第17話 3階層争乱の顛末
通路でゴブリンの駆除をしている聡史の目の前に一旦ダンジョンの外に出た桜が戻ってくる。1階層からここまで通常の人間には有り得ない短時間で駆け抜けてきたが、息が切れたり疲弊している様子は全く見られない。これぞレベル600オーバーの本領というところか。
「桜、わざわざ戻ってきてくれたのか」
「お兄さまおひとりにご苦労をお掛けさせるわけにはまいりませんわ」
口ではそういうものの、桜もゴブリンの大量発生の原因について興味があったよう。自分の目でその原因を確認したいという気持ちがなかったと言ったら嘘になるであろう。
「それでお兄様、あそこから足元が見える怪物が大量発生の原因ですか?」
兄妹が再会した通路からは狭い出入り口が邪魔になって空間の全体像が見渡せない。わずかに向こう側にいるゴブリン・ロードの大木のような足だけが目視可能。たった今この場に来たばかりの桜がこのような疑問を抱くのは当然であろう。
「直接大量発生の原因になったのは別口の魔物だった。あのゴブリン・ロードは最後のあだ花みたいなものだ」
「ゴブリン・ロードですか?」
「聞いていないのか? 大賢者が以前に話してくれたぞ。異世界では千年単位の期間を経て生まれる災厄級の魔物だ」
「そんなものが突然現れたのですか」
聡史の話を聞いてさすがに桜も驚きを隠せないらしい。異世界でこのような災厄級の魔物が出現したら街の2つや3つ、時には国そのものが滅びかねない恐ろしい敵といえるであろう。
「それではお兄様、私が倒してまいりましょうか?」
「いや、乗り掛かった舟だから俺がケリをつける。桜はゴブリンが近付かないようにこの入り口を守ってもらえるか」
「わかりましたわ。1体も通しません」
本来の役割分担だと魔法を用いる聡史は一撃で大量の敵を殲滅可能であるからして、
だが聡史は敢えてそのフォーメーションを採用しようとはしない。その理由はゴブリンと戦っている間に彼が感じた口では説明しにくい奇妙な違和感であった。
(桜を危険な目に遭わせられないからな)
聡史が危惧しているのはゴブリン・ロードそのものではない。あの怪物がいる空間自体がこの場所に割り込んで出現したばかりで周囲の空間と同調しないままで非常に不安定な印象を受ける。
そもそもが隠し通路が現れた狭い場所に馬鹿デカい空間が割り込むようにして現れたのだから、周囲の空間としては大迷惑であろう。自らの本来の安定性を保つために邪魔者を異空間に押し戻そうという作用が働いてもおかしくはない。
「お兄様、またゴブリンの群れがやってきましたわ。この場は私に任せて早く中へ!」
「わかった。行ってくる」
「お任せください! 太極波ぁぁ!」
強烈な爆風と爆発音を背に受けながら、再び聡史はゴブリン・ロードが待っている空間へと戻っていく。
内部で待ち構えている巨大な魔物は再び空間に入ってきた聡史を警戒する目で見ている。ゴブリン・ロードからすればこの人間が放った魔法によって一度死に掛けているだけに、警戒の目を向けるのは当然かもしれない。眼光に知性は感じないものの、生命体が持ち得る生存本能が聡史の危険性を訴えているのであろう。
グガグガグガガァァ!
その目に危険な光を宿しながらゴブリン・ロードが雄叫びを上げる。手にする大剣を振り上げながら聡史を威嚇するかのように牙を剥き出しにした獰猛な表情を浮かべている。
「今すぐに楽にしてやる。もうちょっと待っていろ」
魔剣オルバースを手にして不敵な笑みを浮かべる聡史。すでにこの怪物の攻略法が頭に入っているだけに、表情には余裕が読み取れる。
「いくぞ」
再び激突しようという両者、今度は聡史がオルバースを肩の高さに構えて突進していく。敵に向かって前進しながら、聡史は〔神足〕と〔身体強化〕のスキルを同時に発動。一旦魔法は封じて剣で相手をしようという腹積もりのよう。
聡史の速度が上がる。空間の床を足が蹴るごとに一歩ずつ加速してあっという間にゴブリン・ロードの足元に入り込んでいく。
ガァァァァ!
