第4話 副会長との邂逅

魔法学院には、多種多様な学生が集っている。


 魔法の才能に目覚めて、その能力を社会に生かしたいと考える者、卒業後は冒険者としてダンジョンに入って一獲千金を目指す者、自分の技をとことん極めたいと考える者などが、大多数の学生の実態だといえよう。


 だが中には、自らの能力を生かして社会でのし上がる手段にしようと考えたり、時には力に溺れて能力を誤った方向に用いてしまう者いないわけではない。


 人間社会には様々な思惑が渦巻いているのと同様に、学院内にも浅はかな考えや人には明かせない真っ暗な野望を心の奥底に秘めている一部の学生が存在するのも紛れもない事実。またそのような一部の学生に影響を受けて反社会的な行為に手を染める学生がまったくいないとは断言できない。


 それほどまでに力を持った人間は道を誤りやすいともいえる。仮に魔法学院の在校生や卒業生が何らかの犯罪に手を染めたとしたら、警察組織が彼らを拘束するには大きな困難を伴う。近年は警察組織にスカウトされて特殊能力を生かして犯罪を取り締まる側に回っている卒業生も目に付くようになってはいるが、全体の数としては未だに足りていない実態が報告されている。


 このような事情から、学院内での学生の暴力行為や反社会的行為に対して学院側は常に厳しい態度で臨んでいる。具体的に何らかの問題行動には、戒告、謹慎、停学、退学等の処分が下される。


 当然自らの能力を正しい方向に使用するのを目的とした感情をコントロールして自らの精神をより望ましい方向に高めていく教育も実施されてはいる。だがそのような学院側の努力にも拘わらず、撥ねっ返りの生徒が時折現れるのを全て防げるわけではない。


 このような学院の状況下において学生が中心となって自主的に校内での暴力行為や不法行為を未然に防ごうという目的で、生徒会の下部組織として風紀委員会が設置されている。


 風紀委員会は各学年から推薦された学業成績と人格評価が優秀な生徒で構成されており、校内のパトロールを実施したり、テレビモニターによって校則に違反する行為が発生していないか監視の目を光らせている。


 この日の放課後、風紀委員会の監視モニタールームから緊急の報告が委員長に齎された。



「委員長、第3訓練場で生徒同士の揉め事が発生しています。どうやら1年AクラスとEクラスの生徒のようです」


「パトロール中の委員を演習場に急行させろ。私は生徒会に報告してくる」


 こうして、風紀委員長を務める南条(なんじょう)美樹(みき)は廊下の並びにある生徒会室に向かっていく。






   ◇◇◇◇◇






 生徒会室では…


 現在の生徒会は6月に全校生徒の投票によって新たな執行部が発足したばかりで、生徒会長を務める2年生の種田(たねだ)篤紀(あつき)を中心として一新されたメンバーで業務にあたっている。



「安田さん、各委員会への予算配分計画はまとまりましたか?」


「会長、あと10分で完成させますから、もうしばらく待ってください」


 パソコンのキーボードを叩きながら、会計担当の1年生である安田(やすだ)真紀(まき)が顔も上げずに答えている。生徒会の業務は多岐に渡っており、多忙でコーヒーを飲む暇もないブラック組織らしい。



「失礼する」


 そこへ風紀委員長が姿を現す。



「会長、第3訓練場で1年生同士の騒ぎが発生している。すでに風紀委員を現場に向かわせているが、生徒会からも応援を派遣してもらいたい」


 実はこの風紀委員長の申し出は彼女の個人的な都合で実行されていた。当該する生徒の人数が多いと事情聴取の人数も比例して増えていく。人数分だけ報告書を提出するのはそれなりに手間と時間が掛かるのは至極当然。したがって生徒会のメンバーが同席していれば、報告書を作成する手間を生徒会に丸投げできるという打算が働いた結果でともいえる。



「忙しいときに困ったもんだな。やむを得ないから副会長、風紀委員長と現場に急行してもらえるか?」


「はい、わかりました」


 こうして風紀委員長は生徒会副会長を伴って第3訓練場へ向かう。





 一方第3訓練場では…



「おい聡史、一体お前は何がどうなっているんだ? Aクラスの生徒12人を相手にして10秒も掛かっていないじゃないか。俺の目がおかしくなったのか?」


「んん? これでも大怪我をさせないように思いっきり力を抜いていたんだぞ。死んでも構わないんだったら全員ひとまとめにして一瞬で片付けるからな」


 聡史の剣捌きを驚愕の目で見ていた頼朝がようやく再起動を果たして聡史のそばに近づいてくる。対して聡史は「この程度は普通だろう」と至極平常運転。体調不良でアークデーモンには苦戦したものの、こうして万全な状態であったらこの男はやはり化け物であった。


