第47話 個人戦決勝 2


 八校戦において個人戦の最終種目である格闘部門オープントーナメント決勝戦がいよいよ始まる。


 決勝までコマを進めた二人が控室の出口に近い場所に立って入場のアナウンスを待つ。


 青の入場門の前に立つ桜はまったく気負った様子もなく、普段通りにこれから始まる戦いを楽しみにする表情で軽くジャンプしながら体を温めている。



「さて、軽く相手をして差し上げますわ。留学生がどの程度の腕をしているのか実際にこの目で確かめるのも一興ですね」


 その口振りは、既に自らの勝利を確信しているかのよう。普通の人間がこんなセリフを吐こうものなら「試合に集中しろ」と後頭部をはたかれてもやむ無しだろうが、こと桜が口にするといかにも本当に起こりそうに感じてしまうから、アラ不思議…


 対して赤の入場門に控えるマギーは口を真一文字に結んでこれから始まろうとする一戦に向けて気持ちを引き締めている。



「噂の兄妹がどの程度の力を持っているのか、この目で確かめてやるわ」


 こちらも桜同様に勝利を確信した態度で試合を迎える様子が窺える。それだけではなくて彼女の態度の背景には世界一の超大国の威信を両肩に背負っているかのような責任感が窺える。そしてその顔は祖国を代表する誇りを宿していると誰しもが感じるような凛とした表情。それだけではなくて、いまだ明かされてはいないが、彼女はこの対戦を通して得るべき秘匿された意図もある。



「ただいまから近接戦闘部門オープントーナメント決勝戦、第1魔法学院楢崎桜対第4魔法学院マーガレット=ヒルダ=オースチンの対戦を開始いたします」


 アナウンスとともに両者がフィールドに姿を現す。桜とマギー双方ともに武器を手にしないで両手にグローブを嵌めたスタイルでこの決勝戦に臨む。桜の戦闘はご存じの通り肉体そのものを武器に使用する格闘戦であるが、マギーも同様に全身を武器にして戦う桜と共通したスタイル。特に蹴り技に関して誰にも負けないという自信を胸に秘めている。


 開始戦を挟んで睨み合う両者の姿はまるでこれから総合格闘技のタイトルマッチが始まるかのような雰囲気を湛えている。いや、プロの試合でもここまでに緊迫感はそうそう醸し出せるものではない。


 桜はこれから始まる対戦が楽しみなようでにこやかな笑みを絶やさないのに対して、一方のマギーはガンをつけるがごとくに鋭い視線を送っている。舌戦の口火を切ったのはやはりマギーのほう。



「ついにあなたの化けの皮を剥がれる瞬間が来たわね。どんなに強がっていても私の前に屈服するのよ!」


「まあ、これは驚きですわ! 私の前でこれだけの大口を叩ける人間なんて久しぶりに目にしました」


 桜は真顔に戻って目を見開いて驚きを示している。彼女の実力を知らずに叩きのめすと宣言した東十条雅美のような者は過去にもいたが、これまでのトーナメントで公開してきた戦いを目の当たりにしているにも拘らず、マギーがこれほどの自信をもって放ったセリフに対して冗談を抜きにして驚いているよう。



「私は全米でナンバーワンの現役冒険者よ。その程度の実力では私の足元にも及ばないという厳然たる事実を、あなたは今から思い知るの」


「私の実力ですか… もしそれを知ったらあなたは冗談抜きで死にますよ。まあ、それなりに手加減はするつもりですから、どうぞご安心ください」


 桜は口でも負けていない。これだけ強気の発言を繰り返すマギーを頭ごなしに見下すような物の言い方をしている。他の人間がこのようなセリフを吐いたらその場で殴り掛かられるか大ウソつき呼ばわりされても仕方ないであろうが、何しろ口にしたのは自他ともに認める絶対強者の桜。彼女にとってこのような挑発など戦いが始まる前の基本的なマナーの初歩のさらに初歩。むしろ挑発には挑発で応じてしてあげないと失礼に当たるなどと、真剣に信じているのかもしれない。