遅れてゴブリン・ロードの剣が聡史が通り過ぎた床に叩き付けられる。威力だけは十分すぎる一撃が床の敷石をかち割って石の礫を飛ばすが、もうその時には聡史はゴブリンの右膝に向けて剣を横薙ぎに振るっている。
ガキーン!
身体強化された聡史が振るう魔剣は左膝の魔法障壁を壊した衝撃の3倍以上。頑丈な金属鎧の防御力をもってしてもその一撃に耐え切るのは不可能であろう。あまりにも強烈かつ無慈悲な斬撃に堪りかねたゴブリン・ロードが悲鳴にも似た声を上げる。
ギヤァァァァ!
ゴブリン・ロードの右膝を覆う鎧がベッコリとへこむ。金属鎧の内部では膝が押し挟まれて骨が変形していそうな見るも無残な窪みが出来上がっている。
「足1本で済むと思うなよ」
瞬時に身を翻した聡史の目は床に振り下ろされて未だ引き戻されていない剣を持つ右手に向けられている。その場で床を踏みつけるとジャンプ一閃。
ウギャアァァァ!
ゴブリン・ロードの右手に向かって床を踏みつけた聡史の体は、怪物の目の高さまで飛び上がってから重力に引かれて加速を得つつ落下する。そして引力を味方につけた聡史は魔剣をゴブリン・ロードの右肘に振り下ろす。
悲鳴を上げるゴブリン・ロードの肘は叩き込まれた魔剣の衝撃によって変な方向に曲がっている。金属鎧のおかげで切断こそされなかったものの、魔剣を叩き込んだ衝撃がこれまたブッとい腕の骨を破壊しているよう。
怪物の右手と右足を破壊した聡史はゴブリン・ロードの懐から一旦離脱を図る。距離をとって相手の様子を観察すると、聡史の予想通り大剣は左手1本で持ち、右足は辛うじて引き摺りながら動かすのが限界らしい。
片足が壊されて機動力をほとんど失った上に両手で剣を保持できないおかげで攻撃にも精彩を欠くゴブリン・ロードは、すでに聡史に狩られる時を待つばかりの存在。もしかしたら配下の血を飲めば復活の目があるのかもしれないが、そこは桜ががっちりとガードして空間内部には1体も通さない構えを構築している。
怒りに満ちた目で聡史を見下ろすゴブリン・ロードではあるが、眼前の敵に一方的にダメージを与えられてどう見てもこの先苦戦は免れないであろう。
その時…
「お兄様、お急ぎください! 空間の出入り口が閉じ始めようとしていますわ」
通路でゴブリンの駆除をする桜の切迫した声が飛ぶ。聡史はその声の方向にチラリと視線を向けると、確かにその警告通りに空間の出入り口が両端から壁を新たに作り直すかのように、徐々に狭くなっていく様子が目に飛び込む。
「どうやら急がないと不味いな」
そう呟いた聡史は魔剣を握り直すと一気に畳み掛けていく。左手一本で振るわれる大剣を弾き返して、今度は左足に剣を叩き込む。ガシンという金属がぶつかり合う音を立てて、ゴブリン・ロードの左足にはオルバースが大きく食い込んでいる。
両足を破壊されたゴブリン・ロードは、その巨体が仇となる。重量物となった体躯を支えきれずにドウという音を立てて床に倒れこんでいく。
「これでトドメだ!」
腹這いとなって倒れているゴブリン・ロードは大剣を手放して無事な左手一本で何とか体を起こそうとするが、聡史は抵抗する手段を失ったその背中に飛び上がっていく。
そして、着地と同時に魔剣を鎧と兜の間にあるわずかな隙間に突き立てる。延髄に深々と剣を差し込まれたゴブリン・ロードは声も上げられずに体を痙攣させて事切れる。
聡史によって倒された巨体が床に吸収された跡には大ぶりの魔石と大剣が残されている。
「お兄様、どうか早く!」
出入り口の外からは桜が呼び掛ける焦った声が響く。聡史は素早く魔石と大剣をアイテムボックスに放り込むと、すでに人がひとり通れるかどうかというところまで閉じている出口へとダッシュ。
「桜ぁぁ、そこから離れろぉぉ!」
「わかりましたわ」
外にいる桜を退避させる聡史。だが彼の目の前ではみるみる空間の出口が閉じていき、今は腕一本が辛うじて出せる程度の隙間しか残ってはいない。このままでは聡史が外に出るのは絶望的。彼はこのまま空間に閉じ込められてしまうのか?
