第70話 マンスール伯爵


 聡史兄妹が大暴れをしている頃、砦から離れたとある場所では、明日香ちゃんとカレンがのんびりとした昼下がりを過ごしている。



「カレンさん、日本はだいぶ寒くなりましたが、ここはポカポカして眠くなりますよ~」


「明日香ちゃん、眠気覚ましにミルクティーを淹れましたよ」


「ふわぁ~… とってもいい香りですね。ああ、お砂糖は3杯お願いします」


 明日香ちゃんはずいぶん大きくなったものだ。つい半年前までは魔法学院断トツビリの存在であったのが、いまや天使となったカレンの給仕でミルクティーを嗜むまでに成長している。世の中には本物の天使が淹れたミルクティーなら何億円出しても惜しくないと言い出す人間がいるであろうというのに、明日香ちゃんは当然のような表情で砂糖山盛り3杯入りのミルクティーで満たされたティーカップを受け取っている。



「カレンさん、お天気がいいのでこうしてボーっとしているのも悪くないですが、一体いつになったら桜ちゃんたちが帰ってくるのでしょうか?」


「そうですねぇ… 意外と早く片付けて戻ってくるんじゃないかと思いますよ」


 そういえばこの二人のツーショットというのも比較的珍しいケースのような気がする。とはいえ常日頃から桜の監督のもとに槍とメイスで打ち合っている間柄だけに、互いの心技体を通じて常に肉体言語でやり取りしている仲でもある。


 カレンにとって明日香ちゃんはいまだに一本取れないライバルであり、いつかは越えてみたい目標でもある。もちろんこれは、カレンが胸に密かに秘めている明日香ちゃんに対する気持ち。こんな話を面と向かってすれば、明日香ちゃんがわざと負けようとするのは明白だろうし。


 一言付け加えるとすれば、これは人間としてのカレンが持っている感情といえよう。天使の目を以って見えてくる明日香ちゃんの本質は、カレンからすれば自ずと異なる様相を示しているのであろう。それはカレン本人に聞かなくてはわからないであろうが…



「それにしても今回は残念でしたね。私と明日香ちゃんだけ出番がなくて」


「カレンさん、それは大きな間違いですよ~。戦いなんていう面倒事は全部桜ちゃんに押し付けて、私はずっと楽をしていたいんですよ~」


「明日香ちゃん、その悪い癖さえなければ、今頃はダンジョンのラスボスくらいは簡単に倒しているかもしれないのに…」


「えっ? カレンさん、何か言いましたか?」


 どうやらカレンの呟きは明日香ちゃんの耳には入っていないよう。まあいいかと考えを切り替えて、カレンは明日香ちゃんに別の話題を振っていく。



「ところで明日香ちゃんは未だに職業が決まっていないんですか?」


「そうなんですよ~… 早く魔法少女になりたいんですけど、ステータスには相変わらず何も出ないんです」


(いやいや、魔法少女になりたいんだったら、もっと色々努力を…)


 カレンの口から思っている本音が出掛かったが、寸でのところでストップが掛かかっている。努力するかどうかも全ては本人次第なのだと思い直した結果らしい。天使の身なので他の人間に干渉するのはあまり好ましくないという判断が働いたのであろう。



「はぁ~… 楽して簡単に魔法少女になる道はどこかに転がっていないんですかねぇ~」


「さすがに私もそんな都合のいい方法なんて心当たりはありません。甘い言葉で勧誘してくる悪いものと契約して色々利用された挙句に不幸になるかもしれないですよ」


「そうですか… 地道に頑張るしかないんですかね~。はぁ~… 私の職業って一体なんでしょうね?」


 お気楽に生きている明日香ちゃんもどうやらこの件ばかりは目下の体重以上の悩みのよう。このところ間近で天使だの大魔王だのといった人間を超越した存在の職業を目撃しているだけに、明日香ちゃんとしても自分の職業が中々決まらないモヤモヤした胸の内を抱えている。