「呆れたわね。その強気がいつまで続くか覚えておくといいわ」


「ご安心くださいませ。私の強気は永遠に続きますわ。信頼と保証のジャパネットやかた並みの安心感だとご承知おきください」


「安心感が安っぽく聞こえるだろうがぁぁぁぁ! 社長が直々にテレビの画面に登場するのかぁぁぁ! 声が甲高くてやけに耳に残ってしまうんだぞ」


 突然二人の間に割り込むようにスタンドの最前列から聡史の声が響く。桜に突っ込めという天の声が聞こえてきたらしい。けっして出番がないから強引に割り込んでわけではない。


 だがこの聡史のツッコミが、ヒリつくように緊迫感に包まれていた会場の雰囲気を和らげる効果を発揮する。声を出すのも憚られるピリピリしたムードが平常化して、ようやくスタンドをぎっしりと埋めている観衆が声を出せる環境を取り戻す。



「どっちが勝つんだろうな?」


「まったく予想がつかない」


「第1の代表は準決勝であっち向いてホイの結果で勝ち上がったと聞いているぞ」


「バカ! お前は見ていなかったからそんな呑気なことを言えるんだ! とんでもない轟音が鳴り響いた凄い試合だったんだからな」


「えっ! そうだったのか? てっきり俺は第4が勝つと思っていたんだが」


「確かに第4の代表も強烈な印象を残しているのは間違いないから、いい勝負になるだろうな」


 スタンドの生徒からはこの試合の行く末を占う様々な予想が飛び交うが、彼らの意見は結局はどちらが勝つかわからないという結論に達する。スタンドで観戦する生徒たちの意見を総合すると概ね接戦だろうというのが大半を占めているよう。




 ようやく環境が整った会場で、いよいよ決勝戦が開始される。



「決勝戦、開始ぃぃ!」


 審判の声が響くと今後は別の緊張感が広がって再び会場全体が息をのんでフィールド上の両者を見つめる。開始戦に立つマギーは隙あらば懐に飛び込もうという前傾姿勢で構えているのに対して、桜はいつものように両手をダランと下げたままの自然体で待ち構えている。


 

「構えも取らないで余裕を見せていると、あとから後悔するわよ」


 その姿を見て取ったマギーは、一向に構えようとしない桜に向かって警告を発する。そのセリフを待ってましたと言わんばかりの桜。対戦相手に一度は投げ掛けてみたい桜的セリフの第5位を口にする絶好の機会が巡ってきた。思いっきり胸を反らして声高々に発したそのフレーズは…



「フフフ、真の帝王には構えなど不要!」


「どこの聖帝様だぁぁぁ! 今日の食事は口に合わないと言うつもりかぁぁぁ!」


 再びスタンドの最前列から兄のツッコミが炸裂する。今年の魔法学院全ての生徒の頂点を決めようという対戦においてこの桜のセリフ。聡史にとって盛大に突っ込むべしという神様からの預言が下された結果だろう。けっして出番が欲しかったわけではない。繰り返し述べておくが、主人公のはずなのに決勝に出られなかった憂さを晴らしているわけではない。 



「お兄様はいちいちうるさいですねぇ。試合に集中させてもらいたいですわ」


「急に真面目か! いいから無駄口を叩かずに相手に集中しろ!」


 桜はマギーではなくてスタンドの最前列の兄に視線を向けている。試合開始が告げられているのだからもっと相手に集中しなければならないのは桜としても重々承知。それでもなおかつ、ついつい聡史のツッコミに反応してしまうのは双子ならではのコミュニケーションゆえなのか。


 この様子を見たマギーは…



「チャンス!」


 その目がキラリと光ると、マギーの体は一陣の風となって流れるような動きを開始。風となったマギーは横を向いている桜目掛けてほんの一瞬で接近して必殺の右のストレートを叩きこもうとする。だが…