その時…
「はぁぁぁぁ」
ダッシュする足を止めた聡史は、鞘に戻した魔剣に右手を掛けて裂帛の気合を漲らせて魔力を込める。
「
居合のごとくに鞘から引き抜かれた魔剣オルバースが一呼吸の間に目に見えない速度で縦横に振られていく。聡史が放っている断震破は次元さえも切り裂く斬撃。目に見えている出口が閉じられている現象だけではなくて、閉じようとする空間そのものを切り裂いている。
「今だ」
再びダッシュを開始した聡史は、自らの手で切り裂いた空間の境界を突き進む。だが、あと一歩で外に出ようかという所で再びピッタリと出口が閉じる。
「断震撃!」
今度は魔剣に魔力を込めて、極限の速度で前方の閉じてしまった出口に突き込んでいく。オルバースは、聡史の期待に応えるかのように不可視の衝撃を壁に向かって発現する。
ズガガガーン!
ダンジョン自体が崩壊するのではないかという衝撃が階層を激しく揺らす。閉じていた壁が突き崩されて、その一瞬出来上がった隙間から転がり出るようにして聡史はようやく空間の外に飛び出す。
「桜、可能な限りここから離れるんだ!」
「はい、お兄様」
兄妹は極限まで身体強化を発動すると通路を疾走し始める。その背後では本格的な空間転移が始まって、つい今しがたまで聡史とゴブリン・ロードの戦いが行われていた場所は転移の際に発生する大規模な光の渦に取り囲まれている。振り返る余裕はないが、もうその姿ははっきりと視認できない。
だが聡史が壁に穴を開けて飛び出したせいで、3階層の通路にある物体や未だに湧き上がってくるゴブリンは、その場に一端を垣間見せている転移の渦に次々に吸い込まれていく。渦の吸引力に抗う術がないゴブリンたちは宙を飛んであたかもミニブラックホールの如き光に無抵抗で引きずり込まれていく。
階層にある物体を全て吸い込もうかという猛烈な渦は留まる所を知らぬ勢いで通路をひた走る聡史たち兄妹にも迫ってくる。
「桜、振り返るな。とにかく走るんだ!」
「はい、お兄様」
とはいうものの空間転移の渦の吸引力は二人にとってけっして楽に振り切れるほど生易しいものではない。前に進もうとして足を高速で回転させる二人と、取り込んでやるとばかりに後ろに引きずり込もうとする渦の力のせめぎ合いが続く。
どれだけの時間前だけを見続けて走っていたのかもわからない。ただただ自らを吸い込もうとする力に逆らってひた走る二人。もう今は自分たちが何処にいるのかすら全く理解していない。時折吸い込まれていくゴブリンが空を飛んで二人の前に手足をバタつかせながら姿を現すが、兄妹は打ち合わせでもしていたかのような巧みなステップで迫りくるゴブリンを躱してひたすら前に進んでいく。
やがて転移の光の渦は徐々にその明るさを弱めて、ふと見るといつの間にか消え去っている。3階層に猛威を振るっていた万物を吸い込もうとする強大な引力は治まってようやく周囲は平静を取り戻す。
「お兄様、どうやらもう大丈夫なようですわ」
「ああ、かなりヤバかったな」
「まさかお兄様が強引に壁を壊して出てきた結果がこのような大騒ぎに繋がるとは、さすがに予想外でした」
「俺も予想外だった」
普段は事あるごとにやらかしてしまう桜ではあるが、今回はむしろ兄が盛大に仕出かしたので、いつもの2割増しのジトっとした目を向けている。さすがに妹にこのような視線を向けられている聡史は不本意そうではあるが、自分の失敗なので素直に認めるしかない。
「桜、迷惑をかけたな」