 それよりも聡史には気になることがある。



「ところでこいつらどうする? 自主練を始めたいのにこんな場所で呻いていたら邪魔だよな」


「こんな状況で自主練もクソもないだろうがぁぁ」


 聡史によって腕を強かに木刀で打たれたAクラスの生徒たちはまだ立ち上がれずに地面に転がったままで呻いている。聡史はそんな彼らを顎で指して頼朝に意見を求める態度。


 対して頼朝はAクラスの生徒をいとも簡単に叩きのめした聡史に驚愕するとともに、この期に及んでまだ自主練を続けようというその神経についつい大声も已む無しか。というよりもこの状況に関する戸惑いが気持ちの大半を占めており、その先まで考えを巡らすなど不可能なよう。


 だがこのような場面で桜ほどではないが、聡史も中々空気を読もうとはしない。頼朝の返答がさも意外でしょうがないという表情でコブシを握り締めて反論をかます。



「ええええ、クラスメートと体を動かしながら親睦を深めようと思っていたんだからこのまま続けようぜ。こいつらは今すぐに退かすから」


「これ以上親睦したくねえぇぇ」


 頼朝の魂の叫びが演習場に響く。他のクラスメートも未だに遠巻きにしている様子からして、どうやら頼朝と意見が一致しているよう。


 だが聡史はそこそこ気が短い。もちろん妹である桜に比べたら永遠とも呼べるくらいの時間物事を待つことができるのだが、それは比較の対象がおかしいだけ。おっとりとした口調ではあるが、桜は一瞬たりとも我慢しない性格の持ち主であるのは言うまでもない。条件反射的に目の前のオイシイ話に飛び付くのが桜の人生哲学といえる。


 話は逸れたが、聡史は地面に転がっているAクラスの生徒の一人の元へ近付いていくと爪先で脇腹を小突く。



「おい、これ以上痛い目に遭いたくなかったら壁に沿って一列で正座してろ。俺たちの自主練を見学する権利を与えてやるぞ」


「鬼畜だぁ! この場に鬼畜がいるぅ」


 頼朝の叫び声を背景にしながらAクラスの生徒たちの行動は極めて迅速。ジンジン痺れている腕の痛みなどどこにもなかったかのように全力ダッシュで壁際に一列になって無言で正座をする。彼らはたった一度の立ち合いで魂まで根こそぎ聡史にへし折られている。それほど圧倒的な力の差を眼前に突き付けられた結果が壁に沿って一列に正座する現在の姿と相成っている。



「まあいいだろう。これが正しい敗者の在り方だと覚えておくんだぞ」


 頼朝の言葉通りに正真正銘の鬼畜が魔法学院でその片鱗を顕わにした瞬間がここにある。だが世の中にはこのような鬼畜の所業のさらに上があることを頼朝らはまだ知らない。


 もしこの場に桜がいたならば、ちょっと前まで地面に転がっていたのは動くことも声を出すことも叶わない死体か、もしくは運よく命を取り留めた意識不明の重体者だった可能性が高い。鬼畜兄妹の中でもまだそれなりに常識を弁えている聡史が相手だったのは、Aクラスの生徒たちにとっては不幸中の幸いであろう。


 とはいえ妹の陰に隠れて目立たないが、聡史も大概な性格をしている。さもないとあの厳しい世界で生き抜くなど到底不可能。もっとも異世界の住人全体が大概な性格の者ばかりだったから聡史や桜はそれが当然だと思い込んでいるだけだと、この場は二人を最大限好意的に見ておきたい。外国生活が長すぎて日本社会に中々馴染まない人がいるのと同じようなものだと考えたい。そう思い込みたい。是非ともそうあってほしい。お願いだからそうあってくれ!