 スン


「えっ?!」


 完全に仕留めたとマギーは確信していた。だが自信を持って放ったパンチが空を切る手応えにマギー自身が目を見開いて驚いている。パンチが届く直前まで目の前にいたはずの桜が急に姿を掻き消した状況に、一瞬我を見失っているかの様子。



「どこを見ているんですか? 私はこちらですわ」


 マギーが振り向くと、驚くことに桜は真後ろに立っている。あの瞬きすら叶わない刹那の時間で桜はあり得ない距離を移動した計算。この事実を元にマギーは脳内で演算した結果を冷静にはじき出そうとするが、解答不能という計算結果が生み出されるだけ。



「風と一体になった私の動きが通用しないようね」


 マギーのセリフに桜はまたしても待ってました顔に変わる。対戦相手に一度は投げ掛けてみたい桜的セリフ第8位を口にする絶好の機会が巡ってきた。思いっきり胸を反らして声高々に発したフレーズは…



「フフフ、風の動きを制するのは光の動きのみ! 光の動きは誰の目にもとまらぬ!」


 自信満々の表情で腰に手を当てて言い放つ桜。この様子にスタンドの別の場所から呆れた声が上がる。



「また桜ちゃんのドヤ顔が始まりましたよ~。本人はあれでいいことを言ったつもりになっているんです」


「明日香ちゃん、そこはそっとしておいてあげましょう。大していいことを言えていなんて指摘したらダメよ」


 明日香ちゃんと美鈴の会話が聞こえてきた桜は、ガーンという表情になって固まっている。殊に美鈴の追撃が精神的に大ダメージを与えているよう。



「そ、そんな… 完璧に決まったと思ったのに…」


 小声でブツブツ呟く桜。その表情からは、つい今しがたまでの自信がすっかり影を潜めている。どうやらこの試合において桜の最大の敵は自分自身とスタンドから足を引っ張るパーティーメンバーらしい。


 さらにスタンドからは、カレンがトドメの一撃をぶっ放す。



「厨2病は明日香ちゃんだけだと思っていましたが、どうやら桜ちゃんも影響されているようですね」


 カレンの言動に真っ先に反応したのは、名指しで厨2扱いされた明日香ちゃん。



「誰が厨2病ですかぁぁ! 私はいたって正常な高校生ですよ~」


「明日香ちゃん、ちょっとは自分を見つめる努力をしましょうね」


「そうですよ、明日香ちゃん。美鈴さんが言う通りですからね。お薬を増やしてもらったほうがいいんじゃないですか? なんだったら致死量を超えても大丈夫です! 私の回復魔法で命だけは取り留められますから」


 明日香ちゃんが美鈴とカレンから集中砲火を浴びてノックダウン寸前まで追い詰められている。その結果として明日香ちゃんは二人によってこの場で厨2認定されてしまって、口から白いものを吐き出して白目を剥きかかっている。



「美鈴ちゃんとカレンさん、私は明日香ちゃんとは違って厨2病ではありませんから!」


 必死になってフィールドからアピールする桜ではあるが、二人の反応は…



「五十歩百歩よね」


「桜ちゃんもお薬を多目に処方してもらったほうがいいと思います」


 身も蓋もない美鈴たちの塩対応に桜はついに涙目になっている。完全に試合中だというのも忘れているかのよう。その様子を見て取ったマギーは一瞬の呆然から立ち直っている。



「チャンス再来!」


 これを好機と捉えたマギーは先程よりもさらに速度を上げて桜に迫るが、またもやその奇襲は失敗に終わっていつの間にか桜に背後を取られる状況。これにはマギーも相当に頭にきた表情。ブチ切れる寸前といっても過言ではない。



「いい加減真面目にやれぇぇぇぇ! 私の存在感がどこにもないだろうがぁぁぁぁ!」


 前言撤回、マギーは既に完全にキレている。



「そんなことを言われても… 今一番大切なのは美鈴ちゃんとカレンさんの大きな誤解を解くことですわ」


 桜にとって厨2疑惑を解くことが現在の最大の関心事となっている模様。決勝戦という大事な試合はどうするつもりなんだ? 桜の脳内では物事の優先順位がどうなっているのか開けて調べてみたい。