「この程度の出来事は私の辞書では迷惑の範疇には入りませんわ。むしろ通路に湧き出るゴブリンが減ってよかったのかもしれないですの」
「そうだな… 言われてみれば、ゴブリンの数が減っているようだ」
桜の指摘通り、空間を転移させた際に発生した光の渦は3階層の通路に撒き散らされていたラフレイアの花粉の相当な量を吸い込んでいるよう。おかげで大量発生していたゴブリンの発生元が失われて、この3階層が先程までと比べて格段に平和となっている。
「とにかく原因がなくなったのですから、私たちも外に出ましょう」
「そうするか… ああ、忘れるところだったぞ。避難している上級生たちを回収しないと」
こうして兄妹はひとまず4階層に降りていく階段を目指して通路を歩きだしていく。
◇◇◇◇◇
転移の渦に巻き込まれないようにアテもなく走っていた兄妹は、いつの間にか2階層に昇っていく階段の付近までやってきている。階層の反対側にいる上級生たちをこのまま放置できないので、メイン通路を歩いて4階層へ降りていく階段目指して引き返していく。
避難所と化した階段にいる上級生たちの様子を見る限り、あの光の渦による大規模な吸引現象は特に影響を及ぼしてないよう。ひょっとしたら各階層を繋ぐのは普通の石造りの階段に見えても、それ自体が別の空間として存在する場所と位置付けられているのかもしれない。だからこそ、よほどのことがない限りは魔物が侵入してこない安全地帯となっているのであろう。もっともこの話はダンジョンの七不思議のひとつとなっており、階段にほとんど魔物が現れない理由はいまだに解明されていない。
階段に戻ってきた聡史たち兄妹の姿を見て上級生たちは期待に満ちた表情を向ける。
「おお、無事に戻ってきたか! いきなり姿が消えたからどこに行ったのかと心配したんだぞ」
「さっきまでは一人だったのに、なんで二人いるんだ?」
今まで聡史と桜が何をしていたかなど上級生たちにとっては想像の埒外であろう。その中身を知らぬままに彼らはただ単に恩人が無事に自分たちの目の前の戻ってきたと手を叩いて喜んでいる。
「どうやらゴブリンの異常発生は解決したが、まだ余韻が残っているから普段よりも注意して歩く必要はある。とはいえ、もうこのまま外に出ても大丈夫だろう」
「本当なのか! それは良かった」
「おーい、4階層で待っている連中にも声を掛けてくれ!」
命からがら退避してきて2時間近くこの場に待機していた上級生たちは、ようやく外に出られると聞いて肩を叩き合って歓声を上げている。1年生に比べたら多くの場数を踏んでいるとはいえ、今回のような大きな危機に見舞われた経験がなかった。それだけに無事にダンジョンを脱出できる嬉しさを心の底から噛み締めている。
聡史が救助の手を差し伸べた上級生と、先に4階層や5階層に降りていて今回の一件に直接関わらなかった生徒が戻ってきて総勢150人以上に膨れ上がった学院生の集団がメイン通路を帰っていく。
先頭には桜が立って最後尾を聡史が務める長い隊列は約1時間後に無事に地上へと戻っていくのだった。
その頃、ダンジョン管理事務所は物々しい雰囲気に包まれている。屋外の駐車場には最寄りの伊勢原駐屯地から駆け付けた装甲車と兵員輸送車が並び、小銃だけではなくて携帯型ロケット砲や重火器まで持ち込んで厳重な警戒態勢を執っている。
これは事務所に第一報をもたらした桜から「大発生の可能性がある」という情報をもとにしてダンジョンから溢れ出てくる魔物を市街地に向かわせないように政府が事前に策定済みの措置。大袈裟なように思われるだろうが、政府並びにダンジョン対策室が策定したマニュアル通りの出動。
