第4話 解 凍 2 探 る
「直接、俺に聞け!」
はじめから席をひとつ空けた場所で、拓海がにらんだ。
「俺を知りたいのなら、部屋を訪ねて来いと言っているだろう」
「訪ねると、どうなりますか?」
「全裸で出迎え、接待をしてやる」
「接待? その接待とは、一般的にどんな行為を言いますか?」
「セックス」
拓海の返しに、カウンターの客がコーヒーを吹く。
銀次郎が慌てておしぼりを手渡した。
「拓海君! ほかのお客様もいるのよ」
「――正解です」
「凜ちゃんも、おやめなさい!」
銀次郎の声に、凜は背中を向けた。
ここ数日、凜はランチタイムが楽しかった。声を立てて笑うことはないが、店の騒がしさが耳になじむ。
なじめば、違和感は翔を思う夜に向かい、身を置くべき場所は騒がしさなのか、暗闇なのかが分からない。ただ、一人二人と食事をすませた常連たちが店を出て行くと、不安になった。
◇
「まったく、拓海君のせいで不純喫茶になりそうだわ」
銀次郎は大鍋を、木製のお玉でかきまわす。
午後はオリジナルカレー『ちょい辛、銀ちゃんビーフ』の仕込みの日だ。飴色のたまねぎを煮込んで四時間、牛肉と共に具材のほとんどは姿を消していた。
「あの、平野先生って……」
「凜ちゃん? 『いらっしゃいませ』より、『平野先生』のワードが多いわ。
気がついているの?」
銀次郎にお玉を預けられ、凜はカレーを底からかきまわした。
「ちょっと気になることがあります。
朝里駅に着いた日に、わたしの名前を呼んでいたような気がします」
「そう……」
「あの~ いつから平野先生は常連ですか?」
「拓海君が顔を出したのは、三ヵ月前からよ。
詳しく知りたいのなら、直接、彼の家に行って聞きなさい」
「全裸で出迎えられても困ります」
「じゃあ、困らなくなったら訪ねるといいわね」
銀次郎は火を止め、大なべに塩をひとつまみ入れる。
「味が決まったわ」
と笑った。
凛が感じ取った拓海は、身も心も健康な二十七歳だった。
遠慮のない口調だが聞き上手で、よく笑い、よく食べ、よく凛をからかう。
素っ気ない態度をしながら、拓海が他の客と話し出すと凛は横顔を眺める。
ふり返ると目をそらし、また見つめると拓海もふり返る。気持ちがいいほど目が合った。
教習所に出向けば、交差点の左右確認は拓海が座る左の目線が長く、信号が変わると、その分だけ発進が遅れていた。
「そんなに俺が、気になるのか?」
「兄弟は、いる? 生まれが小樽って本当なの?」
「次の交差点を右に曲がって、S字に入れ」
「『台本』って、言うけど、あれは何?」
「いいか、昨日のようにS字を片輪走行したら、免許は取らせないからな」
「前に、どこかで会ったことがありますか?」
「頼むから、前を見て運転してくれ」
拓海はシートベルトを持つ手に力を込める。
車体は左右に揺れたのち上下に跳ね、一時停止は無視。停車帯直前に無駄な加速をして、車が止まると、二人の体は前のめりになった。
「すごい、昨日よりいい感じ」
「どうしたら、そう思える!」
「エンストしなかった」
「あのな、俺に興味を持つのは嬉しいが、運転は集中しろ。
俺の生徒で事故を起こしたやつはいない。その神話を崩してくれるな」
拓海の諭す言葉に凛は深くうなずく。その後、拓海が使うファイルを差し出し、合格を要求した。
「S字をIの字で激走したおまえに、合格などないわ!」
「縁石に、ぶつかっただけでしょう?」
「ぶつかって、乗り越えたらだめでしょう!」
「先生の教え方が悪いんじゃないの?
わたしは二月までに免許が……」
言い切る前に、ファイルが凜の頭を二往復する。拓海の指が下車を命じると、凜はドアを開け、ファイルを雪山目がけて放り投げた。
「こら、何てことをするんだ――!」
「いちいち、叩かないでよ!」
「いいから、ファイルを拾って来い!」
「生徒はお客様でしょう? ちょっと運転できるからって、偉そうに~
もう少し、優しく教えなさいよ!」
凜が背中を向けると、雪玉が首筋に当たる。ふり返った凜が持つのは、ひとまわり大きな雪玉で、次に乗る男子高校生が雪玉をぶつけ合う凛と拓海を交互に見ていた。
それから三日、凛は自動車学校に予約を入れなかった。
昼に拓海が顔を出せば、天井を見上げて「いらっしゃいませ」を言う。横を向いてオーダーを聞き、カレーを拓海ではなく祐衣の前に置いた。
「カレーは好きだけど、ふたつは食べられない」
カウンターで、化粧を直しながら祐衣が言った。
「あちらの暴君に、お渡しください」
「面倒臭いな~ 早く仲直りしてよ」
祐衣は、不機嫌な顔でカレーを拓海に渡した。
「鼻くそが、迷惑をかけてすまないね」
拓海が受け取ったカレーは、見た目大盛りだが、スプーンを刺すと中は空洞だった。
「おい、何をやっても許されると思ったら、大間違いだぞ!」
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