第31話 遭遇
洞窟で一晩を明かしたエインヘリヤルたちは、次の街へ向かって出発した。
エリンが
「こんなことなら、ためらってないでさっさと教えればよかったわ」
とは、ベルタの言である。
ただし結果は空振りだった。街道沿いは見晴らしがよく、獣の数自体が少ない。白獣の住処になるような場所がなかった。
狼の名前は『フレキ』に決めた。
一緒に行動する以上、名前をつけてあげようとエリンは思ったのだ。
名を与えられた狼は喜んで、何度も思念波で自分の名前を繰り返していた。肉体の大きな口では「もごもご」としか発音できなかったが、フレキは満足そうだった。
旅は続き、エインヘリヤル第八小隊の管轄の街を通り過ぎる。第八小隊はこの街にいなかったので、町長に言伝を頼んだ。
そしてとうとう、遠隔通信装置のある街へとたどり着いたのである。
「すごい、都会……」
エリンは街並みを見て、ぽかんと口を開けた。
今までの街だって、彼女の故郷の村に比べればずっと賑わっていた。けれどこの街は、さらに数段上。
雪はすでに少なくなっていて、街路は整った石畳が続いている。
大きな通りに沿って立ち並ぶのは、六階や七階にもなる高層の建物たち。曇り空を覆い隠すようにそびえ立っている。
ガス灯は規則正しく並んで、人々を見下ろしていた。
そして何よりも、人の数が多かった。街路はひっきりなしに馬車と人とが行き来して、エリンは目が回りそうだ。
特に交通量が多い交差点では、黒い制服を着た人物が手旗を振っている。
「あれは何をしているの?」
エリンが聞くと、セティが答えた。
「手旗信号だよ。ああやって色の付いた旗を振って、馬車に『進め』とか『止まれ』とか指示してるんだ。馬車同士がぶつかって、事故を起こさないようにね」
「へぇぇ……」
呆然としたままのエリンの頭を、ベルタがぽんと叩く。
「まったく、うちのお姫様はいつまでも田舎っぽさが抜けないわねえ。さ、行くわよ」
さっさと歩いていくベルタに、エリンは慌ててついていった。
雑踏の中をしばらく歩いて、立派な建物の前に立つ。
角地に建っている建物は、石造りの壁に青銅の扉。扉の上のプレートには『エインヘリヤル第八小隊本拠点』と書かれていた。
建物の中は薄暗く、奇妙な空気に満たされていた。
少し進むと受付がある。カウンターに女性が一人いて、応対してくれた。
「第九小隊の皆様ですね。恐縮ですが、第八小隊の者どもは白獣討伐に出て不在です」
「それは残念。では、俺の小隊長権限で遠隔通信装置を使用させていただく」
シグルドが言うと、女性はうなずいた。
「こちらへどうぞ」
案内された先は二階の一角だった。建物の中だというのに、外に取り付けられていたのと同じくらい重々しい扉があった。
女性から鍵を受け取って、シグルドが両開きの扉を開ける。
中は窓一つない真っ暗闇だった。
第九小隊の面々が全員、中に入ったのを確認してから、シグルドが扉を閉める。
急に辺りが明るくなった。
見れば部屋の奥に、不思議な物体が置かれていた。流体を思わせる曲線で構成された、複雑な機構だった。
光はその中心、淡い金色の液体から発せられていた。こぽこぽと小さく泡を浮かせている。
「いつ見ても不思議だなー! 俺の
セティが身を乗り出して装置を見た。興味津々といった様子だ。
「ヴァルキリー様とアースガルドの神々の道具です。人間である僕たちが理解できずとも、当然でしょう」
セティが手を伸ばして装置を触ろうとしたので、ラーシュが後ろから肩を押さえた。
「では、ラーシュ。起動を頼む」
「ええ」
シグルドとラーシュが装置の前に立った。
金の液体が納められた丸いガラスのような容器に、ラーシュが触れる。
装置全体が淡い金色の光に包まれる。
「……エインヘリヤル第九小隊、
ややあって声が返ってきた。
『第九小隊。そこに隊長シグルドはいるか?』
その声を聞いた途端、エリンの全身が総毛立った。
表面的には艶のある若い女の声。声だけで美貌さえ思い浮かべる、美しい声。
けれどエリンは真逆を感じる。
(なに、これ……。気持ち悪い。いいえ、おぞましい……? シグルドさん、返事をしては駄目)
「はい、ここにおります。ヴァルキリー様」
だが、エリンが止める暇もなくシグルドは答えた。
エリンはペンダントを握り締めた。熱い。薄っすらとした熱が明らかに上がっている。燃えるような真紅に色変わりしている。
彼女は無意識に後ずさった。とん、と音がして、背中に扉がぶつかったのだと気づいた。
『神性存在の接近を探知、隠蔽術式発動。対象、エリン。術式は対・
エリンの脳裏に響いた声は、彼女自身のものではなかった。
それは、あの冬の夜に聞いた声。獣の仮面の下でくぐもって、聞き取りにくかった言葉。
そして、エリンの記憶の底に眠る懐かしい声だった。
