第6話  凜を追う者

「俺は、何度でも宣戦布告をしてやる。おまえはどうする? めそめそ泣いて人生を棒にふるのか?」

「いやだ……」

「使い方を間違えなければ、車はおまえに自由をくれる足だ。けっして過去の清算に使う道具じゃない。過去とは背負って生きるもんだ」

 拓海は左手で正面を差し、あごを使って凛をあおる。震える足でアクセルを踏み込むと、花束を持って歩いた景色が一瞬で流れていく。カーブ手前で減速をすませ、侵入と同時に軽くアクセルを踏む。「いいぞ」の言葉にうなずき、一気にカーブを超えた。


 わたしにも、羽はあるのかも知れない――

 色とりどりの花束が、六号車の風で揺れている。そこに、翔の姿は見えない。ハンドルのブレを直す拓海の手を握ると、過去も未来も飛べる気がした。


 翌週、心療内科の予約日は、いつもより強い力で診察室のドアをスライドさせた。岡島医師への第一声は質問に答えること。

「なんでしょう?」

 と姿勢を正し、岡島は凛と向かい合わせになった。

「わたしの友人に、『高橋祐衣』と言う女性がいます。ご存じですよね?」

「ええ、まあ~同じ病院ですし……なかなかの美人ですから」

「同感です」

「浅倉さんは、何を聞きたいのでしょう?」

「岡島先生の覚悟が聞きたいです」

 凛が身を乗り出すと、岡島は椅子ごとうしろに仰け反る。


「遊びなら別れなさい。本気なら責任を取ってください」

「え……」

「いいですか? 祐衣ちゃんをもてあそんだら、みんなで夜襲をかけますよ。わたし達と戦う覚悟はありますか?」

「――本気ですので、戦う必要はまったくありません」

「結構、祐衣ちゃんは町内の花です。もし枯らしたら、先生に未来はありません」

「はい……」

 凛の羽がバタバタと歓喜の声をあげていた。岡島はひとつ咳払いをしてから、ハンカチで汗を拭く。凛のカルテを手元に置くと向かい合った。


「なかなかの迫力でした。では、診察をはじめても宜しいでしょうか?」

「はい……ただ、ここに来るのは今日が最後です。薬も必要ありません。今日はそのことを伝えに来ました」

「――痛みが消えたと言うことですか?」

 岡島の問いに、凛は首をふった。

「記憶はあまり変わらないし、眠りは浅いです」

「それなら、薬は続けた方が……」

「眠れないときは、友人と騒ぎます。記憶が戻らないなら、今の自分で生きていく。もしも、いやな記憶が戻ったら、それが事実だと受けとめようと思います」

「それにともなう痛みがあったら?」

「痛いのなら痛いとぼやきます。でも、その痛みを散らしてくれる人達がいるから、わたしは平気かな」


 凛の声にブレはなかった。拓海のような鮮明な白黒ではないが、どこか言いまわしが似ていると凛は笑う。クズ同様、単純な答えは空っぽの頭にちょうどいい重さだ。そこに新しい思い出を詰め込み、笑い顔で満たせば悲しい心が入り込む隙間はないと感じていた。

 凛は立ち上がり「お世話になりました」と頭を下げる。すると「最後にひとつ」と腕をつかまれ、凛は腰を下ろした。


「事故の日、瀧川さんはあなたに、何かを伝えませんでしたか?」

「岡島先生は、いつも同じことを聞きますね……」

「浅倉さんにとって大事なことです。どうか思い出してください。瀧川さんは何を言いましたか?」

「会話の記憶はありません。でも、車の中で翔とわたしは笑っていなかった」

「そんなことじゃない。あなたのご両親のことです。何も思い出せませんか?」

「どう言う意味ですか? わたしの親は東京にいますけど……」

 岡島の鋭い視線に、凛は身構えた。

「――そうですよね。すみません、ちょっと大きな声を出してしまいました」

 岡島は背もたれに体を預け、ため息をつく。凛のカルテを閉じ、ボールペンを胸ポケットに戻す。その仕草は、祐衣との関係を問い正したときより気忙しかった。


 その日、凜と入れ違いに岡島医師を訪ねたのは、逢坂あいさかという女だった。案内をして来たのは祐衣だ。ロビーで診察の終わった凜と言葉を交わし、病棟に戻る途中で逢坂に声をかけられた。

「さきほど、お話をされていた女性は、お知り合いですか?」

 三階に向かうエレベーター内で、逢坂は祐衣に聞いた。

「友人によく似ていたものですから、お名前は『浅倉さん』とおっしゃいませんか?」

「いいえ」

「――そうですか、人違いのようです。気にしないでください」


 逢坂は祐衣から視線を外し、エレベーターの表示を見上げる。髪を後ろでひとつに束ね、紺のスーツが姿勢をよく見せていた。

 祐衣が診察室のドアを開けると、逢坂は「ありがとう」と入っていく。ドアを閉め切る前に飛び込んできた言葉は、刑事と名乗る逢坂の声だ。その響きに、祐衣は立ち去ることができない。エレベーターのドアに写っていた逢坂は、姿勢を伸ばすことで背丈以上の威圧感がある。刑事と知れば視線の鋭さも納得ができた。

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