第5話  異人の館 2

「凜ちゃん、お部屋の住み心地は、どうかしら?」

 銀次郎は、この日も叔母だった。

「まあ……」

 と、凜は洗い物の手を止める。カウンターの内側に立つのは五日目で、一通りの仕事はこなせるようになった。


 銀次郎所有のアパートは、『見晴らし坂』を下って左に曲がり、徒歩十分のところにあった。『炭鉱たんこう歴史博物館』で見たような四軒続きの住宅で、窓は木枠、玄関引き戸の上に裸電球がひとつぶら下がっていた。

「ここに、人が住めるのでしょうか?」

「もちろんよ~あなたの右隣に住んでいるのは、祐衣ちゃんよ」

「え?」

「左は祐気君で、その隣が坊主頭のはじめさんの家ね」

 聞いた瞬間、凛はかばんを落とした。冷静に考えると、内覧ないらんに同行する三人が不思議だった。

「お凜さん。何かあったら声をかけておくんなせい」

 はじめに手ふられ、興味ではなく、単に家路に向かう途中だと知る。


 最終的に断りきれなかったのは、そろった家電と家具を見てからだ。凛を迎えるようにストーブはこうこうと燃え、ベッドの上に真新しいシーツが用意されている。すべての消耗品は未開封で、馴染みのある商品名だ。

冷蔵庫を開けると凜が好むヨーグルトが冷えていた。

 きっと、食べた分だけ支払いが発生するシステムだ――

 そう思う方が、この五日間を快適に暮らせた理由に納得ができた。


「凛ちゃん、カレーが温まったわ。ライスお願いね~」

 カレーが旨いと噂の喫茶店は、愛想のない新人がいると評判になり、その噂を聞きつけ新光町住民で『喫茶・お散歩』は満員御礼。そして、午後になると仏壇屋の町内会長が、葬儀屋の副会長と二人であいさつに来た。

「なんか、『東京!』って、感じがするお嬢さんだね~きれいに眉を書いて、うちのかみさんみたく、繋がっていない」

「会長のかみさんは、『くそババァ!』って、感じだよな~」

 二人は顔を見合わせ、同じ形の太鼓腹を震わせる。会長の隣で顔つきが変わった女性を見て、凛は仏壇屋のおかみさんだと気がついた。


 凛の寡黙かもくさは人の興味をそそる。特に同性の目はきびしい。カレーを食べ切ったおかみさんの視線は凛の指輪に流れた。

「あんた、結婚しているのかい?」

「――いいえ」

「東京で、どんな仕事をしているのさ?」

「コンピューター関係でした」

「ふ~ん、よく言うあれかい? ETってやつ」

「ITですが……」

 凛が遠慮がちに否定をすると、亭主の仏壇屋が笑う。

「おまえはバカだな~ETって言うのは、かんじんなときに、あれが立たないことだべ!」

「それは、ED」

 凛が小声で否定すると、おかみさんが「あんたのことだよ!」と怒鳴り出す。なだめる副会長を見てカウンターの客が笑い出した。


 ひときわ声が大きいのは、長屋の住人である高橋祐衣と、鼻血を出した祐気だった。二人は二卵生の双子で二十二歳、准看護師が妹の祐衣で、兄の祐気は看護助手をしている。共に『南小樽病院』に勤務していた。

「そこの双子は仲がいいな~だいたい、一晩に二回もやるから双子が生まれるんだ」

「だったら会長のところは、三つ子でもおかしくないぜ」

「そりゃ~そうだ」

 ふたたび店内に笑い声が響く。この盛り上がりに乗れない凛は、黙々と洗いものを片づけていた。


「仕事は慣れたの?」

 凛の正面に座っている井波いなみ京香きょうかが、声をかけた。バツイチで六歳の子持ちだが、美容師をしていることから年齢より若作りだ。京香の実家でもある『スズラン理容美容室』は、三軒隣にあった。

 朝里駅で京香に声をかけられたことから、今日の不幸がはじまる。オロロンラインは、この坂じゃなくても、いろんな高台から見下ろせた。苦情を言いたげな視線を送ると、京香は微笑んでいた。


「何か、困っていることはない?」

「とくには……」

「小樽は気に入った?」

「まあ……」

「愛想の悪い子ね~ここは客商売なのよ。何でもいいから、わたしに話かけてみてよ」

「――いらっしゃいませ」

「店に来たときに言って欲しかったわ。三十分も前からここにいるのよ」

「そうでしたか」

 凛は無表情で洗い物に視線を戻す。そのやり取りを見ていたおかみさんの目が、きびしくなった。


「京香ちゃん、ほっときな。今の若い子は、みんなこんな感じだよ。たいして仕事もできないくせに、上から目線でさ~大人しい子に限って、何しているんだか分かりゃしない」

 おかみさんの言葉に、凛のリアクションはない。その顔を見ておかみさんの口調が強くなった。

「あんた、小樽に何しに来たのさ? 何かやらかして逃げて来たんじゃないのかい?」

「おばさん、やめなさいよ」 

「京香ちゃんは黙ってな。こういう子は最初が肝心かんじんなんだよ。町内に、よけいな揉めごとでも起こされたら、たまったもんじゃない。銀ちゃんも人がいいね~雇って、家まで貸してさ~でも、この子は感謝している顔じゃないよ」

 おかみさんの言葉で、店の空気はピンと張りつめる。銀次郎がいくらなだめても、弱いと見切った相手に、おかみさんは手を緩めなかった。


「どこで、何して来たかなんて、どうでもいいじゃね~か!」

 三十七歳独身の金子はじめが、カウンターをドンと叩いた。凜にとって一番擁護ようごされたくない人物でもある。

 はじめは山内やまうち組系蓮沢はすざわ会から足を洗って半年の極道ごくどうで、過去に似合わず礼儀正しさは常連トップだ。今では『命知らずの金子』の姿はなく、『親分が一人でも歩ける平和な街づくり』をモットーに、リサイクルショップで生計を立てていた。


「おまえら、よく聞けよ~縁あって『カミソリお凜』は、この小樽にいる訳よ。網走あばしりを思い出させるまねは、俺が許さねぇ!」

 はじめが立ち上がると店に不穏な空気が漂い、窓際の客が耳打ちをする。

「出すぎたまね、失礼いたしやした」

 はじめに深く頭を下げられ、凜は天を仰ぐ。その後、網走の言葉でおかみさんは無口になり、会長と副会長の言葉使いが敬語に変わった。

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