第15話 小箱


 西の村までの移動は、半ばをベルタの瞬間移動で行った。

 彼女の能力はそれなりに回復していたし、既に犠牲者が出ている。急ぐ必要があると判断したためだった。


 三日ほどで村に到着。この村もエリンの故郷と大差ない寒村で、違いと言えば雪がやや少ない程度だ。

 村人たちは恐怖からかひどく緊張した雰囲気だったが、エインヘリヤルの到着を聞いて希望を持ったらしい。少しばかり明るい空気に鳴る。

 村長や熊の目撃者の話を一通り聞き取ると、熊は村の南側で活動していると推察された。


「狩猟ギルドの犠牲者の遺体はどこに?」


 シグルドが問う。村長は表情を暗くした。


「それが……、遺体というよりも残骸でした。骨の一部と衣服の一部だけが雪の中に埋もれていたのを見つけたのです」


「見せて下さい」


 狩猟ギルドの案内人が言って、一行は遺体が保管されている教会へと赴いた。

 話を聞いた司祭が小さな木箱を持ってくる。

 蓋を開けると、骨片と布の切れ端が収められていた。


「……間違いありません。彼の服です」


 布を手に取り、案内人が肩を落とす。

 エリンは改めて木箱を見た。

 両手のひらに乗るほどの小さな箱。それが、ついこの間まで生きていた人の全てになってしまった。

 死んでしまった人には二度と会えない。そんな当たり前の事実を思う。

 案内人は司祭から箱を受け取り、大事そうに抱えた。


「街の家族に必ず渡します。こいつには奥さんと娘さん、それに年をとった親父さんがいるんです。

 くそ、こんなことになるなら、行かせるんじゃなかった……」


 その肩に手を乗せ、ラーシュが言う。


「仇は取ります。これ以上、犠牲が出ないように。それで死者が戻るわけではありませんが、残った人々の心が少しでも慰められるよう、願います」


「ありがとう、ございます……。必ず熊を殺して下さい」


 案内人の目は悲しみと憎しみがないまぜになっている。

 エリンは胸を痛めながら、彼を眺めていた。







 案内人を礼拝堂に残し、エインヘリヤルたちは教会の一室を借りた。


「さて。まずは熊を見つけなければならないが、白獣ではないとなると、少々やっかいだ」


 シグルドが言う。エリンは聞いてみた。


「どうしてですか?」


 ラーシュが答える。


「白獣は独特の精神波を出しているから、精神感応者テレパシストが探知できるのですよ。通常の動物であれば、その方法が使えません」


「エリンと最初に出会った時も、ラーシュが見つけた位置に私が瞬間移動したの」


 ベルタが続けた。


「そうだったんですね」


 あの時、どうして位置が分かったのか不思議だったが、エリンはようやく納得できた。


「地道に追跡して探すしかないな。案内人の彼と村の狩人に応援を頼もう。熊を発見した場合は信号弾を打ち上げてもらって、すぐにベルタが瞬間移動する」


「了解」


 シグルドの案にベルタがうなずいた。


「白獣の可能性もあるかもよ?」


 セティが言って、ラーシュが首をかしげた。


「そうですね。一応、探知もしておきましょう。……そうだ、エリンさんの訓練も兼ねましょうか。精神感応テレパシーの網をできるだけ広げる練習を。サポートはします」


「はい。頑張ります」


 エリンはうなずいた。これまでの訓練で精神感応テレパシーの使い方も少し分かっている。

 やれるだけやろうとエリンは思った。

 と、ここでもう一つ疑問が出る。


「このお話、案内人さんと一緒にした方が良かったのでは?」


 方針の打ち合わせが二度手間になってしまうのでは、とエリンは思ったのだが。


「それは……」


 シグルドが困ったように眉を寄せた。


「白獣についての情報は、あまり一般人に話したくなくてね。精神波を出しているとか、能力者でなければ理解できないわけだし」


「それはそうですが……」


「エリンには、おいおい話すよ。とにかく今回は白獣ではない可能性が高い。だが油断せず、しっかりとやり遂げよう」


