第5話  解 凍 3 動 悸

「おい、何をやっても許されると思ったら大間違いだぞ!」

「じゃあ、補習を取り消してください。それで、来週仮免です」

「おまえが路上に出たら、交通規制をせにゃならん~」

 鼻歌で拓海が返す。鼻が膨らんだ凜の顔を見て、祐衣が笑った。

「二人は、お似合いだね。言いたいことを言って、楽しそう」

「なんだよ。祐衣は、言いたいことも好きな男に言えないのか?」

「いろいろあって……」

 祐衣がコーヒーを飲みきると、凜はお代わりをそそいだ。気を利かせたと言うより、が聞きたい。ただ、それだけだ。


 拓海相手にはじめた恋愛相談は、別れた不倫相手から、ラブコールが届くと言う。嫌いな相手ならストーカー行為だが、祐衣の顔はまんざらでもない様子だった。

「いやなら断れ、好きなら我慢しろ。何を悩むことがある?」

「――そう簡単に決められない。別居中の奥さんのことも気になるし、わたしは平野先生みたく単純じゃないの」

 祐衣の言葉に、向かい合わせの凜はうなずいた。

「リスクのない恋愛なんてないぞ。それがいやなら、たいした気持じゃない。人の目など気にするな。不倫だろうが堂々としていろ。自分に正直に生きるのが一番いい」

「そうかもね~」

 と、祐衣はアイメイクにハイライトを落とす。童顔の顔立ちに不似合な恋は、自分より年上の女性に見えた。


「平野先生はいいね」

「何が?」

「きっと、悩みがないでしょう?」

「おお、自分に正直とは、じつに爽快そうかいな毎日だ」

「へ~え」

「好きなことを言って、好きな女を口説く……」

 二人の会話を交互に聞いていた凜は、『口説く』と言った拓海の声に視線が止まる。目を合わせたのは三日ぶりだ。一度視線が絡むと自力では外せない。祐衣の化粧が整い「自分に正直って、大事なことかもね」と、店を出て行く。次の客が顔を出すまで十五分、凜と拓海は無言で見つめ合っていた。 

  ◇

動悸どうきを抑える薬が、必要と聞きましたが?」

「はい」

 岡島医師の言葉に凛はうなずく。一週間目の来院は緊急を要する症状だった。

「最近、特にひどいので……」

 凛は胸に手を当て、不快な症状を岡島医師に訴えた。一通りの検査を受けるが、すべて正常値の診断結果に首をかしげる。医療費問題が叫ばれる時代に、無駄な点数を国へ負担させただけに終わった。


 鼓動が早くなるのは、きまってドアの呼び鈴が鳴る瞬間だった。顔を出す常連客を眺め、凛の視線は窓へ移る。やがて、拓海が肩をすぼめて通る姿に、凛の鼓動は最高値に達する。発作は一日二回、昼と拓海の勤務終了後に決まって凛を悩ませた。

「どういったときに、強く表れますか?」

「それは……」

「瀧川さんを思い出したときでしょうか?」

「……そうですね」

 夢の主人公は昨夜も翔だった。代役は出てこないが拓海に興味を抱いたことで、役柄がぼやけてくる。信頼すべき医師に、嘘をついたのは初めてだった。


 カウンター越しに聞く拓海の人生観は常にYESかNOで、一貫してあいまいな言葉を嫌い、優しさを気取らない。白か黒を即時に決めるコントラストの強さが、凛は羨ましかった。

「『自分に正直に生きた方がいい』と、言った人がいまして……」

「続けてください」

「誰もがそんな風に生きたら、戦争が起きますよね?」

「確かに」

 と言って、岡島は笑った。

「でも、感情を出した方が人は信用します。争うのではなく、分かり合うために正直に生きる。それができればストレスはたまりません」

「多分、ないと思います」

「人を想うことができるのは、そういう人かも知れません」

「それもないと思います」

「――誰のお話をしていますか?」


 首をかしげる岡島に、凛は返事ができない。野蛮人と言いたいが口をついた名前は、「翔?」と語尾が上がる。

「魅力的な人なのですね」

 と感心されても、喜ぶことはできなかった。そして、自分の心に素直に問えば、矛盾むじゅんした怒りがあった。それは、落ちこぼれに手を差しのべることもせず、野放しの現状だ。

 例え反抗的な態度を取っても、熱血教師のように『浅倉、俺は待っているぞ!』の一声くらいあってもいいと、すねた本音が響く。しかし、店に来た拓海は素知らぬ顔で、凜を教習所に誘うことはなかった。

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