第5話 エインヘリヤル


「よっしゃ! さすがシグ兄、一撃じゃん!」


 少年の元気な声が響いて、獣の死骸の横に次々と人影が現れた。

 先程のベルタと、精神感応テレパシーの声が聞こえていたラーシュ、それからエリンと同じ年頃に見える少年。

 獣を仕留めたシグルドを含めて、四人の男女が雪山に降り立った。


 枝上で呆然とするエリンの肩に、ベルタが手を回した。先程まで地面にいたのに、またしても一瞬の間の移動だった。


「びっくりしたでしょう。私、瞬間移動能力者テレポーターなの」


 言葉の途中で景色が切り替わる。

 エリンは枝の上から雪山の地面に移動していた。獣の死骸から少し離れた場所だった。


「その子がエリン!? 十三歳で、俺と同じ年で、障壁の能力の使い手!」


 少年が駆け寄ってきた。雪の上を歩き慣れていないらしく、ズボズボとおぼつかない足取りである。


「俺、セティ。エインヘリヤル第九部隊の隊員で、透視能力者クレアボヤンサーだよ!」


「おーい、セティ。挨拶は後にして、先に後始末を済ませてくれ」


 死骸の脇で、シグルドが手を振っている。


「あ、うん。仕方ないなあ。……じゃあエリン、また後でね。いっぱいおしゃべりしよう! 話したいこと、いっぱいあるんだ!」


 そう言うと、セティはエリンの返事を待たずに来た道を戻って行った。

 ベルタが苦笑交じりのため息をついた。


「ごめんなさいね、あの子、あんな調子で。あの子は際立って若い能力者だから、同い年のあなたと仲良くなりたいの。

 ……さて、私たちは先に村に戻りましょう。司祭様も、子どもたちもあなたを心配していたわ」


「は、はい」


 急展開についていけず、エリンはうなずくのがやっとだ。

 ベルタがもう一度エリンの肩を抱くと、またしても景色が切り替わり。


 次の瞬間、エリンは住み慣れた教会の見慣れた扉の前に立っていた。







 扉を開けて入ると、ふわりと暖かな空気が流れてきた。

 あかあかと燃える暖炉には、シチューの鍋がかけてある。コトコトと煮立っていい匂いを放っていた。


「エリンおねえちゃん……!?」


 食卓でうつむいていたティララが顔を上げた。彼女の声に反応して、フェイリムとアルバも飛び出してくる。


「エリンねえちゃん! 良かった、無事だったんだね!」


「ぼくたちを置いていくなんて、ひどいよぉ。いっぱい、心配したんだよぉ!」


 一番小さいアルバが泣きじゃくっている。

 置いていく、その言葉にエリンの胸が痛んだ。

 置いていかれるのを恐れていたのは、彼女だったのに。この子たちに同じ思いをさせてしまった。


「みんな、ごめん。心配かけてごめんね。でも、私は無事だから。大丈夫だよ」


 泣きながら抱きついてくる子どもたちを抱き返していると、司祭がやって来た。


「エリン! よく無事で」


「司祭様」


 エリンは少しだけ身構えた。ところが聞こえてきた心の声は、彼女を純粋に心配するだけのもの。

 エリンは拍子抜けすると同時に、心の片隅が温まるのを感じた。


「ベルタ殿、この子を助けてくれて、ありがとうございます」


 司祭の深々とした最敬礼に、ベルタは笑顔で応えた。


「とんでもない。人に害をなす白獣を狩るのと、無辜の民を守るのは、我らエインヘリヤルの責務。感謝ならば、我らを遣わした主神オーディンに捧げて下さい」


「承知いたしました。より一層、日々の感謝をオーディン様に捧げましょう」


 そんなやり取りをしているうちに、シグルドたちが戻ってきた。


「お疲れ様。問題なく済んだ?」


 ベルタの問いかけに、シグルドが答える。


「ああ。なかなか大物だったよ」


「そうそう、今まで見た中で一番すごかった! 初めて見たもん、あんなにでっかいバナジス――」


「セティくん。おしゃべりはそこまでにしましょうね」


 ラーシュがさりげなく動いて、セティの口を塞いだ。セティは「もごもご」と言いながら手足をばたつかせている。


「司祭殿、図々しいお願いですが、夕食をいただいてよろしいか。寒い中で働いたもので、腹が減ってしまいまして」


 人好きのする笑みを浮かべながら、シグルドが言った。司祭はうなずく。


「もちろんですとも。そろそろシチューが煮えた頃です。どうぞご遠慮なくお召し上がり下さい」


「では、ありがたく」


 そうして和やかな雰囲気の中で、夕食が始まった。







 夕食の席で改めて互いに自己紹介をした。

