第11話  あの人達は

「あの、みなさん? お願いですから、自分の部屋で勉強してください」

「はーい」

 祐衣は手をあげたが、まったく動かない。

『看護師試験過去問題集』を広げ、二月に行われる正看護師試験に挑むと拳を握る。祐気は春に医療専門学校に入学の予定で、助手から看護師の道を目指すと笑った。そして、向かい合わせのはじめは、引き算ドリルに首をかしげている。最終学歴は少年院と自慢しているが、リサイクルショップの釣銭ミスが、最大の悩みだった。


「トイチの計算は早いのにな~」

 ぼやきながら、九九は七の段から怪しくなり、指を使った引き算を凛に披露する。凛がドリルの採点をすると二十問中、丸は二つだった。

馴染なじんだ世界に、戻った方が宜しいかと……」

「そいつはできねぇ~な。『戻ってきたら指をつめろ』って、言われている。親分は男気のあるお人だ」

「どうして足を洗う気になったの?」

「出入りに向かう途中で、人命救助をしちまった。情けね~話だろう?」

「極道の風上かざかみにもおけない行動ですね……」

「まあな。人を脅す道具で人を助けちゃだめだぜ」

 はじめはニッと白い歯を見せて笑った。


「その人、助かった?」

「ああ、元気だぜ」

「そう……」

 凛はドリルのページをめくり正解を探す。バツはつけずに『よく頑張りました』と赤ペンで書き込む。すると、向い合わせの双子が手をあげ、ご褒美ほうびのコメントを要求していた。

「二人も人命救助をしたの?」

「僕は、人工呼吸をしたよ」

「そう」

「わたしは心臓マッサージ」

 祐衣は、祐気と目を合わせて微笑む。人命救助の経験を、スキルアップの力に変えた二人に、凛は『素晴らしい』のコメントを書き込む。残り二日のつき合いと思えば苦にならず、うかつにもお茶まで出してしまった。


「それを飲んだら帰ってよ」

「ねえ、凛ちゃん。本当にお店を辞めちゃうの?」

 祐気の問いに、凜はうなずく。

「僕ね~これから、小樽を案内しようと思っていたんだ。確かに十年来のつき合いじゃないけど、ちょっと寂しいよ。はじめさんも、そうでしょう?」

「おおよ。喫茶店の連中、口は悪いが気楽でいい奴らだ。『こいつは、いつもそうだ』って言いながら、俺を受け入れてくれる。みんな本音でいられるから集まるんだぜ」

「本音って言う無遠慮?」

「よそ者に、いい顔する奴らより信用ができるさ。腹の内が分れば味方になってくれる。それまで、この街にいてもいいんじゃね~のか?」

「もう、決めたから……」


 怒鳴った体力をぼうにふる気はなかった。寡黙かもくは便利だ。他人が人格を勝手に決めてくれる。しゃべり過ぎて、あらが出ることもない。

 人の決めた予定は楽だ。終わってから、腹の中で不満を言えばいい。すべてまわりのせい、すべてこの街のせい。騒がしさで、翔のために泣けなかった夜も、海がきれいと見惚れてしまった朝も、生きていることが薄情と感じる心に言い訳ができた。 


 凛は食器棚に体をあずけ、テーブルの上を片づける三人を眺める。丸が二つの答案を見て嬉しそうにはじめが笑い、その頭をふざけて祐気がなでている。小樽に来てから、笑い声は眠りにつく前の儀式のようで、腹をたてた日の方がよく眠れていた。

「ねえねえ、いい物あげるよ」

 帰り支度じたくをすませた祐衣が、切りとったノートを手渡す。『立ちあがった生き倒れさん。大変よく歩けました』のメッセージと花丸が三つ添えてある。

「この人たちは、いつもこうだ――」

 無意識に凛はつぶやく。「お休み~凛ちゃん」の声に、顔をあげられない。花丸を見て嬉し泣きなど、死にたいくらい恥ずかしかった。

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