第9話 暖かな夜


「今日の移動はここまでにしよう。キャンプの準備を」


 夕暮れが近づいてきた時刻、シグルドが言った。

 辺りは冬の夕陽がに照らされて、淡い茜色に染まっている。

 空は夕焼け、大地は雪明かり。天と地との境目が曖昧になる、不思議な光景だった。


「ここの斜面に、俺がざっくり横穴を掘るよ。細かい手直しは手作業でやろう」


 彼は言うと、背負っていた荷物を雪の上に降ろした。少しばかり斜面を下る。良い塩梅の場所を見つけてうなずいた。

 彼の手袋を嵌めた右手が伸びる。人差し指と中指を合わせて空中を切るように動かせば、同じ形で雪が切り出された。

 ズ……と音を立てて雪がずれ落ちていく。

 シグルドは右手を手前に引き寄せた。切り出された雪の塊が前にせり出して、テラスのような空間を作る。

 パウダースノーは圧縮されて固くなっており、崩落の危険はなさそうだった。


「こんなもんかな?」


「お見事です」


 ラーシュが答えて、荷物からテントの防水布と支柱を取り出した。ベルタと協力して雪穴に設営を始める。


「エリン、シグ兄はすごいだろ。戦士としても一流の念動能力者サイキッカーなのに、こういう細かいのも得意なんだ」


 セティが我がことのように得意げに言っている。

 シグルドが近づいてきて、少年の頭をわしゃわしゃと撫でた。


「お世辞を言っても、おやつは増えんぞ。能力を言うなら、セティも大したものだ。たった十二歳で力に目覚めて、十三歳の今はエインヘリヤルの務めを立派に果たしている。俺の自慢の弟分だよ」


「へっへーん!」


「で、その自慢の弟は、さっさとテント張りに行きなさい。エリンはやり方が分かるかな?」


「いえ……。やったことがなくて」


 エリンは北国育ちだが、あの村から出たことはほとんどなかった。今回のように雪の中を移動して、キャンプをするのも初めての経験だった。


「それなら、俺が教えてあげる! 一緒にやろうよ」


「……うん! ありがとう」


 セティは満面の笑みを浮かべて、エリンに手を差し出した。

 手袋の嵌ったその手を、エリンはしばし眺めて。

 やがて思い切って握り返せば、少年と少女は仲睦まじく雪穴へと足を向けた。







 雪の横穴に設営したテントは、予想以上に快適だった。雪に囲まれているために暖かくて、ここが凍える冬山だと忘れそうになる。

 テントの入口前、雪を固めてテラスのようになった場所で皆で夕食を取った。

 携帯用の硬いパンとスープが献立だ。スープは干し肉と乾燥野菜を少し入れて、バターと塩で味付けをする。

 バターの脂がスープの熱さを閉じ込めて、身体の内側から温めてくれた。


 食事はおいしくて、団らんは楽しい。

 たが、エリンは疑問に思う。

 炊事の際の火は、マッチと火打ち石とでつけられた。

 かつてのエリンのように、能力で火を放ったわけではない。


「火は、能力でつけられないのですか?」


 エリンが質問をすると、シグルドが答えた。


発火能力者パイロキネシストはここにいないからね。エインヘリヤルの能力は、基本は一人に一系統。稀に隣接する二系統を使いこなす者がいるが、それは非常に優秀な例だよ」


 パンを噛みながらセティが口を出す。


「俺の透視クレボヤンスとラーシュ兄の精神感応テレパシーは、似た系統なんだよ。でも俺、精神感応テレパシーは苦手。だって人の心は複雑すぎて、わけが分からないんだもん。物や機械や人の体みたいに、構造をすっきり透視できるのが、俺は好き!」


「僕の意見は反対ですけどね。心を持たない物質は、対話ができないじゃないですか。心を通じあわせてこそ、喜びがあるのに」


「ぜーんぜん、分かんないね。心なんて形がないもん。アテにならないって。それより物体の構造を見てみなよ、すげーきれいなんだぜ!」


 わいわいと言い合いをしているセティとラーシュを、シグルドとベルタは苦笑しながら見ている。

 そんな彼らを前に、エリンは黒い疑念が胸に生まれるのを感じた。


(能力は、一人一つ……? でも私は、昔から薪に火をつけたり、お皿を落としてもなぜか手元に戻ってきたり、高い木の枝の実が勝手に落ちて来たりした。傷が治ったこともあった。心の声だって聞こえていた。それに、あの光の壁。

 どうして? この人たちと違う力なの……? そんな、まさか)


『お前とは違う。同一視などせぬことだ。道を誤る』


 あの夜の、仮面の人物の言葉が蘇る。

 違うと分かれば、また爪弾きにされてしまうかもしれない。少しの暖かさに触れた後では、冷たさは何倍にもなってエリンの心を蝕んだ。


「エリンの光壁は、どの系統にも属さない特殊な力ね。極稀に、そういう人もいるわ」


 ベルタが言って、「おかわりいらない?」と聞いてきた。エリンは首を横に振る。

 そうして表面上は楽しい食事が終わり、手早く片付けて。


「さて、それではエリン。食べ終わったら、能力の訓練を始めようか」


 シグルドがエリンを見て、笑顔で言った。

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