「はい」


「はーい!」


 それぞれが返事を返す。

 エリンは何やらすっきりしないものを感じながらも、気持ちを切り替えた。







 その後、案内人と村の狩人に方針を伝え、信号弾が手渡された。

 ラーシュの精神感応テレパシーでエインヘリヤルたちは互いに連絡を取るが、一般人は心の声が届きにくい。信号弾は彼らの身を守るために必要だった。


「そいつの使い方は単純、引き金を引くだけだ。撃つ時は真上に向かって、できるだけ木の枝などを避けてくれ。赤い光と音が撃ち上がる」


「はい」


 シグルドの言葉に案内人と狩人がうなずいている。

 彼らの獲物は銃ではなく弓矢だ。この地域ではまだ銃は普及しておらず、昔ながらの弓が主流ということだった。


「熊を発見しても狩ろうと思うな。すぐに信号弾を使って、俺たちを呼んでくれ。これ以上犠牲者を出したくない」


「分かりました」


 最後に念を押して、一行は村を出た。

 案内人とシグルド、狩人とベルタ・セティの組み合わせである。

 時刻は午後になったばかり。空は薄曇りで、冬の太陽が空の低い位置で淡い傘をかぶっていた。


「僕とエリンさんは後方で待機します」


 ラーシュが言った。やはり他人に白獣や能力に関しての話をしたくないようだ。

 エリンは山に行く仲間たちを見送った。


「では、もう少し村から離れてやってみましょうか」


 ラーシュとエリンは村を出て、山の入り口の方へ行く。


「手をつなぎましょうね。あぁ、手袋はしたままで大丈夫ですよ」


 エリンは言われた通り、彼の手を取る。


『始めましょう。やり方は、以前教えた基礎と同じ。思念を外へ、心の外側へ波のように広げて、生き物たちの心を感じ取る』


 ラーシュの声が心の声に切り替わった。

 エリンは教わったとおりに、心を外側に向ける。

 昔のエリンは、勝手に聞こえてしまう心の声が嫌だった。彼女に向けられる本音はだいたい、彼女への不信に満ちていたから。

 でも、今は。

 自分の意志で外を視れば、世界は驚くほどの多様さで満ちている。


 今も冬山の生命たちの声が聞こえる。

 雪が積もった枝の上を、リスが走っている。枝から枝に飛び移った拍子に雪がひとかけら、地面に落ちた。

 その先にウサギがいる。落ちてきた雪をかぶって、びっくりしている。深い雪の上を飛び跳ねて、足跡が続いていく。

 そのウサギをじっと見ている瞳がある。雪をかぶった笹の葉の茂みから、キツネが鋭い目で獲物を物色している。襲いかかるタイミングを見ている。


 動物だけではない、植物の気配も感じる。凍った樹皮の下で春を待ちながら、ゆっくりと樹液を巡らせている。

 雪に埋もれた地面の近くに、枯れた笹の群れがある。葉っぱは枯れているけれど、地下茎は生きている。

 雪にうずもれて、雪に守られた土の下で眠りながら、小さな虫たちと語らっている……。


『驚いた。もうそこまで視えるのですね』


 すぐ近くでラーシュの声がして、エリンは我に返った。


『ごめんなさい。生き物たちの声を聞くのが楽しくて、探すのを忘れていました』


 エリンが恥ずかしくなって言うと、ラーシュが微笑んだ気配がした。


『今は訓練ですからね。エリンさんのやりやすいように、やってみて下さい』


『はい』


 エリンは再び冬の山々に意識を向けた。

 馴染んだ気配がする。ベルタとセティだ。セティは相変わらず、あちこち透視しながら雪の上を歩いている。


 と。

 村の狩人が足跡を見て、緊張を発した。熊の足跡を発見したようだ。

 慎重に追跡を始める。

 ラーシュが精神感応テレパシーを中継して、シグルドに状況を知らせている。

 ベルタがシグルドを転移で呼び寄せるか迷っている。

 狩人が「まだ熊が見つかったわけではありませんから」と言って、彼女は判断を先送りした。


 狩人は緊張の面持ちで足跡を追っていく――


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