このマニュアルに沿った自衛隊の基本方針は、ダンジョンの内部は冒険者に任せて自分たちは重火器を使用できる強みを発揮しつつダンジョンの外側で待ち受ける即応態勢を整える事にある。すでに攻撃ヘリまでが各駐屯地からいつでも飛び発てるように対魔物用の弾薬をやミサイルを積み込んで出撃命令を待っている。
そんな大騒ぎとなっている事務所に出場ゲートを潜って桜を先頭とする魔法学院生たちがゾロゾロと戻ってくる。
「ゴブリンの大量発生は、もう解決しましたわ。詳しい話は一番最後の私の兄から聞いてください」
「へっ?! 解決した?」
桜はまっすぐにカウンターに向かって慌ただしく電話対応に追われている職員に報告するが、急にそのような話を聞いても要領を得ない職員は頭の上に???を浮かべるだけ。
すると、そこに…
「来たぞぉぉ!」
「英雄の凱旋だぁ!」
「助かったぜ!」
「ありがとう、恩に着るよ」
ゲートの方向から響く歓声とともに、口々に感謝を伝える声が飛び交っている。桜が建物の曲がり角から様子を覘くと、最後にゲートをくぐった聡史を上級生たちが取り囲んで肩を叩いてその活躍を称えている。
ひとりの上級生が聡史に向かって右手を差し出して握手を求める。
「俺は3年Aクラスの
聡史に話しかけている近藤勇人はゴブリン・ロードほどではないがガッチリとしたマッチョ体型をしており、上背も聡史より頭一つ高い。
彼が「こう見えても前生徒会長」と自身を謙遜したのは、どこからどう見ても体育会系の人間にしか見えない自分の外見を少々おどけて表現したゆえ。その見てくれのおかげで「類人猿に最も近い生徒会長」という異名を持つ3年生だが、誰にも慕われる豪放磊落な人柄と正義感は衆目の一致するところ。
「恩人などと呼ばれるのは気恥ずかしいのでヤメてもらっていいですか。俺は楢崎聡史です」
聡史は、まいったなぁ~… という表情で後頭部を掻きながら差し出された手を握る。面と向かってこのように人様から褒められるシチュエーションが彼にとっては何よりも苦手なよう。
「そうか… 楢崎だな。今回は本当に世話になった。1年生ながらお前の信じられない勇気と能力には驚かされたぞ」
「人の命が懸っていましたから必死になっていただけです」
「まったくそうは見えなかったな。お前は悠然と上級生を指揮していたじゃないか」
イタズラっぽい目で見られていても、聡史はまったく嬉しくない。視線の主がジャングルのボスゴリラのような元生徒会長なのだから。女子の先輩であったら聡史も違う感情が湧いたかもしれないが、男臭い視線は聡史の嗜好の範疇ではないよう。
だがそんな聡史の思いとは別になおも勇人は続ける。
「もし学院内で何か困ったことがあったらいつでも相談してくれ。元生徒会長の肩書きのおかげでそこそこ教員にも顔が利くから力になる」
「ありがとうございます。何かあったら相談します」
勇人は「そこそこ顔が利く」と言っているが、彼は実は教員の間では絶大なる信頼を得ている。それは何も生徒会長の肩書きばかりではない。外見とは全く不釣り合いなくらいな他人に対する細やかな配慮と外見通りの並外れた度量の大きさを併せ持つ、いわば傑物と言って差し支えない。明治維新の偉人になぞられて西郷隆盛二世と密かに囁く教員も存在している。
手を振って学院に戻っていく上級生を見送ると、今度は管理事務所の職員と自衛隊の担当官が聡史を取り囲む。そこから長い事情聴取が開始される。
2時間後…
「いやー、やっと終わったな」
