第30話 ついて行く
「で、どうするんだ、これ」
暖かな洞窟の中に戻って、シグルドが腕を組んだ。
彼の視線の先には、エリンと白狼。狼は少女にぴったりと寄り添っている。
「人間を食べないように頼んで、山で暮らすように言い聞かせたんですけど……」
エリンは狼の白い毛を撫でながら言った。
――イッショニ行ク。ツイテイク。
狼の思念を精神感応<テレパシー>で中継してやれば、各人がそれぞれの表情を浮かべた。
シグルドは頭痛をこらえる顔。
ベルタは戸惑いながら考え込む表情。
ラーシュは拒絶。
セティはおっかなびっくり、でも興味津々の様子だった。
「エリンの能力だけでも大問題なのに、人に懐いた白獣だと? これはもう、完全に俺の手に余るぞ」
シグルドが珍しく愚痴っている。
「だいたい、どうしてこうなった。さっぱり分からん。そもそも白獣は狂った獣で、会話など成り立たないはずだったのに」
「恐らくですけど」
エリンが狼の毛を触りつつ、ゆっくりと言った。
「私の血を飲んだせいだと思います。――自己走査<スキャン>、対象は血液」
先ほど、怪我の治癒のために自己走査が自動で発動した。
その際に膨大な体内情報がエリンの脳に流れ込んだ。全てを理解するのは難しかったけど、気になる項目があったのだ。
『血液内の成分を分析。ユミル・ウィルスの抗体を確認』
『抗体はユミル・ウィルスよるバナジスライトの成長と制御をもらたす効果あり。原生動物の能力発現強化と自己意識でのコントロールを可能にする。病状の安定と苦痛抑制に効果あり』
「ウィルスとか抗体って、何のこと?」
エリンのペンダントから発する『声』を聞いて、セティが言った。
「分からないけれど、私の血は白獣の病気に効くみたいなの」
「すごいじゃん!」
セティが声を上げる。が、ラーシュは首を振った。
「たまたま、その狼に効いただけかもしれません。それに仮にエリンさんの血が獣の病を治すとして、世界中の白獣に血を飲ませて回る気ですか? そんなことをしたら血が足りなくて、あなたが死んでしまいますよ」
「そう、ですね……」
エリンはうつむいた。狼が心配そうに彼女の頬を舐める。
ラーシュの言う通り、たくさんいる白獣たち全てに血を飲ませるのは非現実的だろう。
きちんと目算を立てる前に気持ちだけが先走っても、いい結果は生まない。エリンは今回、学んだ。
「もしこの先の道中で、また白獣に出会ったら、血を与えるのを試させて下さい。それ以外の遠い場所にいる子たちは、今は手が届かない」
「あまり気は進まないが、そうしてくれ」
シグルドが言って、ベルタが肩をすくめた。
「何せ、今うちで一番強いのはエリンですもの。エリンがその気になれば、私たちは止められない」
「ベルタ姉! そんな言い方しなくていいじゃん!」
セティが抗議するが、シグルドが続けた。
「ベルタの言うとおりだ。エリンの力は非常に強い。俺たちが足元にも及ばないほどに、な。
だからこそきみは、力に責任を持たねばならない。力を隠すのでも卑下するのでもなく、正しく使うんだ」
「……シグルドさん」
エリンはペンダントを握り締めた。
これだけの状況になっても、彼はエリンを見捨てないでくれている。
そしてシグルドは「オーディン様の正義において」とは言わなかった。今までであれば、正邪の判断は必ず神の名の元に行っていたのに。
絶対悪とされていた白獣の変化を見て、シグルドの心も少し変わったのだ。
「とはいえ、ヴァルキリー様に報告する方針は変わらない。速やかに遠隔通信装置のある街まで行こう」
「はい!」
エリンは力強くうなずくが。
「で、こいつはどうしたらいいだろうか」
シグルドは狼を見た。エリンは小さくなった。
「絶対についていくと言っています」
「そうは言ってもなあ」
シグルドの迷惑そうな視線を受けて、狼は困っている。困りながらも意志を曲げようとしない。
「街に入るのは無理だけど、人がいない場所で待っててもらえばいいんじゃない?」
と、セティ。
ベルタが首をかしげて言った。
「そういえば、こいつの白獣としての能力は何なの?」
「顎と牙の強化だと思います。私の光壁を突き破る威力がありました」
「ふーん。瞬間移動<テレポーテーション>系の能力だったら良かったのにね。それなら街の外で待機して、好きな時に移動して来られたのに」