 

「よーし、掃除が終わったから改めて自主練を開始するぞ」


「もう俺、聡史には絶対に逆らわないから…」


 頼朝も正座をしている気の毒な生徒同様に魂がへし折られている模様。いや彼だけではなくてこの場に居合わせたEクラスの生徒全員、ポッキリと心の中の大切な物を折られている。彼らは否応なく聡史に従うしかこの場を無事に切り抜ける道はないと感じている。さもないと次に酷い目に遭って正座させられるのは自分たちのような気がするという、ある種の強迫観念に取り憑かれているのかもしれない。そのくらい頼朝たちからしてみればあり得ない出来事をこのわずか数分のうちに経験してしまった。


 ちょうどその時、第3訓練場に入ってくる人影が…



「全員その場を動くな。風紀委員だ」


 演習場内にに駆け足で入ってきたのは腕章を腕に巻いた男子生徒5名であった。彼らはモニタールームからこの場に急行せよと指示を受けた風紀委員のメンバーに相違ない。



「頼朝、こいつらは何者だ?」


「頼むから大人しく言うことを聞いてくれ。風紀委員に逆らうと重い罰則が科せられるから」


「まあ、いいか。早く自主練を開始したいけど一応話を聞いておこう」


 聡史が同意した様子に明らかに頼朝がホッとした表情を浮かべていると同時に、この場に一瞬の沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは聡史たちでも5人の風紀委員でもなかった。



「全員ご苦労だった。今からこの場で発生した乱闘騒ぎに関する事情を聴取する」


 遅れて訓練場に入ってきた風紀委員長の声が響く。


 だが聡史の目はこの声の主には一切向けられていない。彼の目が吸い寄せられるように風紀委員長の後ろにいる生徒会副会長へと注がれる。



「美鈴…」


 その呟きともとれる聡史の小さな声を聞き取った者は誰もいなかった。






   ◇◇◇◇◇







 第3訓練場に入った瞬間、この学院の生徒会副会長を務める西川(にしかわ)美鈴(みすず)の目には長身で木刀を手にした男子生徒の姿が飛び込んでくる。


 その姿を見た途端に美鈴の動きが停まる。同時に無意識に右手を当てた口元から本人すら意識していない呟きが零れる。



「うそ… そんな、ま、まさか…」


 美鈴自身何を口にしているのかわからない小声とともに、彼女の目には涙が滲み出す。その涙は過去の懐かしくてまるで宝石のように心の中に煌めいていた淡い記憶を鮮明にフラッシュバックさせていく。




 ━━━ 今から3年少々前の3月、小学校の卒業式を終えて美鈴は旅立ちの日を迎えていた。彼女の父親の仕事の都合で一家揃って静岡へ引っ越しの当日を迎えている。


 赤丸が記されたカレンダーを見つめながら今日という日が永遠に来ないように願っても、それは所詮叶わぬ夢。時の流れは容赦なく、あっという間に引っ越しの日がやってくる。



「美鈴、元気でな」


「美鈴ちゃん、いつでも遊びに来てよ」


 これから出発しようと待機している車の前で、隣の家に住んでいる双子の兄妹が最後の別れの言葉を送ってくれる。


 幼稚園から始まり、ついこの間卒業した小学校にも毎日三人で手を繋いで登校していた。学校から戻っても大抵どちらかの家に入り浸って、宿題をしたりゲームをしたり、おやつを一緒に食べたり、時には手が早い双子の妹に横取りされたり…


 三人で他愛もなく笑い合う日々がずっと続くと思っていた。そのはずだと美鈴自身思い込みたかった。


 だが突然の父親の転勤。転居先は父親の実家の近くであったため、一家揃って引っ越しすることに決まる。


 そしてついに迎えた別れの日。美鈴の目は止め処なく流れる涙で双子の顔がはっきりと見えない。泣きながらワンボックスの開け放たれたドアに俯むいて乗り込んでいく自分の姿。


 車体に片足を掛けて振り返る。そして双子に最後に残した言葉…



「メールするから。絶対に毎日メールするから」


 本当は双子の兄に対して違う言葉を告げようと心に決めていた。だが最後の最後になって勇気を出せなかった。あの時、あとちょっとの勇気があったら…


 過去を振り返ってそんなことを思わなくもない。だがそれは子供時代の懐かしい思い出だと、しばらく後になってから美鈴なりに一つの区切りをつけている。


 本当の最後に二人を見掛けたのは、出発した車の車窓から振り返って自分が遠ざかってもいつまでも手を振り続ける姿。


 その後も幾度かメールでもやり取りも続けたが、中学に入学すると勉強や部活動で何かと忙しくなる。1年も経たないうちに次第に音信が途絶えてしまうのだった。






  ◇◇◇◇◇


 




