと他人の気持ちを思いやれって」


「おじいちゃんがいるんだ」


「うん。怒るとおっかないけど、すごい技師で、いいじいちゃんだよ」


 そんなことを話しているうちに、常宿に到着した。こぢんまりとしているがよく手入れが行き届いている、感じの良いレンガ造りの建物だった。


「エインヘリヤル様、おかえりなさいませ」


 宿のおかみが出迎えてくれる。

 エインヘリヤルとは、主神オーディンの勅命で編成された異能戦士団。常人の手には負えない害獣・白獣を狩るのを任務としている。その他にも犯罪者の捕縛なども行う。

 神の御使いであり正義の執行者として、尊敬される存在だった。


「ただいま、おかみさん。何か新しい話は入っているかい?」


 シグルドが温和な笑みを浮かべて、応対している。おかみは表情を曇らせた。


「せっかくお帰りになったばかりなのに、白獣の噂が出ていますよ。場所はこの街の西側です」


「ふむ」


「狩人たちが、詳しい話を知っているはずです。狩猟ギルドへお願いします」


「ああ、そうするよ」


 一行は荷物を下ろして早々に、狩猟ギルドへと向かった。

 狩猟ギルドは堅牢な石造りの建物である。鹿の枝角が組まれたエンブレムが門を飾っていた。


「シグルド様!」


 エインヘリヤルたちが中に入ると、入口近くにいた若い男が声を上げた。


「良かった、帰って来たんですね。俺たちじゃもう対処ができなくて、弱り果てていたんです」


 そう言って駆け寄ってくる。

 シグルドが答えた。


「白獣の噂があると聞いたが?」


「はい。……あぁ、立ち話も何ですね。こちらへどうぞ」


 少し奥の応接間に通された。革張りのソファに毛皮の敷物が敷いてある。

 壁には大きな鹿の首から上の剥製が飾ってあった。剥製のガラス玉の瞳が、エリンには少し不気味に見えて落ち着かなかった。


 一度席を外した先程の彼が、中年の男性を連れて戻ってきた。

 セティが耳打ちでエリンに教えてくれる。


「あのおっちゃん、狩猟ギルドの偉い人だよ」


「詳しい話を聞きましょう」


 シグルドが言うと、ギルド長はうなずいた。







「事の発端は、西の村で熊の目撃情報が出たことでした。

 普通、熊は冬の間はずっと冬眠していて、目覚めるケースはまずありません。ただし子育て中のメスであれば、冬の間に活動するのもありえます。

 そこで我々狩猟ギルドのメンバーが、様子を見に行きました。これが裏目に出ました。

 派遣したのは二人だったのですが、一人が遺体で発見。もう一人は見つかっていないものの、生存は絶望的と……」


 ギルド長は一度言葉を切り、続けた。


「その後、村人たちが何度か熊を目撃しました。体格はかなり大きく、メスではなくオスではないかと」


「ふむ……熊の白獣化でしょうか?」


 ラーシュが質問すると、ギルド長は首を振った。


「それがはっきりしないのです。村人たちが見た熊は、普通の熊と同じ黒い毛並みだったようで」


「じゃあ、普通のオスの熊が冬にうろついているの? そんなことがあるのかしら?」


 と、ベルタ。


「はい……。稀にそのようなことがあると、最古参の狩人が言っていました。

 熊は秋のうちにたっぷり食べ物を食べて肥え太り、冬は眠り続けます。蓄えた脂肪をゆっくり消費して、春まで保たせるのですな。

 ところが秋にあまり食えなかった熊は、腹をすかせて眠れず、冬になっても山をうろつく場合があるそうです。眠らずの熊は空腹と冬の寒さで気が立っていて、大変危険です」


「でもさー、白獣じゃないんでしょ? じゃあ俺たちエインヘリヤルが出るまでもないんじゃない?」


 セティが軽い口調で言って、ラーシュに睨まれた。


「セティくん、話を聞いていましたか? たとえ白獣ではなくとも、通常の獣よりもはるかに危険度が高く、犠牲者も出ている。人々の生活を守るのが神の御使いたるエインヘリヤルの本分です。そうですよね、シグルド?」


「ああ、そうだ。すぐに現地へ――西の村に向かいます」


 シグルドが力強くうなずいた。ギルド長は深く頭を下げる。


「ありがとうございます。案内人をつけますので、どうぞよろしく」


 こうして一行は、新しい任務を帯びて次の土地へ行くことになった。



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