第二章 旅の夜

第8話 冬山の旅


 ――もしも神がおわすならば、私の罪を赦さないで下さい。

 私は娘を利用して、あの子をただの道具として、我が目的のために使っていました。

 間違っていると気づいていました。しかし他に方法がなく、あの子を傷つけてしまった。


 もしも本当に、この世に神がおわすならば。どうか私に、罰を与えて下さい。

 けれども、あの子は何も悪くない。どうかあの子には、人として生きる権利を、幸せを与えて下さい――







 エリンたちは村を旅立って、少し離れた街を目指していた。ここ一帯の中では一番大きな街で、オーディンの異能戦士団・エインヘリヤルの拠点になっている。

 雪のない夏であれば、その街まではせいぜい三、四日程度の距離。

 だが深く積もった雪は歩きにくく、距離を進むのが難しい。まともに歩けば、十日はかかるということだった。

 一行は荷物を背負い、スノーシュー(雪上を歩くためのかんじきのような靴)を履いて、せっせと雪道を進んでいた。

 時刻は午前。曇り空の向こう側で、冬の太陽が淡く光っている。

 今は山の合間、斜面を抜けているところだ。夕方になったら雪に横穴を掘って、キャンプをする予定である。


「私の瞬間移動テレポーテーションで送ってあげられれば良かったのだけど」


 金の髪を指で弾きながら、ベルタが言う。


「この人数をあの街まで転送すれば、力が尽きてしまうわ。そうなれば、回復まで時間がかかる。回復前に白獣が出ないとも限らない。そんなことになったら、肝心の移動ができなくなってしまうから」


「今回の猪の白獣討伐で、何度も力を使ってもらったからね。エインヘリヤルの能力は強いが、無尽蔵ではない。自分の能力の限界を把握して、その場に適した運用をするのが大事だよ」


 先頭を歩いていたシグルドが、振り返って言った。精悍な面立ちに、頬当て付きの毛皮の帽子がよく似合っている。


「そうそう、俺さ、去年力に目覚めたばかりの頃、透視が面白くて、あっちこっち何でも見ていたんだ。そしたら急に頭が痛くなって、倒れちゃった」


「典型的な能力枯渇症状ですね」


 セティの言葉をラーシュが受けた。

 この二人も毛皮の防寒具を着込んで、スノーシューで歩いている。セティはずいぶん慣れた様子だが、ラーシュの足取りはまだおっかなびっくりだ。


「能力を一時に使いすぎると、最初は頭痛が起きます。それでも無理に続ければ、気絶して倒れるのですよ。

 もっとも、僕の精神感応テレパシーは燃費のいい能力なので、この系統の能力者はそんな羽目にはまず、なりませんが」


「俺の透視クレボヤンスも、ラーシュ兄の精神感応テレパシーと似た系統の能力なんだよ。だから燃費はいいはずなのに」


「セティははしゃぎすぎて、すぐ調子に乗るもの。いくら燃費がよくても、やりすぎたら倒れるわよ」


 ベルタが茶々を入れた。


「だってー、テンション上がったら『うおおおお!』って何でもやりたくなっちゃうじゃん」


「なりません。セティくんは落ち着きを身に着けましょうね」


「まったくだ」


 最後にシグルドが苦笑して、セティは不満そうに頭の上で手を組んだ。


「ちぇ。兄さん姉さんはいつもこうだ。お説教ばっかり!」


 口調こそ愚痴っぽいが、表情は明るい。

 エリンはそんな彼らのやり取りを、にこにこと笑顔で眺めていた。


(きっとこういう関係を、仲間とか家族とか言うんだよね?)


 エインヘリヤルたちはごく自然体でやり取りをしている。白獣を仕留めた時の緊張感も、今のようにじゃれ合っている時も、互いへの信頼が感じられる。


(いいな。私もここに入れてもらえるかな)


 エリンがそんなことを考えていると、一つ前を歩いていたセティが振り向いた。


「ねーねーエリン、エリンもつい夢中で力を使って、倒れたりするよね? 普通だよね?」


「え? えーっと……?」


 そう言われても、エリンが自分の意志で能力を発動させたのは数えるほどしかない。


「エインヘリヤルの力はさ、色んなことができるでしょ。面白いよね! 俺の透視クレボヤンスは、隠されているものが視えるんだ。前、ミッドガルドで犯罪捜査に協力した時、服の中に武器を隠していた犯人を見つけたよ。服も透視してやれば、ばっちりだもん」


「へえ、すごいね」


 エリンは言って、ふと思いついた。


「……もしかして、その気になれば誰の服でも透視できるの?」


「もっちろん! 俺に見えないのはユグドラシルとヴァルキリー様の鎧の中くらいさ。普通の服なんてあっという間に丸裸だよ」


「…………それは、私も丸裸にしてる……?」


 絞り出すようなエリンの声に、セティはさすがに失言に気づいた。


「あ、あの、してない、エリンの服は透視してない! そんな礼儀知らずはしないよ!? たまたまちょっと、もののはずみでちらっと見えたくらいで……」


「…………!!」


 エリンが真っ赤になったので、セティは慌てて駆け寄ろうとして――まだ不慣れなスノーシューを雪に引っ掛けてしまい、転んだ。

 そのまま山の斜面を転がっていく。


「うあああぁぁあぁ~~~。たーすーけーてー」


 遠ざかっていくセティの声に、ベルタが呆れたように肩をすくめた。


「あれはセティが悪いわ。女の子のプライベートを何だと思っているのかしら。シグルド、あなた、弟分をもっとしつけてあげて」


「えぇ、俺かい? 俺はセティのああいう天真爛漫なところ、好きだけどなあ。まあ女性の服の透視はいけない。それはよく注意しておこう」


「それよりも、いいんですか。だいぶ下まで転がっていますが」


 と、ラーシュ。

 坂の下を見れば、雪だるまのようになったセティが必死で手足をばたつかせていた。


「仕方ないわねえ。回収してくる」


 ベルタが言って姿が掻き消えた。同時に坂下のセティの横に彼女が立っている。手を貸して立たせて、次の瞬間にはエリンの目の前に戻ってきた。


「まったく、余計な力を使わせないで。罰としてきょうのおやつは抜きよ」


「えっ! そりゃないよぉ~!」


 雪だるまのセティはしょんぼりしている。シグルドとラーシュが雪を払い落としてやった。


「セティくんのおやつは、エリンさんに差し上げましょう。迷惑料です。いいですね?」


「はい……」


 セティは意気消沈しているが、エリンは首を振った。


「もらえません。私は別に、平気ですから」


 大人たちは目配せをした。代表してシグルドが口を開く。


「エリン、遠慮する必要はない。セティは能力の使い方を誤って、覗きなどという卑怯な真似をした。本来ならばもっと厳しい罰を与えなければならないが、故意ではなかったし、エリンはもう我々の仲間。軽い罰を与えて反省を促して、後は俺がよく言い聞かせておくよ」


 ベルタが続ける。


「だからエリンは、せめてものお詫びでセティのおやつを食べちゃいなさい。それで、できれば許してあげて」


「……はい。許すなんて、もちろんです」


 皆に優しくしてもらって、エリンは顔を赤くした。

 こんなことは、あの村では一度もなかった。何かあればエリンはいつも悪者にされていた。子どもたちはかばってくれたけど、大人から温かい目を向けられた経験はない。

 それが今では、皆が彼女を気遣ってくれる。それがとても……嬉しかった。


 そして、休憩の時にもらったセティの分のビスケットは、申し訳ないことにとてもおいしかった。


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