 過去の映像が脳裏に蘇って、立ち止まったままの美鈴の耳に風紀委員長の声が届く。



「全員、ご苦労だった。今からこの場で発生した乱闘騒ぎに関する事情を聴取する」


 その声にハッとして現実に戻ってきた美鈴、だが涙が滲むその目は依然として長身の男子生徒に向けられたまま。


 彼の口が小さく動く。



「美鈴…」


 声は聞こえない。だが涙の向こう側でその口がハッキリと自分の名前を呼ぶように動いていた。



(覚えていてくれた)


 美鈴の心の内に熱いものが込み上げてくる。それと同時にその瞳から大粒の涙が零れ落ちた。



(ダメ… これ以上聡史君を見ていたら、私、本当に大声で泣いちゃう…)


 生徒会副会長の立場を美鈴は完全に見失っている。それほど突然目の前に現れた聡史の姿は、彼女の感情に大きな衝撃を与えていた。


 もし会えたらこんなことを話そうとか、あんなことを聞いてみようと、彼を思い出すたびに考えたこともある。だが今となってはそのすべてが無駄に終わりそう。



(嬉しすぎて、胸が苦しい)


 美鈴は声も出せないまま、心の底から湧き上がる感情に今この場で直面している。それは到底理屈などでは語れない、世界の何もかもが引っ繰り返るような激しい感情の揺さぶり。



「副会長、手分けして事情を聴取する。私はあそこで正座をしている連中から話を聞くから、そこに突っ立っている男子から聴取してくれ」


「は、はい」


 上手く働かない頭でかろうじて返事をすると、美鈴はゆっくりと聡史に近付いていく。聡史は美鈴を懐かしそうな表情で見つめたまま。



「美鈴、しばらくぶりだな。ずっと会えなかったが、すぐにわかったぞ」


「聡史君…」


 自分に語り掛ける口調や眼差しの温かさ… 全部昔のままだと美鈴は感じた。全然変わっていない。だからこそそれが嬉しい。


 何か言いたい… でも、止め処なく流れて止まらない涙で声にならない。



「もうちょっと落ち着いてからゆっくり話をしよう。俺のアドレスは昔のままだから連絡してくれ。ああ、それから桜も一緒にこの学院に入学している」


 聡史の知らせに美鈴は泣きじゃくりながら頷いた。


 そこに…



「おーい、副会長、聴取は終わったか? 連中は訓練の一環で怪我をしたと言っているが、そちらはどうだ?」


 風紀院長が美鈴と聡史が立っている場所にやってくる。だが美鈴がボロボロ涙を流している様子に彼女は表情を変える。



「おい、そこの男子。なぜ、事情聴取をしている副会長が泣いているのか私が理解できるように説明してもらおうか。事と次第によっては大問題になると覚悟しておけよ」


「えーと、それは大きな誤解です。俺と美鈴は小学校を卒業するまで隣に住んでいた幼馴染みで、偶然こんな場所で感動の対面を果たしたばっかりです」


 疑惑の眼差しを向ける風紀委員長に対して、聡史は後ろめたいことはないと身の潔白を主張する。



「副会長、今の話は本当か?」


 美鈴が頷く様子を見た風紀委員長はどうやら納得したようだ。



「正座している連中は訓練の結果怪我をしたと言っている。君はどうなんだ?」


「もちろん俺が稽古をつけてやったんですよ。怪我といっても小手を軽く叩いただけですから、骨には異状ないはずです」


「十二人を相手にして、ひとりで捻じ伏せたのか?」


「もちろんですよ。このくらい簡単にやってのけないと一人前の冒険者ではないですから」


 聡史の主張は確かにもっともらしく聞こえる。十二人を相手に簡単に勝つという部分を除けばだが…



「よし、事件性はないと判断する。全員部署に戻ってくれ。副会長は顔を洗ってから生徒会室に戻ったほうがいいぞ」


 こうして風紀委員長の号令で美鈴を含めた委員全員は戻っていく。


 かくしてトラブルはあったもののようやく自主練が開始される運びとなり、聡史は正座していたAクラスの生徒たちを解放してから軽く頼朝たちと剣を打ち合って、ひと汗かいてから寮に戻っていく。