「美鈴とカレンが桜の厨2疑惑を否定しないと、ずっとこのままの調子になりかねないぞ」


 見るに見かねて聡史が横から口を挟む。このままでは一向に決勝戦が進行しないから二人に何とかしてもらいたいと切望しているよう。聡史にこうまで言われると美鈴とカレンは弱い。渋々ながら桜の厨2疑惑を否定しにかかる。



「そ、そうよね! 厨2病を患っているのは明日香ちゃんだけよね。ホントウデスヨ」


「そうです! 明日香ちゃんだけが真の厨2病で、桜ちゃんなんか軽症も軽症ですから全然問題外です。マチガイアリマセン」


 二人の棒読みのセリフではあったが、残酷にも明日香ちゃんにトドメを刺したよう。この場で息を引き取って明日香ちゃんは帰らぬ人となっている。


 そして桜は、明日香ちゃんの尊い犠牲を礎にして見事なまでの立ち直りを見せている。



「フフフ、やはり私は誰から見ても真っ当な人間という結論に達したようですわ。さあ、それでは試合を再開しましょう」


「単純か!」


 控えめな声で飛び出した聡史のツッコミは無視した桜がようやく気力を取り戻すと、ここからまともな決勝戦がスタートする。ここまでどれだけ余計な時間がかかったかちょっとは反省してもらいたい。桜には試合後に美鈴と聡史二人掛かりの説教を食らわせるべきだろう。



「やっとまともな試合ができそうね」


「対戦者があまりにも存在感がなかったので、ついつい他のことに気を取られていましたわ」


 一度キレたマギーを桜は煽りに煽る。この娘は異世界で散々対人戦を繰り返しただけあって、どうすれば相手を効果的に煽れるのか熟知している。戦闘以外の駆け引きにおいても、相手にマウントを譲る気などさらさらない。敵に回すと本当に恐ろしい戦闘の超エキスパートがここにいる。


 だがマギーも相当に場慣れしている様子。意図的に煽ってくる桜の手口などすっかりお見通しという表情で逆に煽り返す。



「今から私の存在感をその体に叩き込んでいくわ! あとから吠え面かいても手遅れよ」


「うーん… 果たして私に存在感を叩き込めるかは、どうにも疑問の余地が残りますね。まあいいでしょう、お好きなタイミングでかかってきてもらって結構ですの」


 あくまで上から目線で押し通所存す所存の桜。この気の強さは尋常ではない。


 こうして脱線に脱線を重ねた決勝戦は、ここから本格的な戦いを繰り広げる。


 だが関係者一同はすっかり忘れている。尊い犠牲となって椅子にもたれかかって泡を吹いている明日香ちゃんだけが、会場の熱気からポツンと取り残されて打ち捨てられている。






   ◇◇◇◇◇






 桜とマギーの対戦はここまではプロレスでいうところのマイクパフォーマンスであって、全てはここからがスタート。


 どこからでも掛かってこいという鷹揚な態度でマギーを待ち構える桜と、どこから攻めかかろうかと隙を探すマギーの真剣な駆け引きが始まる。無言で相手を窺う両者の間には見えない火花が飛び散るがごとく苛烈な手の内の探り合いが行われる。


 

 目を凝らして集中しながら隙を窺っているマギーではあるが、その内心では桜の隙の無さに舌を巻いている。体の重心や視線の配り方、予備動作なしでいつでも動き出せる素早さとそれをさらに加速させるかのごとくの反射神経、どれをとっても超一流の存在だとマギーには理解できる。


 なぜこれほどまでにマギーが桜を理解可能かというと、実は彼女のステータス上のレベルは187。この数字は聡史や桜には及ばないものの、世界各国の冒険者の中にあっては突出した数値の相違ない。


 美鈴に敗れたフィオレーヌのレベルが約50で、1年生の学年トーナメントを制したマリアも大体似たり寄ったりの数値である点を考えても、マギーのこのレベルの高さは異常といえよう。何らかの隠された秘密が彼女にもあるのかもしれないが、その点に関してはいまだに明らかにされてはいない。




