第5話 宣戦布告
一月十四日の空は晴れ渡り、月命日に供えた花はいつもより豪華だった。
うしろめたい気持ちがある訳ではないが、潔白とは言い切れない。酎ハイあたりで記憶は飛び、朝は横で眠る拓海に驚き、体が飛んだ。
言い訳という名の手を合わせ、先月よりも深くガードレールに頭を下げる。
息を吸うと鼻がツンとする寒い朝、花束を添えたのは凛が一番乗りだった。
「おはよう凛ちゃん。今日も寒いね~」
凛が商店街を歩くと、仏壇屋のおかみさんが声をかける。手渡してきたビニール袋から、銀次郎が好物のにしん漬けの匂いが漂っていた。
「いつもごちそうさま。おばさんの漬物は美味しいですよ」
「そうかい? なくなったら取りにおいで、今日はたくわんも入れておいたからね」
「はい」
「凛ちゃんは、すっかり街の人になっちまったね~ 来てすぐの頃は、とっつきにくかったけど、今のあんたの方がずっといいよ」
「うん……ありがとう」
おかみさんに手をふり、凛は歩き出す。雪道の氷を回避する技も覚え、小樽の街は優しい顔を見せはじめた。
『見晴らし坂』をのぼる途中、開店前の『スズラン美容室』で凛は足を止める。
通りに面した窓に大柄な影が揺れると、凛は窓ガラスにへばりつく。すると、窓の向こう側で、はじめも凛を見ていた。
「早いですね……新聞配達ですかい?」
窓を開けたはじめの第一声だ。
昨夜、はじめの部屋にあかりはついていない。双子の噂で、最近、お泊りが多いと凛は聞いている。冷やかす視線に、はじめが目をそらすと、「ご飯できたわよ」と京香が顔を出した。
「あら……早いわね。牛乳配達?」
凛は無言でエプロン姿の京香を眺める。にやりと笑い、口を押えて坂をのぼって行った。
◇
「お店の中だけ、春ですね」
その日のランチタイムは、壁付けのテレビから流れる昼のニュースがよく聞こえた。凜が同じ台詞を言うたび、京香がおとなしくなる。はじめも拓海と凜をからかうことはなかった。
使える――
凜は念じながらコーヒーにお湯を落とす。同じく使える人間がもう一人いる。それは、祐衣の甘い香りだ。
同じ香りは、週に一度通う外来で岡島医師からも匂う。
病院と言う場所柄、微かな匂いだが、女性特有の感が働く。さらに、某ブランドの時計も一緒となれば、不倫相手は想像できた。
その日の夜、銀次郎相手に勘のよさを自慢すると「みんな知っているわ」と言われ、カウンターに沈む。
一人で熱くなり「おもしろい話がある」とハードルをあげた分、話はつまらなくなった。
「凛ちゃんが、キューピットね」
「なら、いずれ破局です。わたしに白い羽は似合わない」
「憎まれ口を言っちゃって〜 本当は嬉しいんじゃないの?」
「まあ、お似合いかなって思います。祐衣ちゃんのことは、気になるけど」
「あの人達は、凛ちゃんを通して知り合ったのよ。祐気君も、凛ちゃんを助けたことで、今の仕事を続ける気になった。そう考えると、白い羽は似合うわ」
「はあ……」
「キューピットも、幸せにならなきゃだめよ」
銀次郎に頭を撫でられ、凜は照れくさそうに笑う。そんな羽が自分にもあるのなら、もっと高い場所からオロロンラインを見たかった。
未来へ導く羽もいい。ただ、雪が降る日は、過去に飛ぶ勇気はなかった。
翌日、路上講習の予約は午後三時、バックミラーを自分に向け、ようやく伸びた前髪を整える。数分後、六号車に乗り込んで来た拓海は鼻唄交じりだ。
「ご指名ありがとうございます。激しい一夜を共にした平野です」
「超えていません。しかも、毎日、同じ台詞」
「昨日は、『狂おしい一夜』と言ったんだ」
「発進します」
路上も六回目となれば、滑らかなシフトチェンジで出入り口を目指す。しかし、自動車学校前の道道一号線は交通量が多い。念入りな左右確認のせいで、今日もすぐには出られない。
「今だ!」
凜は、アクセルを踏む。
「違う!」
と、拓海が左に停車中のバスを警戒する。
教習車が侵入するとバスも動き出すが、六号車はアクセル音のわりにスピードが出ない。あっという間にバスの行く手をふさぎ、拓海はバスの運転手に向かって頭を下げていた。
「貴様……」
「練習中と書いて未熟と読みます」
凜の車が出ないと、後続車四台も出入り口で路上が終わる。命がけの、賭けに出るには十分な理由だ。
やがて、六号車はオロロンラインの交差点で止まる。右折をして五分も走れば、ガードレールが見えてくる。
視界はぼやけ、ハンドルを持つ手が震え出す。よたよたと車が左端へ寄ると、拓海の手がハンドルを握り車体を戻した。
「何も起こりはしない。あの男が見えたら、手をふってやれ」
「昨日と同じ台詞……」
「そうか? じゃあ、今日も俺があいさつしてやる」
拓海は窓を全開にして、ガードレールに手をふる。
「悪いな、瀧川。凜は俺がもらった!」
拓海は叫んだあと、窓を閉めた。
「俺は、何度でも宣戦布告をしてやる。おまえはどうする?」
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