 そうこうしているうちに、遠くに人影が浮かび上がってくる。聡史兄妹と美鈴が三人並んでこちらに向かってくる姿が遠くに豆粒のように映ってくる。



「やはり早めに戻ってきたようですね。あの三人で出撃すれば敵などどこにもいませんから」


「また桜ちゃんがドヤ顔で私に色々と報告するんですよ。きっとそうに決まっています」


「ドヤ顔って… 多少のことには目を瞑ってあげてください」


 桜は滅多に他人に手柄話などしないのだが、明日香ちゃんにだけはこっそり打ち明けているよう。一番気を許せる相手には、レベル600オーバーの桜といえども聞いてもらいたい話の一つや二つはあるのだろう。




 二人がミルクティーを口にしながら待っていると、聡史たちがテーブルを置いてある場所に戻ってくる。カレンは天使の領域を解除して戻ってきた三人を迎え入れる。



「おかえりなさい。えーと、聡史さんが引き摺っているのは何者ですか?」


「こいつは砦にいた魔族の指揮官だ。自分をマンスール伯爵と名乗っていたぞ。多少痛めつけてやったから回復してやってくれ」


「足が折れているし、引き摺ったせいで体中ボロボロだし、多少と呼べる痛めつけ方ではないような気がします」


 聡史の強引な論法に若干引き気味になっているカレンがいる。どう見ても体全体がボロボロなのだから、彼女の言い分のほうが正当性が高い。するとここで桜が横から口を出す。



「カレンさん、息があるだけでも実に寛大な処置ですわ。砦にいた魔族は千人単位で今頃全員お喋りができなくなっていますから」


「お喋りができない? 何かの魔法でも掛けてきたんですか?」


「そんな手間は必要ありません。物を言わぬ死体に変えただけですの。死体は美鈴ちゃんが骨まで灰にしてくれましたわ」


「あー… 」(察し)


 この短時間の間で千人の魔族が立て籠もる砦を襲撃して、ひとり残らず死体に変えてきた… 桜の話を聞いてカレンはさらに引いている。その耳に明日香ちゃんがそっと囁く。



「ほらね、カレンさん。桜ちゃんがドヤ顔をしまくっていますよ」


「明日香ちゃん、お手柄なんですから、その辺には目を瞑ってあげてください」


 可愛くないんだから… という表情で桜を見つめる明日香ちゃんを宥めにかかるカレンの大人の対応というべきだろう。




 それはそうとして聡史が引き摺ってきたマンスールの回復が終わって、あとは目を覚ますのを待つだけとなる。5分程度経過すると、ゆっくりとマンスールの目が開いていく。



「こ、ここはどこだ? やや、貴様らは人族かっ?!」


 聡史に意識を刈り取られてマンスールはやや記憶が混乱しているよう。何度か首を振って、つい今しがた起きた出来事を思い出そうとしている。



「やっと目を覚ましたか。さて、知っていることを全部吐いてもらおう」


「貴様は我の部屋に押し掛けてきた人間か! この場で殺してくれるぞ!」


 マンスールはデビル&エンジェルに向かって魔法を放つ構えを見せる。だが…


 ドカッ!


 顔面に桜のフックを食らって右方向にすっ飛んでから、地面で8回バウンドしてようやく停止。ちなみに首が変な方向に曲がっており、呼吸が停止している模様。



「おや、ちょっと加減を間違えましたわ」


「桜はしょうがないヤツだなぁ~」


「「ハハハハハハハ」」


「ハハハ… じゃないでしょうがぁぁ! 情報を得るためにせっかく生け捕りにしてきたのに、ここで死なせてどうするのよぉぉ!」


 ここまで敢えて口を出していなかった美鈴が盛大に兄妹に突っ込んでいる。なんだったら小一時間説教も已む無しという覚悟を決めた表情。



「まあまあ美鈴さん、そんなに熱くならずに」


「そうだぞ。こんなトラブルは桜がいる限り当たり前の出来事なんだからな」


「そうですわ。お兄様の言う通り、私がいれば当たり前… なんですってぇぇ!」


 今度は妹が兄に食って掛かっている。傍で見ているカレンとしては一刻も早くこの場を収拾する必要に駆られてしまうのは当然であろう。



「と、取り敢えず復活させますから、少々お待ちください」


 カレンが天界の光を当てるとマンスールの体がピクリと動く。そして何事があったのかと不思議そうに首を振りながら立ち上がる。



「き、貴様らは砦に押し掛けてきた人族であるかぁ! この場で皆殺しにして…」


 ドカッ!