 決勝戦に話を戻そう。


 無言で桜の様子を窺っているマギーの額にはジットリと汗が滲んでくる。まだこれといって本格的に体を動かしてはいないのではあるが、桜から放たれる無言の圧力が彼女に影響を及ぼしているよう。


(果たして正体は何者なのかしら? こうして実際に対峙してみると本物の化け物ね。やはりそうなのかと納得するべきだわ)


 何やらマギーには得心がいっている様子。彼女自身がどのような事象に納得しているのかは、今のところは本人にしか知り得ないとしておこう。ヒントだけ明かしておくと、それは彼女の経験に由来する事柄が原因とだけ…


 

「にらめっこは飽きましたわ。早く来てもらわないと、こちらから打ち掛かりますよ」


 桜からシビレを切らした声が飛ぶ。マギーにとっては明らかに格上の桜に先手を取られるのは非常に不味い状況。何としても自分が先手を取って、その勢いのまま押し通すしか勝ち筋が見えない。それほどまでにマギーの目に映る桜は立ちはだかる高い山に映っている。


(こっちの気も知らないで、言ってくれるわね)


 マギーの脳内には何万通りもの桜との対戦シミレーションが組み上げられていく。それは将棋やチェスの名人が数十手先の駒の動きを何十万通りにも頭の中に描くように、先に進むたびに枝分かれしていく無限の可能性を読んでいく膨大な計算となる。


(可能性としては、よほどの奇跡が起こらない限りすべて私の負けに至るわね)


 だがマギーが頭に描く計算結果は、ありとあらゆる分岐を選択しようとも数手から十数手以内に自分が負ける結果しか導き出さなかい。全米ナンバーワンと称される優れた頭脳を持っているだけに、マギーには自らの計算結果を否定できない。


(大丈夫よ! 奇跡をもたらす妖精の尻尾は必ずどこにでもあるんだから絶対にこの手で掴んでみせるわ)


 弱気に傾きかける自分を励ましながら、ついにマギーは決意を固める。最初の一撃に全てを込めて、今自分が打ち出せる最高のパンチを桜に叩き付けようと決心している。もし躱されたらその時はその時。計算などクソ食らえという気持ちでゆっくりと体に魔力を巡らせていく。


 身体強化によって極限にまで高めた瞬発力を発揮して桜に一撃を浴びせるしか、今のマギーには勝利を掴み取る手段がない。



(いくわよ)


 両足が地面を蹴り付けると体が一気に加速していく。風の速度を超えてさらにスピードは上がっていく。もうターゲットの桜は目の前にいる。



「いっけぇぇぇぇぇ!」


 今度は捉えた! とマギーが思った刹那、桜の体が視界から消え去る。


(どこ? 右? 左? 後ろ?)


 眼球を動かして必死に桜の姿を発見しようとするマギーであったが、意外な場所から桜の声が響く。



「残念、下ですわ」


 桜は膝をわずかに屈めてマギーが放ったパンチの下に潜り込んでいる。パンチを放ったまま伸ばしきっている腕を取ると、クルリと反転して腰にマギーの上体を乗せる。



「とりゃぁぁぁぁ!」


 鮮やかな一本背負いが決まって、マギーの体は宙に放り出される。


(投げ技ですって! 打撃系の格闘術ではないの?)


 マギーの頭の中には大量の???が浮かんでいるが、彼女も只者ではない。桜に投げられる瞬間に反射的に地面を踏み付けると、一本背負いの角度をわずかに上方向へと誘導している。その分だけ宙に浮いている時間的な余裕が生じて、彼女は体を巧みに捻って足から着地する。



「おやおや、私の投げを躱しましたか。これはこれは大変よくできましたわ」


 5メートル先に無事に着地したマギーに拍手を送りながら、桜は生徒を褒める教師のようなセリフを口にする。対するマギーは、桜に振り返ってキッとした表情を向ける。あんなタイミングで投げ技を放つなど、とても素人には不可能な超難易度が高い動きだと見切ったよう。