   ◇◇◇◇◇






 特待生寮では…


  聡史が自室のドアを開くと、リビングから話し声が聞こえてくる。



「あら、お兄様、おかえりなさいませ」


「桜ちゃんのお兄さん、どうもお邪魔しています」


「ああ、いらっしゃい」

 

 リビングで桜とおしゃべりに興じていたのは紛れもなく明日香ちゃん。学生食堂で二人仲良くオヤツを食べた流れで、こうして部屋に招待されたらしい。


 ちなみに明日香ちゃんは、中学時代に桜がしょっちゅう家に連れてきていたので聡史も話をする程度には顔見知りの間柄。



「それにしても、すごい部屋ですね~。寝室が一部屋余っているから私もここに住みたいですよ~」


「たまに遊びに来て泊まるくらいならいいだろうけど、ここに住み着くのは女子寮の関係者からクレームが来そうだぞ」


「お兄様、週に一回くらいだったらよろしいと思いますわ」


 桜も仲良しが一緒にいると比較的大人しくしているから、まあそのくらいだったらと聡史も首を縦に振る。ソファーには通学カバンと衣類が詰まった袋が置いてあるところを見ると、さっそく今夜桜主催のお泊り会を開催する模様が窺える。 


 その点を確認してみたところ、予想通り明日香ちゃんは外泊届を提出済みのよう。そこで聡史は思い付く。



「そうだ、今夜ここに招待したい人がいるんだけど、呼んでもいいかな?」


「まあ、お兄様、一体どなたですか?」


「さっき懐かしい人物に再会したんだ。メールが来たら誘ってみようかと思っている」


「懐かしい人? どなたか楽しみですわ」


「お兄さん、賑やかなほうが楽しいですから、今夜はパーッと盛り上がりましょう」


 予期せぬ流れではあるが、美鈴もこの部屋に招待される運びとなるらしい。






   ◇◇◇◇◇






 桜と明日香ちゃんは相変わらずリビングでたわいもない話を続けている。


 聡史は自分の部屋に戻って机に教科書と参考書を広げている。一応今日行われた学科の授業の復習をしながら美鈴からのメールを待つよう。


 夕方6時を回った時間になって彼のスマホが着信を告げる。開いてみると想像通り美鈴からの久しぶりのメール。


 聡史は食堂で待ち合わせする内容を返信すると、桜たちが待っているリビングへ向かう。



「桜、明日香ちゃん、食堂の入り口で待ち合わせだから今から向かおう」


「お兄様、ちょうどお腹が減ってきましたからナイスタイミングですわ」


「誰が待っているのか、ちょっと興味が湧きますよ~」


 三人ともすでに私服に着替えている。季節はすでに初夏に差し掛かっているので、聡史はジーンズにTシャツという大してセンスを感じないラフな服装。


 桜はジーンズのショートパンツを穿いて、水色のキャミソールの上から半袖のパーカーを羽織った活動的なコーディネートを選択。元々ファッションに大して興味がなく動きやすい活動的な服を好むので、普段からこんな装いで過ごしている。こんな雰囲気の私服で歩いていると制服姿よりも年下に見られる場合が多いが、本人は一向に気にしてはいないらしい。


 対して明日香ちゃんは、めいっぱいフリフリがあしらわれているワンピース姿。なぜこのような格好なのかはいずれ明らかになる。


 魔法学院の主な施設は、正門に近い順に校舎、研究棟、学生寮が並んでおり、グラウンドや屋外訓練場が南側に広がっている。


 学生食堂は研究棟の一階に設けられており、校舎と学生寮双方に連絡通路が設置されている。この学院は全寮制なので、所属する学生は、朝、昼、晩の三食をこの学生食堂で摂っている。レベルが高い学科の授業や体力を消耗する実技実習が続く中で、学生たちが最も息を抜ける場所こそがこの食堂といえよう。


 エレベーターで最上階から降りてくると、そこには学生食堂の入り口がある研究棟のエントランスが広がる。ちょうど夕食時ということもあって空きっ腹を抱えた男子生徒が連れ立って食堂に向かう姿や誰かを待っている女子生徒のグループが黄色い笑い声をあげている光景が、そこいら中に見られる。


 その中にポツンとひとりで壁際に立ってスマホの操作をしている美鈴の姿が飛び込んでくる。彼女は他の大部分の学生が私服姿の中にあって、まだ制服を着てカバンを持ったまま待ち合わせの場に来ている。


