第5話 異人の館 2
「凜ちゃん、お部屋の住み心地は、どうかしら?」
銀次郎は、この日も叔母だった。
「まあ……」
凜は洗い物の手を止める。カウンターの内側に立つのは五日目で、一通りの仕事はこなせるようになった。
銀次郎所有のアパートは、『見晴らし坂』を下って左に曲がり、徒歩十分のところにあった。
『
「ここに、人が住めるのでしょうか?」
「もちろんよ~ あなたの右隣に住んでいるのは、祐衣ちゃんよ」
「え?」
「左は祐気君で、その隣が坊主頭のはじめさんの家ね」
聞いた瞬間、凛はかばんを落とした。
冷静に考えると、
「お凜さん。何かあったら声をかけておくんなせい」
はじめに手ふられ、興味ではなく、単に家路に向かう途中だと知る。
最終的に断りきれなかったのは、そろった家電と家具を見てからだ。
凛を迎えるようにストーブはこうこうと燃え、ベッドの上に真新しいシーツが用意されている。
すべての消耗品は未開封で、馴染みのある商品名だ。
冷蔵庫を開けると凜が好むヨーグルトが冷えていた。
きっと、食べた分だけ支払いが発生するシステムだ――
そう思う方が、この五日間を快適に暮らせた理由に納得ができた。
◇
「凛ちゃん、カレーが温まったわ。ライスお願いね~」
カレーが旨いと噂の喫茶店は、愛想のない新人がいると評判になり、その噂を聞きつけ新光町住民で『喫茶・お散歩』は満員御礼。午後になると仏壇屋の町内会長が、葬儀屋の副会長と二人であいさつに来た。
「なんか、『東京!』って、感じがするお嬢さんだね~
きれいに眉を書いて、うちのかみさんみたく、繋がっていない」
「会長のかみさんは、『くそババァ!』って、感じだよな~」
二人は顔を見合わせ、同じ形の太鼓腹を震わせる。会長の隣で顔つきが変わった女性を見て、凛は仏壇屋のおかみさんだと気がついた。
凛の
特に同性の目はきびしい。
カレーを食べ切ったおかみさんの視線は凛の指輪に流れた。
「あんた、結婚しているのかい?」
「――いいえ」
「東京で、どんな仕事をしているのさ?」
「コンピューター関係でした」
「ふ~ん、よく言うあれかい? ETってやつ」
「ITですが……」
凛が遠慮がちに否定をすると、亭主の仏壇屋が笑う。
「おまえはバカだな~
ETって言うのは、かんじんなときに、あれが立たないことだべ!」
「それは、ED」
凛が小声で否定すると、おかみさんが「あんたのことだよ!」と怒鳴り出す。
なだめる副会長を見てカウンターの客が笑い出した。
ひときわ声が大きいのは、長屋の住人である高橋祐衣と、鼻血を出した祐気だった。二人は二卵生の双子で二十二歳、准看護師が妹の祐衣で、兄の祐気は看護助手をしている。共に『南小樽病院』に勤務していた。
「そこの双子は仲がいいな~
だいたい、一晩に二回もやるから双子が生まれるんだ」
「だったら会長のところは、三つ子でもおかしくないぜ」
「そりゃ~そうだ」
ふたたび店内に笑い声が響く。この盛り上がりに乗れない凛は、黙々と洗いものを片づけていた。
「仕事は慣れたの?」
凛の正面に座っている
バツイチで六歳の子持ちだが、美容師をしていることから年齢より若作りだ。
京香の実家でもある『スズラン理容美容室』は、三軒隣にあった。
朝里駅で京香に声をかけられたことから、今日の不幸がはじまる。
オロロンラインは、この坂じゃなくても、いろんな高台から見下ろせた。
苦情を言いたげな視線を送ると、京香は微笑んでいた。
「何か、困っていることはない?」
「とくには……」
「小樽は気に入った?」
「まあ……」
「愛想の悪い子ね~ ここは客商売なのよ。
何でもいいから、わたしに話かけてみてよ」
「――いらっしゃいませ」
「店に来たときに、言って欲しかったわ。
三十分も前からここにいるのよ」
「そうでしたか」
凛は無表情で洗い物に視線を戻す。そのやり取りを見ていたおかみさんの目が、きびしくなった。
「京香ちゃん、ほっときな。今の若い子は、みんなこんな感じだよ。
たいして仕事もできないくせに、上から目線でさ~
大人しい子に限って、何しているんだか分かりゃしない」
おかみさんの言葉に、凛のリアクションはない。その顔を見ておかみさんの口調が強くなった。
「あんた、小樽に何しに来たのさ?
何かやらかして、逃げて来たんじゃないのかい?」
「おばさん、やめなさいよ」
「京香ちゃんは黙ってな。こういう子は最初が
町内に、よけいな揉めごとでも起こされたら、たまったもんじゃない。
銀ちゃんも人がいいね~ 雇って、家まで貸してさ~
でも、この子は感謝している顔じゃないよ」
おかみさんの言葉で、店の空気はピンと張りつめる。銀次郎がいくらなだめても、弱いと見切った相手に、おかみさんは手を緩めなかった。
「どこで、何して来たかなんて、どうでもいいじゃね~か!」
三十七歳独身の金子はじめが、カウンターをドンと叩いた。凜にとって一番
はじめは
今では『命知らずの金子』の姿はなく、『親分が一人でも歩ける平和な街づくり』をモットーに、リサイクルショップで生計を立てていた。
「おまえら、よく聞けよ~
縁あって『カミソリお凜』は、この小樽にいる訳よ。
はじめが立ち上がると店に不穏な空気が漂い、窓際の客が耳打ちをする。
「出すぎたまね、失礼いたしやした」
はじめに深く頭を下げられ、凜は天を仰ぐ。その後、網走の言葉でおかみさんは無口になり、会長と副会長の言葉使いが敬語に変わった。
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