キィン、と、耳鳴りのような高い音がした。
次の瞬間、装置の横に人影が現れた。
長く美しい金の髪。妖艶な唇と、目元を覆う仮面。しなやかな体を軽鎧に包んだ女が立っている。
その背には、輝く白い翼があった。室内のため折りたたまれていても、存在感が薄れるわけがない。
「ヴァルキリー様」
エインヘリヤルたちが一斉に膝をついた。
その光景は、女神にひれ伏す人間たちそのものだった。
エリンは部屋の後方、扉の近くで動けない。美しくもおぞましい生き物を目の前にして、足がすくんでいる。
あの戦乙女の発する気配は、何だろう。酷くいびつで、とても真っ当な生命とは思えない。
エリンは今までの旅で、色々な風景を見、様々な命たちに出会った。
世界は多種多様に満ちていて、一つとして同じものはなかった。
たとえ人食いの白獣であっても、他にはないたった一つの個として存在していた。それなのに。
そう、例えて言うならば。それは自然の多様性とは真逆の、鋳型から抜き出したような画一性――
「第九小隊隊長、シグルド。お前を探していた。オーディン様からの招集命令が出ている。アースガルドへの召し上げだ」
「なんと」
シグルドは僅かに視線を上げた。
「身に余る光栄です。この身が栄誉に浴するまでは、あと数年かかると思っておりました」
「では、速やかに同行せよ」
「はい、もちろんです。しかしヴァルキリー様、今回は……」
「お前の言葉など求めていない。ゆくぞ」
ヴァルキリーはシグルドに向かって手をかざした。
仮面越しの視線を、ちらりと他の面々に投げる。そこには何の感情どころか意志さえも含まれていなかった。
「第九小隊の人員補充は、追って連絡する。残りの隊員は、ミッドガルドまで来るように。以上だ」
「待――」
再び高い音、そして静寂。
ヴァルキリーとシグルドが消えた室内で、一同は呆然としている。
(今、分かった)
エリンは思った。
(熊の時以来、ずっとペンダントが熱を持っていた。あいつから、あの気味の悪い生き物から隠れるためだった! 今もあいつは、目の前の私に気づいていなかった。ペンダントの力で隠されたんだ。
それなのに、シグルドさんが連れて行かれてしまった。絶対に良くないことが起きる!)
装置は徐々に光を失って、部屋の中は暗闇が満ちつつある。
エリンはペンダントを握り締めて、暗い予感を感じていた。
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これで第四章は終わりです。ここまで読んで下さってありがとうございました。
この作品はカクヨムコン9に参加しています。読者様のフォロー、★レビューが読者選考で大きな力になりますので、ぜひ応援をお願いしますね。
既に下さっている方は、本当にありがとうございます。
◇カクヨムコンってなんじゃ?
読者様はあんまり気にしていないかと思い、軽く解説を。
カクヨム主催の大規模小説コンテストです。いっぱい賞が出て、書籍化もいっぱいされるお祭りみたいなコンテストですね。
カクヨムの運営はKADOKAWA。出版業界でも屈指の大手です。特にライトノベルに強いレーベルを多数持っており、ラノベ業界では最大手です。
KADOKAWAさんから本を出すのは、一種の憧れみたいなところがありますね。(私見です)
◇読者選考ってなあに?
カクヨムコンでは読者選考システムが採用されています。これは、決まった期間(今回は12月1日~2月8日)に読者様の応援を一定以上もらった作品が、次の最終選考に進めるというもの。
受賞するにはまずは読者選考を突破しないといけません。それには、応援をいっぱいもらわないと!
応援は「★レビュー」「フォロー」「PV」が関係していると言われていますが、正確な所は公表されておらず、謎。
でもユーザー有志の解析によると、★が最も効果的で次がフォロー、ちょっとだけPVも関係しているらしいです。あくまで予想。
また、★を何個獲得すれば確実に読者選考を突破できるというものでもなく、あくまで上位何%で結果が出ます。
カクヨムコンは部門が8つに分かれているので、読者選考も8つごとに判定されます。
例えば激戦区の異世界ファンタジー部門と、応募数が少なめのライト文芸部門では突破のボーダーラインが変わってくるでしょう。
◇というわけで
カクヨムコンの期間中は、読者様のフォローや★の大事さが増します。
この『終わりの大地のエリン』はもちろんのこと、お気に入りの作品があればドンドン応援してあげて下さいね。
作者は絶対喜びます。
長々と失礼しました!
引き続きエリンの物語をよろしくお願いします。
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