最終章 雪あかり

第1話  見慣れぬ顔 1

 『雪あかりの路』は、凜の想像を超えた光が、街を彩るイベントだった。日が沈みかけた頃、いっせいに灯したろうそくで雪が淡い色を放つ。街の至るところにオプジェが飾られ、絶やすことのないあかりが見る者を癒していた。

 幕開けは朝里川だ。川の中に点々と顔を出す石は雪帽子をかぶり、くぼみで揺れるろうそくが上流へと導く。それは、木々の闇を寄せつけず、風に揺らされてもしんは赤々と燃えていた。


「きれいだね」

「おい、そろそろ帰るぞ」

「不思議ね」

「何が?」

「幻想的なあかりを見て、帰ろうとする拓海が……」

「今日で三日目だぞ。同じ景色を見れば飽きてくる」

 二月六日からはじまった朝里川会場は、今日が最終日だった。大小合わせて四十七の会場があり、凜のお気に入りは朝里川と小樽運河、そして天狗山会場だ。

 消極的な拓海に腕を絡め、凛は歩き出す。街全体を染めるあかりは、目に焼きつけても一夜明ければ昨日の夢だ。目覚めてもなお、心の灯し火が消えぬように願えば、自然と足は動き出した。


 拓海より先に運転席に乗り込み、ハンドルを握るのは今日で六日目だった。鬼の教官は免許取得後、穏やかな鬼となり助手席で夜景に見惚れている。信号待ちで車が止まると、凜は左手を広げ拓海の視界をさえぎった。

「ねえ、ねえ、わたしの不幸を食べた指輪は、いつ幸せを連れてきますかね?」

「――おまえは、失くした指輪の値段を覚えているのか?」

「何となく想像ができます」

「なら、俺の心も想像しろ……」

「ああ~ちっちゃい、ちっちゃい」

 凛はツンと横を向き、不機嫌のオーラを体中から放つ。荒い運転で駄々をこね、その甲斐あって、マンションに帰るころには指輪が光っていた。


「なぜ誕生日まで待てない」

「どうしても、今夜欲しいの」

 戦利品は、プラチナ素材に水晶が輝く。胸元に光るネックレスとおそろいだ。ネックレスを窓にかざし、すべての罪を水晶に託すが八㎜玉では浄化しきれない。その夜、「ありがとう」は何度も言った。果てるまで何度も抱き合った。

 眠りに落ちる拓海に寄り添い、毛布に包む。翔の冷気に触れぬよう、自分の冷気で拓海の体が凍えぬよう、深い眠りを願いながら凛も目を閉じた。


 翌朝、『お散歩』開店三十分を過ぎた頃、店に来た祐気は上下スキーウェアー姿だった。ボブスレーを店の中まで引きずり、首をかしげていた。

「凛ちゃんがいないって、どう言うこと? 僕、『見晴らし公園』で、朝から待っていたんだよ」

「急に休みがほしいって言うのよ。聞いてないの?」

 銀次郎の言葉に、祐気は首をふる。

「凛ちゃんから言い出したのに、どうしたんだろう」

 祐気は帽子を取り、椅子に腰を下ろす。はじまりは、二日前の早朝六時にかかってきた凛の電話だった。「雪遊びをしよう」の言葉に、祐気は携帯を床に落とした。


「凛ちゃん、今の僕は苦学生なの。しかも、夜勤明けなのね」

《うん、知っているよ。『見晴らし公園』にいるから、暖かい格好をして来てね》

「だから……凛ちゃん?」

 一方的に電話を切られ、祐気は渋々「見晴らし公園』に向かう。凜のリクエストは、背丈ほどの雪だるま製作だ。仕方なさそうに雪を転がす祐気のうしろで、凛一人がはしゃいでいた。

「祐気君は、きっと、いい看護師さんになるよ」

「同じことばかり言って~変な凛ちゃん」

「患者さんは、祐気君の優しさに癒されるの。わたしの傷がそうだったようにね」

「どうしちゃったの?」

「ずっと、そのままでいて、祐気君は今のままがいい」

 凛は頭の部分を持ち上げ、できあがった雪だるまに拍手を送る。風の冷たさなのか、凛の目は潤んで見えた。


「今日は、ボブスレーの約束だったのに~」

 祐気がひと息ついた頃、はじめが店に顔を出す。鼻唄交じりで、カウンターに手作りの計算ドリルを置く。祐気がめくると、満点のページに豪華な花丸がついていた。

「三ケタの引き算だぜ。もう、釣銭なんか怖くない」

「これ、凛ちゃんの字だ。『偉い、すごい、天才』って、書いてある」

「おお、買い物ついでに店に来てよ~採点して帰っていく。たった三十分だけど教え方がうまいね」

 満点の期限は一週間だった。滑り込みで合格をもらった昨日に、はじめは興奮状態だった。


「そういゃ~姿が見えやせんが、今日は休み……」

 はじめが言いかけた瞬間、鈴が鳴る。不機嫌な顔の祐衣がドアを左手で押さえ、「凜ちゃんは、どこだ!」と怒鳴る。目の下のくまが睡眠不足を訴えていた。

「今日は休み。あれ、祐衣はお酒臭いよ」

 祐気が椅子を差し出す。

「強いのよ……あの人」

 祐衣はカウンターに両手をつき、注文は水だった。のどを鳴らして飲んだあと、昨日の不幸を語り出した。凛から呼び出しの電話は夜中だった。岡島医師と祐衣が、朝里駅前にあるスナックへ出向くと、「座れ、飲め、聞け」と、凛はすでにできあがっていた。

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