第27話 対話
白獣が潜んでいる洞窟は、入り口が半ば雪に埋もれていた。
エリンは入口の手前まで来て、そっと呼びかける。
「こんにちは、狼さん。驚かせてごめんね。少し私と話をして欲しいの」
肉体の声と
「そっちに行っていいかな? 何も怖いことはしないから」
エリンは雪の地面にかがみ込んで、洞窟の入口を覗いた。ずっと奥の方に赤い光が見える。白獣の両目だ。
――オマエ、誰ダ。
返事があった。エリンは内心でぐっと拳を握る。
「私はエリン。人間。ちょっと変わった能力があって、それであなたとお話ができるの。
ねえ、今はまぶしくない? 苦しくはない?」
問いかけに少しの間をおいて、再び答えがあった。
――マブシクテ、コノ穴ニ入ッタ。ソシタラ、苦シイノ、マシニナッタ。
人間と獣だから、価値観も言葉も違う。だたエリンは、この獣から年若い印象を受けた。
「そっか……。あのね、あなたは病気なの。眩しくて、苦しくなってしまう病気。
治してあげたいけど、私も治し方が分からない。でも、少しでも苦しいのを何とかしてあげたくて……」
――ビョウキ。
「そう、病気。ねえ、もう少し近くに行っていいかな。あなたともっとお話したい」
返事はしばらくなかった。エリンは辛抱強く待つ。
――ダメダ。近ヅイタラ、噛ム。
駄目か、と、エリンは内心で落胆を感じた。無理強いはできない。一度引くべきかもしれない。
しかし狼の白獣はさらに意思を伝えてくる。
――家族ヲ噛ンデ、群ヲ追イ出サレタ。モウ、誰モ噛ミタクナイ。
「そんな……」
エリンに狼の悲しみが伝わってくる。眩しくて、苦しくて、自分の意志と無関係に家族を傷つけてしまったことを、狼は悔いていた。
――オマエモ、キット噛ム。ダカラ、出テイケ。
「あなたは悪くない。病気のせいなの。ねえ、あなたの病気を調べさせて。何か分かれば、苦しみを減らせるかもしれない……」
治せるとはとても言えなかった。
狼の思念が迷うように揺らいでいる。
「無理にとは言わないけれど。私、あなたを一人にしたくない」
一人に。自分で口に出した言葉が、胸に刺さった。
エリンはほんの少し前まで、ずっと一人だった。懐いてくれる子どもたちにさえ本心を明かせずに、心を押し殺していた。
だから、群を追い出されたというこの獣を放っておけなかったのだ。
狼の思念が再び迷って――やがて、受け入れる意思を送ってきた。
「……ありがとう。今、行くね」
背後のベルタに合図を送って、エリンは洞窟の中に入っていった。
洞窟は入り口こそ這って入らないといけないくらい狭かったが、中は案外広かった。奥まで行けば、小柄なエリンであれば立ち上がって歩くのもできる。
狼の白獣は、洞窟の奥の岩壁に背をつけて丸まっていた。
エリンが近づくと、少しの距離を開けた場所で身を起こし、低く唸った。それ以上は近づくなということらしい。
「群に帰る方法はないかな」
エリンは問うたが、狼は沈黙するばかり。きっと彼が一番、帰る方法を知りたいだろう。
「あなたのような病気の獣を狩る人間がいるの。私もその一人」
エリンが言うと、狼は警戒の眼差しで彼女を見た。
「あなたは今まで、人間を食べたこと、ある?」
――ナイ。
その答えを聞いて、エリンは心から安堵した。もしこの獣が既に人食いであったならば、見過ごすわけにはいかないからだ。
「もし一人でも人間を食べてしまった、彼らは絶対にあなたを逃さない。もちろん、私も」
エリンの言葉に狼は警戒を強めた。
「だから、約束して欲しい。これからも人間は食べないと。食べるのは今まで通り、野山の獣だけにすると……。
そうしたら、あなたに手出しはしないと、私も約束する」
人間を食べない限り、この獣は何としてでも助けてやろうとエリンは思った。
シグルドはもちろん、これから応援を頼む第八小隊のエインヘリヤルたちも説得しなければならない。かなりの困難を伴うだろうが、絶対にやり遂げようとエリンは決心した。
狼は考えあぐねているようだ。しばらくの間を置いて、思念が帰ってきた。
――人間ナンテ、食ベタクナイ。
「うん」
――デモ、腹ガ空イタラ食ベルカモシレナイ。
「…………」
意思は通じても、やはり価値観が違う。獣にしてみれば、空腹に耐えかねた時に目の前に獲物が現れたら、襲いかかって当たり前なのだろう。
(どうしよう。私がこの子の面倒をみるわけにはいかない。群を追い出された狼が、たった一匹で生きていけるのかも分からない。どうしたらいいの)
「――エリン、そろそろ時間よ。引き上げて」
洞窟の入り口でベルタが言った。
狼がびくりと身を震わせる。警戒心が跳ね上がっている。まずい、とエリンは思った。
「待って、ベルタさん。もう少しだけ……」
エリンは体をひねって入り口の方を見た。それがいけなかった。
急に体勢を変えたエリンに驚いた狼が、反射的に牙を剥く。
「――ッ!?」
狼の大きな牙が、エリンの肩口に食い込んだ。
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