 聡史たちが彼女に近付いても、スマホに視線を向けている美鈴はまったく気が付く様子がない。



「美鈴、お待たせ」


 聡史の声に美鈴がハッとした表情で顔を上げる。その表情は一瞬喜びに頬を染めるが、すぐに微妙な様子へと変化。美鈴の視線は聡史の隣に並んでいる女子二人に向けられている。



「聡史君、ご一緒の方はどなたなのかしら?」


 目の前に現れた聡史が女子生徒を二人同行させていることに対して、美鈴は一体誰だろうと訝しむ目を向ける。



「お兄様、まさか美鈴ちゃんとこの学院でお会いできるとは思ってもみませんでしたわ」


「桜、どうやら美鈴はお前が誰なのか気が付いていないようだぞ」


 イタズラっぽく笑う兄妹に今度は美鈴が「まさか」という表情に変わる。



「も、もしかして桜ちゃんなの?」


 美鈴の記憶の中で桜は真っ黒に日焼けして網を持ってセミを追いかけて走り回っていた印象が強く残っている。聡史の横に並んでいる黒髪で色白の美少女が本物の桜だと気が付くには、少々時間が必要であった。


 ようやく事態を理解した美鈴に桜はニッコリ微笑みながら挨拶する。その表情を一目見たら、大抵の男子生徒の脳みそを一撃で崩壊するような破壊力最凶の笑顔だった。



「美鈴ちゃん、本当にお久しぶりです。小学校の頃みたいに仲良くしてくださいね」


「桜ちゃんは、ずいぶん変わったのね。本当にビックリしちゃったわ。男の子みたいだったのに、なんだか話し方までお嬢様風になっているし…」


 美鈴は想い出の中にあった子供時代の桜の印象と現在の姿のギャップにいまだ脳内の処理が追い付かないらしい。すっかり別人になった桜を相当な時間まじまじと見つめっ放しのまま。


 すると、そこへ…



「桜ちゃん、桜ちゃん、西川副会長とどういう関係なんですか?」


 ここまで蚊帳の外に置かれていた明日香ちゃんが好奇心丸出しの表情で桜に喰らい付く。クラスが違っていても、生徒会副会長の顔は彼女ももちろん知っていた。



「美鈴ちゃんは小学校を卒業するまでお隣に住んでいた仲良しだったんですよ。ほら以前明日香ちゃんが家に来た時に空き家になっていたお隣の話をしましたよね」


「ああ、そのお話は覚えていますよ~。その仲良しがまさかの副会長だったんですね」


 桜と明日香ちゃんは中学1年の新しいクラスで知り合いになっており、それ以降の付き合い。ちょうど美鈴と入れ替わりになるかのように… 桜はその辺の事情を説明する。



「美鈴ちゃん、こちらは二宮明日香ちゃんです。中学で知り合った私の親友で、今日の朝突然声を掛けられて本当にビックリしましたわ」


「どうも、一年Eクラスの二宮です」


「こちらこそよろしくお願いします。お顔は知っていましたが、こうしてお話しするのは初めてですね」


 美鈴は生徒会役員という職務上、1年生全生徒200人の顔と名前をすべて記憶している。クラスが違うので話をする機会こそなかったが、明日香ちゃんの能力データまで実は把握済み。



「挨拶が長引いたな。夕食をとりながらゆっくり話をしよう」


「お兄様、そうでしたわ。もうお腹がペコペコですの」


 もちろんこの提案に桜は身を乗り出して食いつくのは言うまでもない。こうして四人は空いているテーブルをキープして各自の食事をカウンターに取りにいく。



「ちょっと待って、桜ちゃん。トレーに乗っている食事の量がどう考えてもおかしいんだけど?」


「美鈴ちゃん、人は時間の経過とともに成長するものですわ」


「成長の仕方を間違えているぞ~」


 美鈴が桜の行動に目を見開き、桜が平然と返して、聡史が突っ込むというサイクルは小学校の頃に確立された当時のまま。三人で昔を思い出して思わず吹き出している。さらにこのやり取りを混ぜ返すがごとくに、横から明日香ちゃんが食い込んでくる。