 マンスールのセリフを最後まで言わせずに、桜のアッパーカットが繰り出される。マンスールの体は地上30メートルまでロケットのように飛び出したかと思ったら、重力に導かれて落下する。


 ドスーン!


 地上に落ちてきたマンスール、またもや首が変な方向に曲がっており、明らかに心臓が止まっている模様。



「またまた加減を間違えましたわ」


「桜、面白いからわざとやっているだろう」


 兄に突っ込まれてテヘペロ顔をする妹がいる。先ほどと全く同じ展開に美鈴をはじめとしてカレンと明日香ちゃんも呆れた表情で桜を見ているだけ。いくら敵の指揮官とはいえ、もう少しくらいは人道的な扱いをしてもよさそうなものだが…



「今度は私が対処するから、桜ちゃんは手を出さないでいてね」


「面白くありませんわね」


 美鈴に釘を刺されて桜はつまらなさそうにしている。だがその表情には一切の反省の跡がない。これほどまでに図太い神経の持ち主は広大な宇宙全体を探しても見当たらないだろう。



 美鈴がカレンに目で合図をすると天界の光アゲインで、またもやマンスールが復活して立ち上がる。



「き、貴様らは砦に押し掛けてきた人族! 我の手でこうして… グアァァァァ!」


 マンスールのセリフが終わらないうちに、今度は強大な力で地面に張り付けにされる。マンスールが魔法を打ち出すよりも圧倒的に早く美鈴の重力魔法が発動した結果、マンスールは身動きひとつできないように地面に寝かされて拘束されている。


 

「闇より生まれし者なれど、まことに取るに足らぬ矮小な存在であるな」


 マンスールの前に立って地面に張り付けになっている姿を見下ろす美鈴の眼光がルシファーの魂を帯びている。たったそれだけで、周囲には圧倒的な闇の支配者が降臨した荘厳たる雰囲気が出現する。何とか重力の軛から逃れようとジタバタしていたマンスールも、眼前に現れた存在が振りまく雰囲気にのまれた表情で目だけを上に向けてその姿を呆然と見ている。



「闇から生まれし穢れた者よ、そなたに問おう。何ゆえに悪戯に人の命を奪う?」


「そ、それは… 我が主である魔王様がお命じになったまでのこと」


「魔王の命か… まことに下らぬな。このルシファーが直々に出来損ないの闇の魂を滅してくれようか」


「お、お助けを! どうか、お慈悲を!」


 魔王など物の数ではない圧倒的な威厳を目の前にして、マンスールは為す術なく慈悲を乞うしかできないよう。それほど眼前のルシファーが放つ荘厳なる闇の支配者としての雰囲気に身も心も飲まれている。闇の属性を体に宿す魔族からしてみれば、闇と暗黒の支配者ルシファーは神にも等しい存在に違いない。



「そこなる矮小な存在よ、このルシファーに従う気はあるのか正直に申せ」


「従いまする! この身を賭して従いまする!」


 はい、1匹釣れましたー! 的な眼光を一瞬浮かべた美鈴ではあるが、言葉にする際は億尾にも出さずに威厳に包まれながら申し渡す。



「よい、その言を認めて進ぜよう。今後はこのルシファーの命に従うがよい」


「ははあぁ… 身に余る光栄でございます」


「ところで、そなたの名は何者が授けた?」


「魔王様から頂いた名でありまする」


「そうか… ルシファーに仕えるにはその名では響きが安っぽいな。そうよなぁ~… よかろう、以降は魔公爵レイフェン=クロノワールと名乗るがよい」


「ありがたき幸せにございまする。このレイフェンめは命を懸けましてあなた様にお仕えいたしまする」



 こうしてひとりの魔族が、美鈴の軍門に下る。それはただ単に従う程度の生易しい誓いではない。逆らえば即座に命を取られても構わないという、神を目の前にした強烈な信仰心にも似た自らの存在そのものを懸けた誓いそのもの。


