第31話 遭遇
洞窟で一晩を明かしたエインヘリヤルたちは、次の街へ向かって出発した。
エリンが瞬間移動<テレポーテーション>を使いこなせるようになったので、旅程は大幅に短縮された。
「こんなことなら、ためらってないでさっさと教えればよかったわ」
とは、ベルタの言である。
瞬間移動で移動しながらも、エリンは白獣探しを諦めなかった。遠く先まで探知精神波<レーダー>を使って反応を見る。
狼と友だちになれたのだ。他の白獣とだって仲良くなれる可能性がある。
それに狼はエリンの血を飲んで以来、白獣特有の苦しみを訴えなくなった。病は確実に改善している。
であれば、一匹でも多くの白獣を救いたい。その一心で、エリンは白獣を探し続けた。
ただし結果は空振りだった。街道沿いは見晴らしがよく、獣の数自体が少ない。白獣の住処になるような場所がなかった。
狼の名前は『フレキ』に決めた。
一緒に行動する以上、名前をつけてあげようとエリンは思ったのだ。
名を与えられた狼は喜んで、何度も思念波で自分の名前を繰り返していた。肉体の大きな口では「もごもご」としか発音できなかったが、フレキは満足そうだった。
旅は続き、エインヘリヤル第八小隊の管轄の街を通り過ぎる。第八小隊はこの街にいなかったので、町長に言伝を頼んだ。
そしてとうとう、遠隔通信装置のある街へとたどり着いたのである。
「すごい、都会……」
エリンは街並みを見て、ぽかんと口を開けた。
今までの街だって、彼女の故郷の村に比べればずっと賑わっていた。けれどこの街は、さらに数段上。
雪はすでに少なくなっていて、街路は整った石畳がどこまでも続いている。
大きな通りに沿って立ち並ぶのは、六階や七階にもなる高層の建物たち。曇り空を覆い隠すようにそびえ立っている。
ガス灯は規則正しく並んで、人々を見下ろしていた。
そして何よりも、人の数が多かった。街路はひっきりなしに馬車と人とが行き来して、エリンは目が回りそうだ。
特に交通量が多い交差点では、黒い制服を着た人物が手旗を振っている。
「あれは何をしているの?」
エリンが聞くと、セティが答えた。
「手旗信号だよ。ああやって色の付いた旗を振って、馬車に『進め』とか『止まれ』とか指示してるんだ。馬車同士がぶつかって、事故を起こさないようにね」
「へぇぇ……」
呆然としたままのエリンの頭を、ベルタがぽんと叩く。
「まったく、うちのお姫様はいつまでも田舎っぽさが抜けないわねえ。さ、行くわよ」
さっさと歩いていくベルタに、エリンは慌ててついていった。
雑踏の中をしばらく歩いて、ひときわ立派な建物の前に立つ。
角地に建っている建物は、石造りの壁に青銅の扉。扉の上のプレートには『エインヘリヤル第八小隊本拠点』と書かれていた。
建物の中は薄暗く、奇妙な空気に満たされていた。
少し進むと受付がある。カウンターに女性が一人いて、応対してくれた。
「第九小隊の皆様ですね。恐縮ですが、第八小隊の者どもは白獣討伐に出て不在です」
「それは残念。では、俺の小隊長権限で遠隔通信装置を使用させていただく」
シグルドが言うと、女性はうなずいた。
「こちらへどうぞ」
案内された先は二階の一角だった。建物の中だというのに、外に取り付けられていたのと同じくらい重々しい扉があった。
女性から鍵を受け取って、シグルドが扉を開ける。
中は窓一つない真っ暗闇だった。
第九小隊の面々が全員、中に入ったのを確認してから、シグルドが扉を閉める。
急に辺りが明るくなった。
見れば部屋の奥に、不思議な物体が置かれていた。流体を思わせる曲線で構成された、複雑な機構だった。
光はその中心、淡い金色の液体から発せられていた。球体のガラスのような容器の中で、こぽこぽと小さく泡を浮かせている。周囲には何重にも金属とガラスの管が連なって、まるで天球儀のようだ。
「いつ見ても不思議だなー! 俺の透視<クレアボヤンス>でも、いまいち構造がよく分かんないんだ」
セティが身を乗り出して装置を見た。興味津々といった様子だ。
「ヴァルキリー様とアースガルドの神々の道具です。人間である僕たちが理解できずとも、当然でしょう」
セティが手を伸ばして装置を触ろうとしたので、ラーシュが後ろから肩を押さえた。
「では、ラーシュ。起動を頼む」
「ええ」