「それならさぁ」
ベルタの言葉にセティが反応した。
「エリンに瞬間移動<テレポーテーション>を覚えてもらって、狼を呼び寄せれば? エリンなら訓練すればできそうでしょ?」
「なるほどね。転送というか、引き寄せ<アポーツ>ね」
「瞬間移動とは違うんですか?」
エリンが聞くと、ベルタはうなずいた。
「ほとんど同じだけど、ちょっとだけ違うわ。私は自分以外のものや人の移動もできるけど、能力があまり強くなければ引き寄せ<アポーツ>と転送<アスポート>はできない人も多いの」
「瞬間移動<テレポーテーション>は便利だよ。この機会に覚えちゃおうよ、エリン」
セティは楽しそうだ。
「そんな、エインヘリヤルの能力を便利グッズみたいに……」
ラーシュがぶつくさと文句を言っている。
「いいわよ。教えてあげる。ごく基礎だけは前にやったけど、それ以降は止まっていたものね」
「いいんですか?」
エリンは不安そうにベルタを見た。彼女はエリンの強すぎる能力に対して、判断を保留すると答えていた。
ベルタはため息を付いて洞窟の天井を見上げる。
「もうね、諦めがついたわ。まさか白獣を手懐けるなんて、予想もしていなかったもの。こうなったらエリンがどこまで行けるのか、逆に楽しみになってきた」
「開き直ったな、ベルタ」
シグルドが呆れている。
「その通り。開き直りよ。いいじゃない、責任持ってきちんと教えるもの。私は自分の能力に自信があるわ。だからエリンはしっかり覚えるように」
「はい!」
ベルタの笑みに、もはや暗いところはなかった。
ベルタはエリンの手を取って、言葉を続ける。
「瞬間移動<テレポーテーション>の能力は、空間を目に見える形以外で捉えるのが大事なの。距離は関係ない、視認できない場所も繋がっているってね。
私は知っている場所や知り合いの人間にマーキングをつけて、マーキングを目印に能力を使ってるわ」
(……空間座標の計算と設定)
ベルタの話を聞いて、エリンはそう思った。
ベルタに実際に転送や引き寄せをしてもらって感覚を覚える。
「どう? できそう?」
「はい。狼でやってみます」
エリンは立ち上がった。しばらく休んでいたおかげで、足のふらつきはずいぶんマシになっている。
「おいで」
狼を連れて洞窟を出る。外は相変わらずの夜で、雪は降っていない。先程エリンと狼が転げ回って遊んだ場所の雪が乱れていた。
エリンは三十ヤードほどを歩いて、そこで狼に「待て」をした。
「そこで待っててね。洞窟に戻って、引き寄せ<アポーツ>を試してみるから」
――ウン。分カッタ。
聞き分けの良い獣に笑いかけてから、洞窟に再び入る。
「じゃあ、やってみます」
『空間座標設定。対象、白獣の狼。引き寄せ<アポーツ>発動』
エリンの脳裏に響く声も、ずいぶんとなめらかになった。
エリンのすぐ横に狼の巨体が現れる。
「うわっ!」
急に現れた狼に押されて、セティがひっくり返っている。
引き寄せを受けた当の狼は、エリンを信頼しきっているせいもあって動じていない。
「何の問題もなくできちゃったわねぇ。私だって、引き寄せ<アポーツ>と転送<アスポート>は訓練が必要だったのに。ちょっと悔しい」
ベルタが半眼になったが、その目は笑みを含んでいる。冗談を言っているだけのようだ。
「まあ、これで白獣を連れ歩いても問題は少ないか……」
シグルドが諦めのため息をついた。
――ツイテ行ッテイイ? 一緒ニ行ケル?
「うん、いいよ。人間の街には入れないけど、いざとなったらさっきみたいに呼び寄せてあげるから」
――ヤッタ! モウ一人ジャナイ。嬉シイ!
一人じゃない。その言葉がエリンの胸に刺さる。
(私はいつの間にか、一人じゃなくなった。故郷も両親もまだ見つけられていないけど、もう寂しくはない)
けれど、とエリンは思う。
(でもやはり、私は私が誰であるのか知りたい。どうして私の血は特別なのか。どうして私ばかり能力がこんなに強いのか。
ペンダントの使い方は分かってきたのに、これが何なのかはまだ分からない。
答えは一体、どこにあるのだろう。ヴァルキリー様が答えてくれるのかな……)
ペンダントの丸い石を握る。
馴染んだその手触りは、相変わらず薄い熱を帯びていた。
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