 来訪者たちは自らをエインヘリヤルと名乗った。主神オーディンに仕え、各地を巡って白獣を狩っている戦士集団であると。

 彼らは揃いの指輪をしていた。銀の地金に、不思議な紋様の刻印がしてある。半月系の角杯が三つ、組み合わさっている形である。

 エリンはそのマークに見覚えがあった。見覚えどころではない、この教会の至る所に掲げられているオーディンのしるしだった。


「俺たちはエインヘリヤル第九小隊。若輩ながら、俺が隊長を務めています。能力は念動力サイコキネシス


 と、シグルド。灰色の髪と同色の目をしていて、年齢は二十代前半に見えた。


「副隊長はベルタ。彼女は瞬間移動テレポートの使い手で、目的地への素早い移動を助けてくれます」


 シチューをすくったスプーンに息を吹きかけていたベルタが、にっこり笑った。


「そこの薄茶の髪の男が、ラーシュ。彼は精神感応能力者テレパシストで、メンバー同士の遠隔会話を担っている」


 ラーシュが会釈する。年の頃はシグルドと同じか、やや上だろう。


「最後に、この少年がセティ。この子は透視能力者クレアボヤンサーです。特に物体構造の透視を得意としている。皆、優秀なメンバーですよ」


 セティはスプーンを握ったまま、ガッツポーズをしてみせた。おかげでシチューの飛沫が飛んで、エリンは慌てて避ける羽目になった。


 同席している村の大人たち――司祭と村長夫妻、それに数人の代表――は、突拍子もない話に驚いている。

 子どもたちは興味津々で質問を繰り返した。


「白獣って、なんですか? あの大きい猪みたいな獣のことですか?」


 ティララがお行儀よく尋ねた。彼女はもともと、おしゃまさんなのだ。

 シグルドが優しく答える。


「そうだよ。ああいう、大きくて白い毛並みをした獣のことだ。元はただの野生動物だったのが、あるきっかけで巨大化、凶暴化すると言われている」


「きっかけってなに!?」


 フェイリムが勢い込んで聞いた。今度はラーシュが問いに答える。


「大地の巨人という悪魔たちの仕業ですよ。奴らはこの地上に、ミッドガルドに病の種をばらまいて、野山の獣をあのような怪物に変えてしまうのです」


「病気で、怪物になっちゃう……。こわいよぉ……」


 小さいアルバはぶるぶる震えている。そんな彼の頭を優しく撫でて、ベルタが言った。


「大丈夫よ。主神オーディンと私たちエインヘリヤルがいるもの。怖い思いをしている子がいたら、必ず助けに行ってあげる」


「うん!」


 そんなやり取りを聞きながら、エリンは考え込んでいた。

 あの白い獣は、ずっと『苦しい、眩しい』と言っていた。あれは病のせいだったのか。光に過敏になる病気なのだろうか?


「……薬は、ないんですか」


 エリンが言うと、皆が注目した。

 たくさんの視線に怯みながらも、エリンは続けた。


「病気なら、治す薬はないのでしょうか。あの獣は苦しそうにしていました。病気を治して、また元の場所に帰れるなら……」


「それは、不可能です」


 ラーシュがきっぱりと言った。


「悪魔の病と言ったでしょう。一度発症すれば、殺す以外に救うすべはありません。放っておけば悪化して、狂気と能力が増す。発見し次第始末するべきなのです」


「……そういうことだ。とても話が通じる相手じゃないのは、目の当たりしたきみもよく分かっただろう」


 ラーシュの言葉をシグルドが受ける。


(話が通じない? そんなことはないよ。落ち着いているときであれば、あの子は話を聞いてくれた)


 エリンがその思いを口に出す前に、セティが声を上げた。


「エリンは優しいんだな! あんなバケモンみたいな白獣まで、治してやりたいと思うんだもん。俺、そんなの、考えたこともなかった」


「そうだよ。エリンおねえちゃんは優しいんだよ」


 ティララが口を挟んだ。フェイリムとアルバも口々に言う。


「うん、優しい。いつも俺たちの面倒を見て、守ってくれる」


「でも、ぼくがニンジンを残したら、食べなさいって怒るよ。そのときは、ちょっと怖い」


 最後にアルバが言うと、温かな笑いが起きた。

 エリンは言うタイミングを逃したと感じて、これ以上は黙っておくことにした。


 その後も食事は進み、食べ終わった後。

 子どもたちを寝かしつけて、今度はエリンの話になった。

 障壁能力者であると判明した彼女の、今後の身の振り方を決める話し合いだった。



 

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