「お兄様、私まで事情聴取に巻き込む必要はなかったのでは?」
「いやいや、最初に事務所に異常発生を報告したのは桜だから一緒に話を聞きたいと言われたんだよ」
「まったく、とんだ時間の無駄でした」
桜はまだ納得がいってないよう。面倒な事情聴取など兄に任せて食堂にオヤツを食べに行こうと思った矢先だっただけに、不機嫌になるのも無理はない。
事情聴取で聡史は結局ゴブリンの異常発生はゴブリン・ロードの出現が原因となったという内容の話で押し通している。証拠として持ち帰った魔石と大剣を事務所に提出して自衛隊関係者にも了承を得ている。
魔石は政府が引き取って研究用に保管されるらしい。鑑定に時間が必要なので買い取り代金は後日銀行振り込みとなり、すでに口座登録の手続きを済ませている。アイテムの買い取りは基本現金払いなので、振込扱いになるというのは相当高額な評価が期待できる。
大剣も研究用として自衛隊がトラックに載せて運び去っている。刃渡り3メートル、重量が200キロはある金属の塊は10人掛りでも持ち上げるのは危険なので、クレーンで釣り上げられて荷台に載せられてから駐屯地にドナドナされていった。そもそも大きすぎて誰も引き取り手はないだろうということで、同じ重量の鉄屑と同じ代金であったのはちょっと悲しい。
ようやく解放された兄妹は管理事務所を出て学院に向かう。二人で歩いていると、桜がスマホを取り出して通話ボタンを押す。
「もしもし、明日香ちゃんですか? はい、無事に外に出てきましたから心配はいりませんわ。わかりました、食堂で待ち合わせしましょう」
桜の話によると、明日香ちゃんは美鈴やカレンと一緒に食堂にいるそう。兄妹の無事を祈りながら待ってくれていたらしい。
二人は学院に戻ってその足で直接食堂へ向かっていく。まだ午後5時前で夕食時間に早かったので生徒の姿は比較的少ない。
食堂の入り口に二人が姿を現すと、一斉に席を立ってこちらに駈け寄ってくる3つの人影がある。その影の主はもちろん美鈴、明日香ちゃん、カレン。
中でも美鈴は顔を涙でグシャグシャにして聡史に向かって一直線。そのまま勢いを殺さずに聡史に胸目掛けて飛び込んでいく。
「聡史く~ん! 本当に無事で…」
そこから先は声にならなくて、ワーワー大声で泣きじゃくっているだけの美鈴に聡史は当惑の表情を浮かべたまま立ち尽くす。
「美鈴、そんなに心配しなくても俺なら大丈夫だ」
「でも、でも…」
泣きながら縋り付く美鈴と何とか宥めようとする聡史。もちろんこんな感動の対面を食堂の入り口でカマシていれば当然周囲の目を引くこととなる。
「一体どうした?」
「泣いているのはもしかして副会長か?」
「まだ夜には早いんじゃねぇ?」
とまあ、このような具合に興味本位の声が各所から上がる。だがそんな声など耳に入らない美鈴は「二度と離すものか」といつまで経っても聡史にしがみ付いたまま。
いきなり目の前で発生した美鈴の大胆行動に、桜、明日香ちゃん、カレンの三人はその場でフリーズしている。だがしばらくすると明日香ちゃんの好奇心レーダーにアンテナが3本立つ。
「お兄さん、今のお気持ちを一言どうぞ!」
雰囲気に配慮して小声ではあるが、聡史に聞こえる声でマイクを向ける仕草… 聡史は小さく首を振ってノーコメントを貫く構え。
だがさらに明日香ちゃんが畳み掛ける。背後にはレポータースタンドが浮かび上がって一歩も引かない明日香ちゃんの気合が聡史に届く。
「ムリ! 今ムリだから」
「そこを何とか! お兄さん、一言お願いしますよ~」
