第3話 オロロンライン
九十年代に無人となった朝里駅は、日本海を背にして立つ。
三角出窓が左右に二つ並び、淡い黄色のサイディング張りで、朝里駅の赤文字がなければ、喫茶店と間違えるような外観だ。
凜は、拓海に背中を向けて券売機に向かう。
観光案内と書かれたパンフレットを見つけるが、誰も読む人がいないのか、ほとんどが折れ曲がっている。指でさぐり、真ん中あたりから一枚抜き取った。
「驚いたわね~ あなた観光客なの?」
第二村人の女性が、券売機にお金を入れながら訪ねた。
細身のコートにマフラーを巻き、年の頃は三十代後半で、拓海に声をかけた男が、通りすがりに『おお、
「朝里に降りるなんて珍しい。どこから来たの?」
「東京です」
「東京? せっかく来たのに、こんな天気で悪いわね」
「あの、オロロンラインが見渡せる場所を知りませんか?」
「オロロンラインって、国道五号線よ。そんな物が見たいの?」
凛がうなずくと、京香は券売機に入れた小銭をレバーで一気に戻した。
「
『
少しのぼれば海が見えるし、いい景色よ」
凛がパンフレットを広げると、京香は首をふった。
「パンフレットにないわ。
名前のない坂が多くて不便だから、誰かが勝手につけたの。
国道渡って二本目の道を左に曲がると、『見晴らし坂』よ」
凛は京香に頭を下げ、マフラーを結び直す。
靴に滑り止めを巻き、手袋をポケットから取り出した。
そのうしろをダウン姿の拓海が通り過ぎ、駅を出ると右手の駐車場に向かう。
凛は国道を目指し左へ歩き出すが、名前を呼ばれた気配でふり返った。
しんしんと雪が降る道に人はなく、通り過ぎるのは一台の車だけだ。
凛が耳を澄ませると、海を渡る氷点下の風が泣いていた。
国道を越え、左手一本目の坂は
横を低速で通る車が、のぼり切れずに後退してきそうな、心臓破りの坂だった。
のぼりはじめて五分、高台に商店街のあかりと住宅街が立ち並ぶ。凛は中腹で足を止め、息をひとつ吐く。
ガードレールから身を乗り出すと、海岸線にそって曲がりくねったオロロンラインが見下ろせた。
あの、カーブだ――
一枚だけ、ガードレールの色が変わっていた。
一定の距離に光るナトリウムランプが道を照らし、車が通った場所だけが二本の黒い線になっている。
雪は二月より湿り気が多く、涙と混じり合い頬を伝っていく。
雪でかすんだオロロンライン、晴れていれば声をあげて泣いていた。
ごめんね。翔――
凛は立っていられず、ガードレールをすりながら雪に沈む。目を閉じると氷の世界で暮らす翔が、手招いている幻を見た。
「ねえ、大丈夫――?」
その声に凛は薄目を開ける。
通りの向こうで板チョコの形をしたドアが開き、中から漏れた光が『見晴らし坂』を照らしている。その中で揺れる影が二つ見えた。
通りを渡ってくる大柄な影は、かなり歩幅が広い。もうひとつの影が看板にあかりを灯すと、雪の世界に『喫茶・お散歩』の文字が浮かびあがった。
「気分が悪いの?」
大柄な影が聞いた。
「いいえ……」
「こんなところに座っていたら、体が冷えるわ。
こっちにいらっしゃい」
手招く仕草は優しいが、腕をつかむ力は強い。
凛の体が本能的にのけぞると、大柄な影が顔をのぞいた。
「もしかして、あなたが浅倉凜ちゃん?」
「いいえ」
嘘をつくには、それなりの理由がある。看板の明かりが、大柄な影の顔を照らし、間近で見る顔は濃い。
しかも、声が低い。
淡い花柄のブラウスを着ているが、頑丈な骨格が凜に性別を諭す。
赤丸をつけた『喫茶・お散歩』を経営する小樽の叔母は、どう見ても叔父だった。
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