 自分に従うという誓いを立てたレイフェンの態度に満足して、美鈴は重力魔法を解除してから聡史たちに向き直る。すでにルシファーの魂は引っ込めてあるよう。



「知性がない魔物を従えるのは無理だけど、魔族を従えるのはどうやら簡単なようね。これが大魔王という職業がもたらすスキルかしら?」


「美鈴、多分そんな生易しいレベルの話じゃないぞ」


「そうかしら? まあいいわ。レイフェン、私たちについてきなさい」


「敬愛する我がマム、かしこまりました。すべては仰せのままに」


 こうして美鈴の配下となったマンスール伯爵改め、レイフェン=クロノワール魔公爵を連れたデビル&エンジェルは、日本に戻るためについ先程出てきたばかりのダンジョンへ戻っていくのであった。






   ◇◇◇◇◇






 ダンジョンに入り込んだデビル&エンジェルは転移魔法陣によって一気に最下層まで運ばれていく。


 もちろん美鈴が配下にしたレイフェンも一緒。美鈴の口から断りなく魔法を使うなとか、許可なく人に手を出すななどと色々と注意を受けたので、日本へ連れ帰ってもそれほど心配はいらないだろうと一同は考えている。



「大魔王様、ダンジョンの最下層とは、このようになっておりましたか。レイフェンめの6百年に渡る生の中で初めて目にする光景でございます」


「この程度で驚くようでは持たぬぞ。もっと驚くべき世界にこれから向かうゆえに」


「承知いたしました。気をしっかり持ちまして、その驚くべき世界というのをこの目にいたしまする」


 なんだかすっかり主従関係が出来上がっているよう。レイフェンが命を懸けて仕えると言ったのは、どうやら本心からと見受けられる。



「それじゃあ、宇宙空間に向かおうか」


 聡史の号令に合わせて、全員が光の架け橋を進んでいく。ここに来た時と同様に空間が渦巻く場所に到着すると、ひとりずつその渦の中に身を躍らせていく。







   ◇◇◇◇◇






「さて、今度はどこのダンジョンに出てきたんだろうな?」


「お兄様、やはり最下層のようですわ。あの奥にはラスボスが待ち受けているようです」


 桜の視線の先には、巨大な鋏を左右に振り回しながらこちらに向かって来ようとしている大サソリの姿がある。今まで聡史たちが攻略したダンジョンは30階層以下のボスの中でさらにもう一段階レベルが高くなった魔物がラスボスとして登場してきた。だが空間の奥からこちらに向かって動き始めている大サソリは、今まで階層ボスとして登場してこなかった言ってみればレアな個体。



「ラスボスが大サソリなんて新しいパターンだな。あれはデス・ストーカーだろうか?」


「お兄様、どうやらそのようですわ。私も一度しか戦った経験はありませんが」


 デス・ストーカー… 異世界では数百年おきに出現する災厄級の魔物。現地では1体現れただけで一国が滅ぶと噂されている。外見こそサソリと同様の形状をしているが、頭から尻尾の先まで全長50メートル強。体全体は強固な外殻に覆われており、魔法や刃物を撥ね返す硬さを誇る。尻尾の先にある毒針に人間を即死させる強力な毒を持っているだけでなくて、口からも毒霧を吐き出して獲物を一度に大量に仕留めることが可能という中々の化け物。


 巨大な鋏は鉄製の甲冑を着込んだ騎士程度は軽く両断するし、攻撃力と防御力においてはドラゴン以上の強敵。しかもタチの悪いことに10本ある足を巧みに動かして巨体であるにも拘らず動きが素早い。