なおも、聡史と明日香ちゃんの小声のやりとりは続く。その間美鈴は嗚咽を漏らしながら聡史に力を込めて抱き着いたまま。
一方、桜はといえば…
「カレンさん、アホらしいから席で待っていましょうか?」
「桜ちゃん、そうしましょう! 巻き込まれてしまわないうちに…」
二人が席に戻ると明日香ちゃんも何かにハッと気づいた様子でレポーター業は放棄して席に向かう。
「桜ちゃん、忘れていましたよ~。私も桜ちゃんが心配でオヤツが喉を通らなかったんです」
「明日香ちゃん… 確か昨日は『お小遣いが無い』って言っていましたよね」
「はい、だからオヤツが喉を通らなかったんですよ~。今日ダンジョンでお小遣いをゲットしてオヤツを食べようと思っていました」
「言葉の使い方を間違えていませんか?」
「細かい事は気にしないでください。それよりもあんな騒ぎで何もゲットしないうちにダンジョンを追い出されちゃいましたよ~」
「どうするつもりなんですか?」
「明日こそダンジョンに入ってお小遣いとデザートをゲットですよ~」
明日香ちゃんが力強くコブシを握り締めている。このままではデザートを口にできないので必死になっている様子が伝わってくる。だが…
「明日香ちゃん、残念ですが当分ダンジョンは立ち入り禁止になりました。安全が確認されるまでは私たちは入場できませんよ」
「そ、そんなぁぁぁぁ」
ガーンという効果音が聞こえるくらいに明日香ちゃんはガックリしている。心の底からガックリしている。これ以上ない程にガックリしている。だがこの娘の立ち直りは尋常なく早い! 光の速度すら優に超越可能だろう。
「それでは仕方がありませんね~。当分の間、桜ちゃんにタカります」
「は?」
「桜ちゃんにタカりますから、早くデザートをご馳走してください」
「言っている意味が分かりませんわ」
「桜ちゃん、深く考えないでいいですから早くご馳走してくださいよぉ~。デザート友の会の会員を失ってもいいんですか?」
「私は入会した覚えはないんですけど」
こうして明日香ちゃんは無事に本日のおススメとなっている抹茶クリームあんみつを桜から勝ち取る。
桜と明日香ちゃんがデザートを食べ終わる頃、聡史に連れられて美鈴が席に戻ってくる。泣き腫らした顔を隠すように俯いたままで聡史の隣に座っている。
ちなみにカレンも桜からオヤツに誘われていたが、夕食が近かったので飲み物だけを自分で自販機から購入している模様。そんなに度々明日香ちゃんに付き合っていると自身の体重の心配をしなくてはならなくなる。
ようやく全員が揃ったので、聡史が何か言おうとするのを制して桜が切り出す。
「皆さん、明日から当分大山ダンジョンが閉鎖になりますわ。このままでは金欠の明日香ちゃんに毎日タカられる私が困るので、何かいい案があったら発言してください」
「はい!」
「明日香ちゃん、どうぞ!」
「明日から土日ですから、よそのダンジョンに行くのはどうでしょうか?」
「採用しますわ。お兄様、今夜のうちに家に戻って明日から秩父ダンジョンにアタックしましょう」
「お前ら、絶対打ち合わせていただろうがぁぁぁ!」
聡史に突っ込まれても、桜は方針を変えるつもりなどまったくない態度。すでに秩父ダンジョンアタックに向かって心の中が燃え上がる桜に引っ張られるように、五人は早めの夕食を取ってから荷物を準備して、兄妹の実家へ急遽向かうのだった。
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