シグルドとラーシュが装置の前に立った。
金の液体が納められた丸いガラスのような容器に、ラーシュが触れる。
精神感応<テレパシー>の能力に反応して、液体が輝きを増した。
最初はガラス容器を取り巻く金属の管が光り、次々と部品に明かりが灯る。装置全体が淡い金色の光に包まれる。
「……エインヘリヤル第九小隊、精神感応者<テレパシスト>・ラーシュと申します。ヴァルキリー様にご相談せねばならぬ事案があり、連絡しております」
ややあって声が返ってきた。
精神感応に似た、けれどどこか違う声。指向性を持った探知精神波<レーダー>に似た波動。
『第九小隊。そこに隊長シグルドはいるか?』
その声を聞いた途端、エリンの全身が総毛立った。
表面的には艶のある若い女の声。声だけで美貌さえ思い浮かべる、美しい声。
けれどエリンは真逆を感じる。
(なに、これ……。気持ち悪い。いいえ、おぞましい……? シグルドさん、返事をしては駄目)
「はい、ここにおります。ヴァルキリー様」
だが、エリンが止める暇もなくシグルドは答えた。
エリンはペンダントを握り締めた。熱い。薄っすらとした熱が明らかに上がっている。燃えるような真紅に色変わりしている。
彼女は無意識に後ずさった。
『神性存在の接近を探知、隠蔽術式を発動。対象はエリン。術式は対人造戦乙女<ヴァルキリー>に特化』
エリンの脳裏に響いた声は、彼女自身のものではなかった。
それは、あの冬の夜に聞いた声。仮面の下でくぐもって、聞き取りにくかった言葉。
そして、エリンの記憶の底に眠る懐かしい声だった。
キィン、と、耳鳴りのような高い音がした。
次の瞬間、装置の横に人影が現れた。
長く美しい金の髪。妖艶な唇と、目元を覆う仮面。しなやかな体を軽鎧に包んだ女が立っている。
その背には、輝く白い翼があった。室内のため折りたたまれていても、存在感が薄れるわけがない。
「ヴァルキリー様」
エインヘリヤルたちが一斉に膝をついた。
その光景は、女神にひれ伏す人間たちそのものの姿だった。
エリンは部屋の後方、扉の近くで動けない。美しくもおぞましい生き物を目の前にして、足がすくんでいる。
あの戦乙女の発する気配は、何だろう。酷くいびつで、とても真っ当な生命とは思えない。外見ばかりは美しいのに、器を満たす命、存在そのものが歪んでいる。
エリンは今までの旅で、色々な風景を見、様々な命たちに出会った。
世界は多種多様に満ちていて、一つとして同じものはなかった。
たとえ人食いの白獣であっても、他にはないたった一つの個として存在していた。それなのに。
そう、例えて言うならば。それは自然の多様性とは真逆の、鋳型から抜き出したような画一性――
ヴァルキリーが口を開いた。
装置越しに聞く声よりも、よりあからさまに、より威圧的で圧迫感のある声。
「第九小隊隊長、シグルド。お前にオーディン様からの招集命令が出ている。アースガルドへの召し上げだ」
「なんと」
シグルドは僅かに視線を上げた。
「身に余る光栄です。この身が栄誉に浴するまでは、あと数年かかると思っておりました」
「では、速やかに同行せよ」
「はい、もちろんです。しかしヴァルキリー様、今回は……」
「お前の言葉など求めていない。ゆくぞ」
ヴァルキリーはシグルドに向かって手をかざした。
仮面越しの視線を、ちらりと他の面々に投げる。そこには何の感情どころか意志さえも含まれていなかった。
「第九小隊の人員補充は、追って連絡する。残りの隊員は、ミッドガルドまで来るように。以上だ」
「待――」
待ってと言いかけたのは、誰だっただろう。
再び高い音、そして静寂。
ヴァルキリーとシグルドが消えた室内で、一同は呆然としている。
(今、分かった)
エリンは思った。
(熊の時以来、ずっとペンダントが熱を持っていた。あいつから、あの気味の悪い生き物から隠れるためだった! 今もあいつは、目の前の私に気づいていなかった。ペンダントの力で隠されたんだ。
それなのに、シグルドさんが連れて行かれてしまった。絶対に良くないことが起きる!)
装置は徐々に光を失って、部屋の中は暗闇が満ちつつある。
エリンはペンダントを握り締めて、暗い予感を感じていた。
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