 このどこにも弱点が見当たらないデス・ストーカーを前にして、さすがのデビル&エンジェルも動揺して… はいない様子。聡史、桜、美鈴、カレンの四人で誰が倒すかを巡ってジャンケンを始めている。



「負けたぁぁ!」


「残念ですわ」


 聡史と桜が真っ先に脱落して、美鈴とカレンの間で決勝戦が始まる。



「負けてしまったわ」


「今回はようやく私の出番ですね!」


 最終的にデス・ストーカーの相手を務めるのはカレンと決定する。もちろん明日香ちゃんはこの成り行きをお任せで眺めているだけ。一切ヤル気なしのその態度に手にするトライデントが滂沱の涙を流している。



「それでは参ります」


 カレンが一歩前に出ると一度だけ目を閉じる。その瞳が再び開かれると、そこにあるのは天使だけが持ち得る銀眼の双眸。



「封滅の光」


 水平に掲げた右手から白い一本の光が飛び出してデス・ストーカーの体に吸い込まれていく。一筋の光など何の影響もないようで、デス・ストーカーはなおもデビル&エンジェルに向かって突進する速度を緩めない。効果がないことを不審に感じた美鈴がカレンに尋ねている。


 

「カレン、大丈夫なのかしら?」


「間もなく効果が出てきます」


 カレンの言葉が終わるや否や、デス・ストーカーの足が突然停止。足を止めたデス・ストーカーは苦しむように左右のハサミを振り回すがそれも長くは続かない。完全に体の動きを止めてその場にじっと留まっている。


 そして、次の変化が訪れる。



 ベコン! ベコベコ ベコン!


 デス・ストーカーの硬い外殻が突然内側に向かって大きくヘコんでいく。胴体の部分からヘコみが広がって、次第に尻尾やハサミまでが内側に向かって崩壊するかのようにヘコむ。そして最後には残った頭部までが、大きな音を立てながら異様な塊になりつつある胴体に飲み込まれていく。


 ようやくそこで内側への崩壊は停止した模様だが、こんな形になってはいくら生命力が強いデス・ストーカーといえどもすでに絶命している。不気味な形のオブジェと化したデス・ストーカーは、ダンジョンに吸収されて姿を消し去っていく。



「カレン、今の術式はどのように組み立てたの?」


「デス・ストーカーの体内で瞬間的にマイクロブラックホールを発生させました。周囲に影響を与えないように10のマイナス20乗程度の短い時間で消えるように調整しました」


「これはまた思い切った手段に出たわね」


 美鈴は感心しきりの様子でその後もカレンに色々と聞いている。魔物の体内に微小なブラックホールを形成するというその斬新な発想に驚かされているよう。魔法の第一人者として、ただ今のカレンの術式を自分でも再現しようという魂胆なのだろう。


 どうやらこの術式のポイントは、崩壊が周囲に広がらないようにブラックホールの発生を短時間で収束させる点にあると美鈴も気が付いたよう。だが美鈴にはさらに不可解な点が残る。カレンが発した光がどのようにデス・ストーカーの体内にブラックホールを生成するのか、その原理がいま一つ納得しかねるらしい。



「光の効果をどのように使ってデス・ストーカーの体内でブラックホールを生成したのかしら?」


「美鈴さんは素粒子をご存じですか?」


「ええ、一応の知識としては知っているわ」


「素粒子には様々な種類が現時点で判明しています。その中でも物体を易々と突き抜ける超微小な素粒子があります。それに細工をしてデス・ストーカーの体内で一か所に集積させて、あとは超重力を加えていけば…」


「途方もない高度な術式ね。それこそ神の領域に足を突っ込んでいるじゃないの」


「そこは天使ですから神様とは昵懇なんです」


「原理が分かったから私にも使えそうね。いつか披露するわ」


「くれぐれも範囲と時間の設定に気を付けてください。闇の支配者には無駄な忠告だとは思いますが」


「天使の忠告なんて最大限に尊重しないといけないでしょう。心に留めておくわ」


「美鈴さんのアレンジが加わった術式を楽しみにしています。というか私自身美鈴さんの重力魔法を基礎にして考えた術式なので、美鈴さんに感謝しているくらいです」


「照れるからヤメてよね。それにしても天使の力というのは大魔王の盲点を巧妙に突いてくるわね」


「それはそうです。大魔王を出し抜くくらいでないと光と闇の最終戦争は乗り切れませんから」


「そんな馬鹿げた出来事が起きないことを心から願うわ」


 最終戦争の件はもちろんカレンの冗談。天使とルシファーの会話ともなると冗談のスケールが大きすぎる。一般人は本当にそのような恐ろしい出来事があるのかと、つい本気にしてしまうだろうに。