「投げ技も使えるなんて聞いてないわよ!」


「それは当然ですわ。私が会得している古武術は、打つ、投げる、極めるでワンセットですから。今までの相手は最初の打撃だけで倒れてしまって、中々お見せする機会がなかったのです」


「面白いわね! 私のマーシャルアーツとどちらが上か比べるには相応しい相手だわ」


 マーシャルアーツとは狭義の意味では米軍の戦闘術で、古今東西のあらゆる格闘術のエッセンスを抽出してさらに体系化した徒手格闘術とされており、現在はロシア軍のコマンドサンボと並んで世界各地に広く普及している。ちなみに自衛隊にも戦後に考案された徒手格闘術がある。武術的な色合いが濃い自衛隊徒手格闘から始まり、近年ではテロリストを武器を使わずに取り押さえる新格闘と呼ばれる技術に進化している。ベースは日本拳法となっており、桜が身に着けている古武術とは若干色合いが違うらしい。


 余談はともかくとして、話を両者の対決の舞台へと戻す。



 マギーがマーシャルアーツの使い手だと判明した途端に桜の目がキラリと光る。



「なるほど… マーシャルアーツの使い手とは対戦した経験がないので、これは中々楽しみになってきました。ところで、この防具は邪魔ではないでしょうか?」


「確かに邪魔ね」


「もしよかったらお互いに外しませんか? その代わりに私は打撃を使用しませんわ」


「ハンデを与えるというのかしら? 喜んでいただくわ」


 桜の提案にマギーがのっかった結果、一旦対戦は中止して二人は身に着けている防具を外し始める。審判は渋い表情で見ているが、両者が合意した以上は止められないルール。



「審判さん、もし私が突き、蹴り、パンチ、平手、手刀等を用いましたら、その場で反則を宣告して結構です」


「本当に変則ルールでよいのか?」


 審判が両者に尋ねると双方は黙って頷く。かくしてこの決勝戦は、桜のみが打撃を禁じられた変則試合として再開される運びとなる。



「決勝戦、再開!」


 中断時間5分少々の後に試合が再開される。この成り行きをスタンドで見ている美鈴は苦々しい表情で聡史に問い掛ける。



「また桜ちゃんが調子に乗っているみたいだけど、一体何を考えているのかしら?」


「そうだなぁ… 相手の真の力を見極めたいんじゃないのかな。桜が打撃を使用すると勝負は一瞬で片が付く。それではあのマギーという留学生の力を把握できないだろう」


「相手の力を把握することにどういう意味があるのかしら?」


「桜なりに、何かに気が付いているんだろう」


「何かって、どういうことなの?」


「まだ俺にも正確なことは言えないな。いずれ明らかになるかもしれない」


 聡史は意味深な言葉を美鈴に残す。美鈴は聡史が言わんとしている意味が判然としないせいで、どうにも腑に落ちない表情で試合が再開したフィールドに視線を向ける。


 ちなみに明日香ちゃんは、まだ白目を剥いたまま。厨2認定がよほどのショックだったようで、あれだけ立ち直りが早い明日香ちゃんをいまだに再起不能に追い込んでいる。



 フィールドに戻ると、桜とマギーの睨み合いが開始されている。桜は自分から攻めていこうとはせずに、マギーが出てくるのを待っている。防具を外して身軽になった分だけ、本来のキレを完全に取り戻している。


 対するマギーは、開始早々の渾身のパンチを簡単に投げで返されただけに、より慎重に桜の隙を窺う。桜の打撃技が封じられた分だけ接近は容易になったものの、迂闊に近づいたら投げ技なり関節技なりの反撃を食らいかねない。桜に対する警戒感はマギーの胸中では一向に減じることはないよう。


 マギーが警戒する素振りを見せていると悟った桜は、今度は自分から距離を縮めていく。パンチが届く範囲にわざと入っては、胴タックルを放って密着若しくは寝技に持ち込もうというフェイントを仕掛けていく。


