第4話  異人の館 1

 開業十年目の『喫茶・お散歩』は、新光町唯一ゆいいつの喫茶店だ。店内には有線が流れ、チャンネルはクラッシック。L字型のカウンターは七席あり、出窓にアンティークな小物が並んでいた。

「ねえねえ、あんた生き倒れ? どうせ倒れるなら、葬儀そうぎ屋の前にしたら」

 たずねて来たのは小柄な影だった。コーヒーチケットを持っていることから、店の常連と思われる。チケットには『高橋たかはし祐衣ゆい』と記され、ざっくりとしたニットの袖から色白の指が見えた。


「近くに、仏壇ぶつだんや屋もあるよ」

「おやめなさい。こちらのお嬢さんに失礼でしょう」

 差し出されたコーヒーに視線を流すと、色黒の指が見えた。

 端の席には客が二人座っている。めがねのくもりをハンカチで拭いて、凜が顔を確認すると、駅で『見晴らし坂』を教えてくれた京香と、第一村人の拓海がコーヒーを飲んでいた。


ぎんちゃん。コーヒーおかわり」

「は~い、拓海君。ちょっと待ってね~」

「銀ちゃん……」

 凜の復唱に、隣の祐衣が反応した。

千田せんだ銀次郎ぎんじろう、それがママの本名だよ」

「マスターですよね?」

「『銀ちゃんママ』そう言わないと、怒るの」

「――ママで、いいと思います」

 凜はコーヒーを飲み干し、マフラーを手に取る。傷心の娘を、この店に送り出した母親の心が、凜には分からない。この環境で癒える傷は何もないとスマホを開き、小樽市内のホテルに予約をする。ドアの前で銀次郎に軽く頭を下げ、ふり返ると視界は暗かった。


「おや、おや~よそ者の匂いがするぜ~」

 もんもんと降る雪を背景に、首をかしげた巨体がドアをふさぐ。身長百五十八㎝の凛の目線は男の第四ボタンあたりで、窮屈きゅうくつそうに閉じたボタンの隙間から、アンダーシャツが見える。第三、第二、とボタンの位置を徐々に上げると、男の頭は照明と同じ高さだった。

「あんた、知っているぜ」

 声に驚き凛が一歩下がると、男は一歩距離を縮める。じっくり顔を眺めてから、ニッと白い歯を見せた。


「網走刑務所で一緒だった『カミソリお凜』だろう? 俺ですよ~お凜さん、金子かねこはじめです」

 ニット帽を取り、丁寧な挨拶を受けても凛は返さない。はじめのおでこは広く、顔との境界線が曖昧あいまいで深いり込みが入っている。本能的に凛が感じたのは、かかわらない方がいいタイプだった。

「その節はどうも……」

 凜は軽く流して脱出を試みるが、今度は飛び込んで来た高橋たかはし祐気ゆうきとぶつかった。小柄な祐気は悲鳴をあげてドアの隙間に倒れ込む。

「ごめんなさい」

 と先に謝ったのは祐気で、鼻血を出したのも祐気だ。その姿に、またいで外に出る気が失せた。

「なつかしいな~いつシャバに出た?」

 と、はじめに肩を抱かれ、凛は元の席に戻って行くしかなかった。


 祐気が鼻にティシュを詰め、「心配しなくてもいいよ」と声をかけても聞こえぬふりを演じ、はじめの刑務所暮らしの話題は完全無視だ。

 足は帰るタイミングをはかり、目がドアまでの歩数を計算する。やがて、常連たちの騒がしい声に、抗議の視線で横を向くと、目が合ったのは拓海だった。

「おまえ、駅にいた観光客だよな?」

 拓海の言葉に常連たちの会話が途切れる。拓海は身を乗り出して凜の顔を眺めた。


「おい、おまえの口に鼻くそついているぞ」

「ホクロです」

「死んだばあさんにそっくりだ。ばあさん、その鼻くそ食べるんだぞ」

 固まる凛の顔を見て、カウンター席の四人が笑い出す。その後の話題は、百歳まで生きた祖母の思い出ばかりで、「おまえも、黒ゴマきな粉ひねり昆布が好きか?」と聞かれても、どの味がメインなのかイメージできない。拓海に『鼻くそ』とあだ名をつけられ、凜は限界だった。


「叔父……いえ、叔母さん。わたしはそろそろ……」

「あらあら、そうよね~疲れたでしょう? お部屋の用意はできているの」

「その件ですが……今夜の宿は……」

「わたしのアパートに空きがあってよかったわ。凜ちゃんが来るから、今日は朝からお掃除をして~荷物をそろえて~」

「ですから……そこには……」

「俺も慣れない仕事で、すげ~疲れたよ!」

 太い声に、凜は生唾を飲んだ。優しい小樽の叔母さんは、首をまわしながら喉仏のどぼとけを上下に動かしたのち、強面こわおもての銀次郎叔父さんになっていた。


 凛は銀次郎の顔を見て、ラジオの『お悩みダイヤル五五六(こころ)』を思い出した。人生経験豊かなパーソナリティーが、迷える子羊たちの悩みを解決に導くと言う番組だ。

『変身願望の引きがねは、ストレス社会。とくに女装の趣味は孤独な人に現れます』

 凛の大好きな女性パーソナリティー『こころ先生』の言葉だ。強いストレスに変異する常連たちとの人間関係が、女装に繋がっていると思えば同情はできる。凜が仕方なさそうに「お世話になります」の言葉を贈ると、銀次郎は優しい叔母の顔に戻った。

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