 だが本当にこの両者の間で最終戦争が起きる可能性は無きにしも非ずと言えよう。聡史を巡ってあるいは… その時は世界が滅ぶかもしれない。


 それにしても恐ろしい術式と褒めるべきだろう。体内にマイクロブラックホールを形成されたデス・ストーカーに合掌。



 宝箱等を回収していると、各自の脳内にアナウンスが響く。



(伊予ダンジョンを完全攻略いたしました)



「今度は四国に戻ってきたんだな」


「また飛行機で戻らないといけないわね」


 聡史と美鈴が顔を見合わせている。これで日本全国にある12か所のダンジョンのうち半数にあたる6か所のラスボスを倒したと承認された模様。誰が承認しているのかは定かではないが…


 こうしてデビル&エンジェルは転移魔法陣に乗って一気に地上へ戻っていくのであった。







   ◇◇◇◇◇






「もしもし、学院長ですか?」


「楢崎中尉、今どこにいるんだ?」


「中尉? 何の話ですか?」


「このところの活躍で貴官と妹は2階級特進だ。それよりも、どこにいるのか先に報告しろ」


「あ、はい! 現在伊予ダンジョンの管理事務所におります。それでですね、異世界の魔族が1名同行しているんですが、どうしましょうか?」


「魔族だと? 詳しい経過を話せ」


 聡史は美鈴がレイフェンを配下にした経過を説明すると、さしもの学院長も呆れたような声で返事をしてくる。



「異世界の住人の次は魔族か。まあいい、双方の話を基にすれば異世界の状況が鮮明になってくるだろう。一旦松山駐屯地に保護してもらうから、その場で迎えを待っていろ」


「了解しました」


 ダンジョン管理事務所の外を見るとすでに夕暮れの時間はとうに過ぎて、辺りはすっかり夜の帳が下りている。聡史や美鈴はさほど空腹ではないものの、桜と明日香ちゃんがどうしても食事をすると主張したため、管理事務所付属の食堂へと一同は入っていく。



「お兄様、ご当地名物の鯛めしがありますよ」


「あっさりと食べられそうだな」


「それでは、鯛めしスペシャルセットでよろしいでしょうか?」


「いいんじゃないか。他のみんなはどうする?」


 軽く食べようと考えている他のメンバーは、大してメニューを見ないで桜の意見に同意している。



「すいませ~ん! 鯛めしスペシャルセットを6人前と、天丼とうどんセットと愛媛豚みそ焼き定食お願いしま~す!」


「は~い! 鯛めしは今からご飯を炊きますので時間が掛かりますがよろしいですか?」


「待ち時間が長いんでしたら、適当に飲み物を頼みましょうか」


 という美鈴の意見で、めいめいが好みの飲み物を注文する。聡史とカレンがホットコーヒ-で美鈴がレモンティー、桜と明日香ちゃんはクリームソーダを頼む。レイフェンはメニューの意味が分からないので、取り敢えずホットコーヒーを選んでいる。


 

「お飲み物をお持ちしました」


 食堂の係員が注文した飲み物を運んでくる。管理事務所の食堂なので、専門店で提供されるような手の込んだ飲み物とは到底呼べないありふれた品が提供される。


 レイフェンは目の前に置かれたカップに入っている褐色の液体を凝視している。初めて目にするホットコーヒーに、、相当戸惑っている様子が見受けられる。


 やおら彼はカップを手にすると、ブラックのまま一口ゴクリと…



 ぷーーーーーっ!


