第55話 グングニル


(エリン、俺が見つけた情報、全部あげるよ! あの槍の情報。あれはユグドラシルから切り出して、それで……!)


 セティは必死にエリンの手を握った。

 神の槍が迫る。

 言葉で伝えている時間は、もうない。セティの力でもう一度偽物レプリカを作るのも、間に合わない。

 でもグングニルの本質を掴んだ彼は理解していた。エリンに伝えさえすれば、対処できる。


走査スキャン。グングニルの不明材質を再検証。――結果、オーディンの肉体と判明』


 ペンダントから迸る力に、エリンは何を為すべきか理解した。


「セティ、手伝って。私一人じゃ力が足りない!」


「うん、分かってる!」


『物質構築。偽物レプリカ・ユグドラシルを基盤として、エリンの肉体――左上腕骨を中心に切り出しを実行、構成』


『再構築。疑似・神造兵器グングニル』


 エリンの手に光り輝く槍が現れた。それはセティの偽物レプリカを上回る精巧さにして、緻密さを誇る。

 エリンのグングニルは真物を弾き飛ばした。衝撃はあったものの、穂先も柄もまだ無事だ。

 弾かれた真なる槍は放物線を描いて、主の元へと戻っていった。


「成る程なぁ……」


 真グングニルを手に戻して、オーディンは暗く笑った。


「これが、ロキの切り札か。そこまでして私を殺したいのか、あの男は! ……くくくっ、いいだろう。あいつの目論見が甘すぎると、身をもって知ってもらおうではないか」


 ギィン、と空間が軋む音がした。玉座の間の床が壁が激しく揺らいで、ぐにゃりと粘土細工のように歪む。

 その壁の一角から、八本足の馬がずるりと這い出た。漆黒の毛並みと雷光のたてがみを持つ巨大な馬は、オーディンの前にかしずく。ひらりと騎乗した彼女は、真グングニルを構えてエリンを蹂躙すべく、馬を走らせた。

 巨躯の馬に手も足も出せず、エリンとセティは必死で蹄を防ぐことしかできない。

 何度も真物のグングニルの一撃を受けて、エリンの偽物の槍はとうとう折れてしまった。


「くそ、まだ足りない。本物に届かない……!」


 セティが歯噛みしている。

 槍の材料として骨を切り出したエリンは、治療こそ施したが消耗は消えない。

 八本足の馬スレイプニルは今度こそ、守りの力を失ったエリンとセティを踏み潰そうとして――


 と。

 突然、横合いから白銀の大きなものが体当たりをしてきて、スレイプニルは吹き飛ばされた。騎乗していたオーディンもバランスを崩し、一度床に着地する。


「ワオ――ン!」


 誇らしげに大きく吠えたのは、狼のフレキだった。

 ユグドラシルに入ったばかりの場所で、ヴァルキリーの群れを引き付けてはぐれてしまった彼が、ここにいた。


「フレキ、どうしてここに!」


 エリンが問いかけるとフレキは答える。


 ――ヴァルキリー、ヤッツケテ、ベルタニ送ッテモラッタ。


「ベルタさんが? 彼女はどこ?」


 ――塔ノ途中デ能力ガ尽キテ、休ンデル。仲間ト一緒。


 ベルタの身の上は心配ないようだ。

 フレキが作り出した時間を使って、エリンとセティはもう一度偽物のグングニルを作り出した。先程よりももっと精緻に。もっと強く!


「次から次へと……」


 オーディンの声にわずかな苛立ちが混じっている。


「そんなにも死にたいのならば、もう加減はなしだ。僅かながらも慈悲をかけてやろうとしたのが間違いだった。下らぬ茶番に付き合うほど、時間は無駄にはできぬ!」


 真グングニルが鳴動する。共鳴したユグドラシルが、力を増幅させている。偽物を叩き折って二度と作れないよう、憎悪を燃やしている。


(共鳴)


 けれどセティは気づいた。グングニルの材質は七割以上がユグドラシルと同じもの。

 なぜ、ただの武器にそんな材料を使う必要がある?

 なにか理由があるはずだ。


 セティはエリンの手を取った。エリンの精神感応テレパシーで考えを読んでもらう。こうすれば言葉よりもずっと早く正確に伝わるからだ。


 ――エリン。グングニルとユグドラシルが共鳴してる。武器と塔、どうして共鳴させる必要があるんだろう。


 ――もしかしたらグングニルは本来、武器ではないのかもしれない。ユグドラシルを制御するための道具なのかも。


 ――あり得るよ! オーディンの体を二八・八パーセントも混ぜたのも、あいつがユグドラシルの管理者だからだ!


 ――それなら、対抗するべきは武器の威力ではなくて、ユグドラシルの乗っ取り?


 ――それだ! 俺、今から全力でユグドラシルの中枢を探す。見つけたら、エリンが介入して!


 ――分かった!


 これだけのやり取りを一秒に満たない間にやり遂げ、セティは透視クレアボヤンスを全開にした。

 かつての彼の能力では、ユグドラシルの内部は全く視えなかった。

 けれども今は違う。第三段階の偽物レプリカの能力は、対象の構造解析を完璧に行った上で発現するもの。出力も精度も以前とは比べ物にならないほど上がっていた。


 一瞬だけ遅れて、オーディンも二人の意図に気づいた。何も知らないはずの彼らが瞬時に本質を見抜いたと知って、オーディンの背筋に冷たいものが走る。

 だが、アドバンテージがオーディンにあるのは揺らがない。彼女は長年ユグドラシルとアースガルドの王だった。構造は熟知している。


 だが。

 グングニルを鍵としたユグドラシルの起動は、思わぬ邪魔が入った。


「――ロキ!!」


 オーディンは思わず叫ぶ。グングニルとユグドラシル中枢との間に、暗号化が施されている。それほど複雑なものではないが、一刻を争う今の状況では致命的だった。


 かくしてエリンとセティはユグドラシル中枢のハッキングに成功。

 オーディンはその力を大きく削がれた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る