 マギーは桜の接近を嫌ってジャブを打ち出して牽制するが、桜は逆にその手を掴もうと手を伸ばしていく。これはどこかで見た記憶がある試合展開。時々テレビでも放映される総合格闘技の試合そのものの状況がこの決勝戦の舞台で起きている。けっして派手さはないが、格闘技通が好むようなスリリングな試合展開といえようか。


 そして試合はついに大きく動き出す。



(こちらがパンチを放っても、どうせすべて回避される。だったらパンチを囮にしてイチかバチかで…)


 パンチをフェイントにしてマギーのほうから胴タックルに入っていく。もちろん桜はタックルを切って、足元に潜り込んでこようとするマギーの上体を上から抱えるような形になる。


 身長はマギーが165センチで桜は150センチ少々と、体格ではマギーが圧倒。だが桜からがっちりと抱え込まれたマギーの体はビクとも動かない。いや、動けないというのが正解だろう。そのまま桜は徐々に腰に巻き付いているマギーの左手を抱え込もうとする。そうはさせじと、マギーは桜の腰を引き付けようと懸命に力をこめる。


 だがレベルが3倍以上ある桜に対してマギーは抗することができずに左腕を抱え込まれていく。こうなるとマギーは圧倒的に不利。桜は腕をロックすることも、このまま寝技に引き込むことも自由自在に可能。


 マギーが右手一本で抱えている桜の腰はあっという間に振り切られて、マギーの命綱はついに断たれる。桜は巧みにマギーの左手をコントロールしながら、体勢を横方向に変化させてマギーの左足を払う。


 打撃を用いなくとも終始圧倒している桜は、ついにマギーの背後を取ったままで地面に寝かせることに成功。左手を極めながらさらに右手をマギーの首に巻き付けていく。そのうえ右足でマギーの右手を抑え込むと、もうマギーは抵抗できずに桜にされるがまま。


 最後には、桜の両手がマギーの首に巻き付いてチョークスリーパー、桜流に言わせると裸締めが極まって、ついにマギーがタップ。


 こうして地味な寝技の展開でこの決勝戦の勝敗が決する。打撃を自ら封じても圧勝する桜の強さだけが印象付けられる一戦だったといえよう。


 

「勝者、青!」


 マギーのタップを見た審判が裁定を下すと、桜はすぐに両腕を外してマギーに手を貸して起き上がらせる。その瞬間に誰にも聞こえないような小声でマギーに一言だけ告げる。



「密着してようやくわかりましたわ。あなたも異世界に渡った人間ですね」


「な、なぜそんなことを!」


 明らかにマギーが動揺した態度に変わる。



「体内に流れる魔力の波長とでも言いますか… 地球の魔力とは波長が違いますからね」


「ということは、やはりあなたたち兄妹もそうなのかしら?」


「ご想像にお任せいたしますわ。どうせあなた方留学生はそれを調べに日本へやってこられたのでしょうから」


「全部最初から分かっていたのかしら?」


「いいえ、最初にあなたを見た時に何となく直感で感じただけです」


「それが知りたいから、わざわざこんな試合形式を申し出たの?」


「それもありますが、マーシャルアーツの使い手との対戦も楽しみだったんですわ」


「そう… どうもありがとう。ちょっとは私も認められていたのね」


 こうして桜とマギーは握手をしてそれぞれの控室へと戻っていく。その途中で…



「どうも、勝者に対する歓声が足りないですわ」


「地味だから! 決着が地味すぎて、見ているほうがどうリアクションしていいかわからないだろうがぁ!」


 聡史の声だけが、しんと静まり返った会場に響くのであった。



    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



桜の圧勝で終わった個人戦の決勝。そしてマギーも異世界からの帰還者だったという意外な事実。何やら表に出せない様々な背景を抱えながらも、八校戦は土日を挟んでいよいよチーム戦に移って…


この続きは出来上がり次第投稿します。どうぞお楽しみに!



「面白かった、続きが気になる、早く投稿して!」


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