 あろうことか、レイフェンは口に含んだコーヒーを霧吹き状に吹き出している。褐色を帯びた液体の霧が宙に噴霧されて、なぜかそこに七色の虹がかかる。


 とんでもない粗相をしたにも拘らず、レイフェンの表情は苦みでグシャグシャな有様。魔族の世界で貴族だったと胸を張れるような威厳はどこにもない。


 

「これ、レイフェン! そのような作法はマナーに反します」


「だ、大魔王様、大変申し訳ございませんでした。ですが、この液体は何でございましょうか? 錬金術師が長い時間をかけて薬草を煮詰めた代物でしょうか? どうにもこの苦みが口の中に残って、恐ろしき有様でございます」


 平身低頭しながらも、コーヒーの苦みに耐え切れなかったと必死に言い訳をしている。こうしてみると、中々可愛いヤツに見えて… こないだろうが! 600年も生きている魔族のオッサンがのどこが可愛いんだ。


 客席の様子に気が付いた係員が布巾を手にして登場すると、素早くテーブルを拭き取ってレイフェンの粗相の跡は何事もなかったかのように片付けられる。素晴らしい職業意識。管理事務所の食堂係ではなくて、一流料亭でも接客が務まりそうなハイパー係員かもしれない。どこの管理事務所にもこのような超有能な人材が潜んでいる。ダンジョン管理事務所、恐るべし…



「レイフェン、いきなりブラックなどハードルが高いであろう。ここにある砂糖とミルクを加えてみるがよい。飲みやすくなるゆえに、試してみるのだ」


「はは、それでは失礼いたしまする」


 美鈴から教えられたレイフェンはカップの中に砂糖とミルクを明日香ちゃん並みに加えていく。バサバサと砂糖を入れてから、ミルクをドクドク足していく。そして再び恐る恐るコーヒーに口をつけると…



「これは! なんという心休まる香りか! これほど甘さと深いコクのある香りが心地よい気分にさせる飲み物であるとは思わなんだ! 大魔王様のご助言のおかげで実にに尊き味わいに出会って、このレイフェンは幸せでございまする」


 コーヒー一杯で感極まった表情を浮かべている。早速異世界のカルチャーショックに出会ったレイフェン、その変わり身を見ながら他のメンバーは笑いを堪えている。


 

 4、50分待っていると、席には注文した鯛めしスペシャルセットが運ばれてくる。軽い食事でいいかというほとんどのメンバーの思いとは裏腹に目の前に並んだのは一人用の小さなお釜に炊き立ての鯛めしと、数種類の刺身盛り合わせ、茶わん蒸し、煮物、タイのアラのお吸い物、てんぷら等々、豪華お一人様3500円の料理の数々。瀬戸内の海の幸満載の豪華な内容にデビル&エンジェルのメンバーの目が点になっている。



「さ、桜… 軽い食事のつもりだったんだけど」


「お兄様、この程度は軽い食事です。私はこのセットとは別に天丼と愛媛豚のみそ焼き定食まで頼んでいますから」


 どうやら桜基準だとこの程度はペロリといける量らしい。桜に注文を任せたことを後悔しているメンバーが続出している。



「タイの頭と骨は、こんな感じで外してください」


 係員さんが丁寧に説明してくれる。箸でご飯の上に横たわっている丸1匹のタイの身を上から押し付けるようにしてから頭を外すと、きれいに骨まで一緒に取れていく。そして、しゃもじでご飯とタイの身を混ぜてから一口食べてみると…


 全員の後悔が一気に吹き飛んだ。



「これは美味いぞ!」


「タイの身がとっても上品ね」


「出汁との相性が抜群です!」


「体重は気にしないで食べまくりますよ~。ああ、デザートは別腹ですからね」


 どれが誰の意見かは想像にお任せする。もちろん注文した張本人である桜は鯛めしの美味しさに夢中で一心不乱に箸を動かしている。周囲の意見など耳には入らない様子。



 そして、件のレイフェンであるが…



「なんという素晴らしき味わいか! このような料理は、魔王城でもとんと口にした覚えがない…」


 日本の料理に言葉を失っている。もはやその眼は人族だからといって見下すような感情はとうに消え去っている。日本の一地方のご当地名物を味わっただけでこの変容ぶり。先に到着した異世界からの来訪者であるマリウスやディーナ王女の反応をも上回る、絶大なカルチャーショックがレイフェンを襲っているよう。