「桜ちゃんはこれだけ大量に食べているのに、なんで太らないのか本当に疑問ですよ~」


「明日香ちゃん、体を動かしていれば食べた分は全て消化するんです。あなたも明日から私と一緒に体を動かして、ダイエットに取り組みましょう」


「絶対に嫌です。桜ちゃんと一緒に運動なんかしたら物理的に死にますよ~」


 明日香ちゃんは桜の実態をよくわかっている。家族以外で最も桜を理解しているのは彼女に他ならないだろう。それゆえに高速で首を横に振って桜の提案を撥ね付けようとしている。現実問題として本当に死なない保証がどこにもないから、彼女も必死な様子。


 その横では聡史と美鈴が見つめ合いながら、子供の頃のの想い出や互いの近況などを交わしている。



「ところで美鈴はどうしてこの学院に入学したんだ?」


「中学の時にたまたま魔力測定をしたら有望だという判定が出て推薦を受けたの」


「ということは魔法が専門なのか?」


「専門かどうかはまだ何とも言えないわ。術式を組み上げるのさえもそうそう簡単にはいかないし…」


「いやいや魔法なんか簡単だろう。よかったら俺が教えようか?」


「聡史君は魔法が使えるの?」


「初級魔法なら大概は何とかなるかな。属性は一通り網羅している」


「そ、それはどういうこと? 通常の場合個人に適性がある属性は一つか二つでしょう?」


 美鈴の声に驚きと聡史の言葉を果たして信用していいのかという疑念を含んだニュアンスがこもっている。だがその疑念を払拭するかのように桜が横から口を挟む。



「美鈴ちゃん、お兄様の魔法はそこそこ信頼がおけますわ。大抵の魔物でしたら一撃で倒しますから」


「魔物? 一撃? 桜ちゃん、それはどういうことかしら?」


 美鈴の頭の上には???が大量に浮かんでいる。桜の発言そのものの意味が美鈴には理解不能らしい。


 だがこの成り行きを聡史は不味いと感じている。桜がウッカリ口を滑らせたのは異世界での話。この場で二人が召喚された件まで話が及ぶのはどう考えても問題がある。仕方がないからかねてから用意していた言い訳を口にする。



「実は俺たち二人は海外のダンジョンにアタックしていたんだ。ほら日本のダンジョンは18歳にならないと入れなくなっただろう。だから俺たちは海外にしばらく行っていた。日本に戻ってきたのはつい一昨日の話だ」


「桜ちゃんのお兄さん、もしかして桜ちゃんが海外留学していたと話していたのは、ダンジョン留学だったんですか?」


 ここで明日香ちゃんがまたまた横から割り込んでくる。色々と好奇心の塊のような性格なので、何でも知りたがる。



「まあ、そうだな。しっかり語学力も身に着けたぞ」


 聡史の回答は実は正確ではない。異世界召喚特典で言語理解スキルを得て、異世界の言葉だろうが、英語だろうが、フランス語だろうが、会話だけなら可能になっただけ。



「そうだったの。すでにダンジョンデビューしていたのね。だったら明日から聡史君に魔法を教えてもらおうかしら」


「いいぞ、俺たちは実技実習を免除されているから美鈴の魔法の練習にずっと付き合ってやるよ」


「ずっと付き合って… いやいや、何でもないから。聡史君、ど、どうか誤解しないで」


「んん? 何を誤解するんだ?」


 聡史の「ずっと付き合って」というフレーズに敏感に反応してしまった失態に美鈴は耳まで真っ赤になりながら、恥ずかしさのあまりに両手で顔を覆っている。だが美鈴が周囲にバレバレの態度でなんとか誤魔化そうとした心の奥に秘めた気持ちに聡史が気付くことは一切なかった模様。鈍感男これに極まれり! 鈍感万歳! 一生童貞でいるつもりか! こんな感情を表面に丸出しにしながら桜が兄に諦めたかのように語り掛ける。



「本当にお兄様ったら… 私でしたら目の前に転がっているオイシい餌にパクっと食いついているのに…」


 妹から憐みの表情を向けられているが、それでも聡史は何も気づく様子はない。そこにすかさず明日香ちゃんが…



「私も、お兄さんに魔法を教えてもらいたいですよ~」


「明日香ちゃんは私がマンツーマンでビシッとシゴキ倒します」


「絶対に嫌ですぅぅ!」


 鬼軍曹のような表情を浮かべた桜の提案に、明日香ちゃんの心からの叫びが食堂内に響くのだった。



 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


思わぬ出会いに心躍らせる兄妹。果たしてこの出会いがどのような方向に進んでいくのか…


「面白かった! 続きが気になる! 早く投稿して!」


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