 管理事務所の食堂で満足が行く食事を終えて一休みしたちょうどいいタイミングで、松山駐屯地から迎えの車両が到着する。大型のワゴン車に全員が乗り込むと、松山市内に向かって出発する。


 伊予ダンジョンはその名の通り伊予市内の比較的海に近い場所にある。日本各地の他のダンジョンが内陸部や山のふもとに出来上がっているケースが大半であるのに比べると、ここだけは位置的にやや特殊な環境かもしれない。


 時折間近に海岸が広がる幹線道路を通って松山市内が目に入ってくると、レイフェンの口から驚きの声が上がる。



「大魔王様! この先に見えるは、天上都市ヴァルハラでありまするか?」


 四国では最大の50万都市である松山市、その照明に照らされるビルが並ぶ一角を遠目に見たレイフェンの感想がコレ。魔族のレイフェンがこれまでの人生の中で目撃した最大の建物は当然ながら魔王城に他ならない。だが遠目に見ても市街地にあるビルやマンション群は明らかに魔王城よりも巨大に映る。


 彼はその光景を称して「天井都市ヴァルハラ」と口にしている。魔族たちの伝承では、はるかな高空に浮かぶ都市には天を衝く巨大な建物が林立していると伝えられている。レイフェンは市街地の姿を見て自分はそこへやってきたのかと勘違いしているよう。



「レイフェン、これが私が先程述べた驚くべき光景のひとつに過ぎぬ。この程度はまだ序の口ゆえ、さほど驚くにはあたらぬ」


「大魔王様、これまでの重ね重ねの非礼をお詫びいたしまする。どうやらこの国の住民は只の人族ではなくて、天上都市ヴァルハラにお住いの輝ける光の住人でございましたか」


 よくわからないが、魔族の間ではそのような伝承が残っているらしい。面倒になった美鈴は適当に話を合わせることにする。



「左様、現にこの場に天使もおるであろう。ここは、そなたらの伝承にある天上都市ヴァルハラである」


「やはりそうでありましたかぁぁぁ! 魔族の誰もが成しえなかった天上都市ヴァルハラにこのレイフェンは到達したというのは、600年もの生の中で最大の幸せにございます。大魔王様のお慈悲に感謝申し上げるとともに、天上の方々、今後は皆様の僕であるレイフェンに何なりとお申し付けくださいませ」


 レイフェンの中では〔美鈴=大魔王〕というだけではなくて、この世界の住民全てが天上の住人という尊敬の対象に位置付けされるよう。まあ日本社会で乱暴狼藉を働くよりはいいかと、聡史たちはそのまま放置する決断を下す。捕虜として日本に連行されたと捉えるよりも、大魔王の力によって天上都市に招かれたと思い込んでいるほうが本人は幸せというならそのままにしておこうというある種の優しさに見えるが、実はそうでもない。


 レイフェンの配下の魔族兵は一兵も残さずに全滅させられたが、そんなことを補って余りある幸福に浸っているならこの場はレイフェンの意思を尊重してやろうというある種の腹黒い考えで一致している一同であった。なぜなら、そのほうが色々と都合がいいから…



 こうして勘違いをしたままのレイフェンと周囲の腹黒い面々を乗せたワゴン車は無事に松山駐屯地の正門を潜っていくのであった。


   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



アッサリと美鈴の軍門に下ったマンスール伯爵。当面は大魔王様を主君として仕えることになりそうな展開です。果たして先に魔法学院に滞在するディーナ王女たちと上手くいくのでしょうか… この続きは出来上がり次第投稿します。どうぞお楽しみに!


「面白かった、続きが気になる、早く投稿して!」


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