第4話  秘 密

 それから二日、凛の姿は小樽の街から消えたままだった。『雪あかりの路』は天候に恵まれ、ろうそくのあかりは見る者を魅了する。凛の誕生日を翌日に控えた二月十三日、東京の駒込でも、公団住宅の階段を下りた正美が夜空の星に見惚れていた。

「明日で一年が来るのね……」

「早いですね~」

 山口が独り言を返しても、正美は返事をしない。腕時計の時間を確認すると、足早で歩き出した。

「お出かけですか?」


「夜勤よ。しつこいとストーカーの被害届を出すわよ」

「お手やわらかに……これも仕事なので」

 山口が一礼をしている間に、正美の歩くスピードは電柱を一本越えて行く。看護仕事は基本肉体労働だ。長いキャリアで年齢のわりに足の筋力は衰えない。ヒッ、ヒッ、フーの呼吸法で地下鉄駅を目指す。

「今日は一人なの? あの感じの悪い先輩は?」

「逢坂さんは、瀧川の母親のところです」

「そう……翔さんのお母さんは、元気なのかしら」

「事故以来、引きこもりがちなようです」

「子供を失くせば、どこの親もそうなるわ」


「お会いしたことはありますか?」

「ないのよ。でも、電話が一度だけ」

「用件は?」

「凛ちゃんの住所を聞いてきたわ。『翔さんの目の届かない場所』って、答えたら切れちゃった」

「いつのお話しですか?」

「二人が小樽に行く前の日よ」

 正美は赤信号で足を止めると、息を整えた。

「絶対教えないわよ。どうせ翔さんから頼まれたと思うし、凛ちゃんが怯えるわ。在宅の仕事を選んで、拓海とひっそり暮らしていたのよ。でも、結婚の報告が翔さんの耳に届いたのね」

 正美は信号が変わると、誰よりも先に歩き出した。


「それで、どこまでついて来るのよ?」

「もちろん病院の玄関まで送ります。明日の話ですが、夜勤明けで申しわけありませんね」

「実家に戻るだけで捕まえる気? 凛ちゃんが帰るなら、わたしの家よ」

「事故当時の話を聞きたいだけです。明日の誕生日に戻る可能性もありますから、連絡があったときは……」

「もちろん、『刑事がいるから気をつけなさい』って言うわ。だって、わたしの娘よ。あなたより、かわいいに決まっているじゃない」

 正美の一言で小走りだった山口の足が止まり、その間に電柱を超えて行く。「置いて行くわよ!」と正美が怒鳴ると、苦笑いをしながら山口は走り出した。


 翌日、正美は南千住の浅倉の家で、久しぶりにテレビをつけた。画面に映るのは、北海道をおおう雪雲だった。横殴りの雪で路肩に立ち往生した車を映し、右下には『今の小樽市内』の文字があった。

「去年より酷いわ……」

 正美はリモコンでボリュームを二つあげる。その横で逢坂が背中を震わせていた。

「先月、わたしも同じような天気で死にかけました」

「そう、刑事の仕事も大変ね。そろそろ写真を片づけてもいいかしら? 夜勤明けの疲れで、このまま寝ちゃいそうなの」


 正美はお茶をすすると、部屋に散らばるアルバムに視線を流した。張り忘れている写真を手に取り微笑む。近くの公園で遊ぶ凛と翔は、幼稚舎の制服を着ている。二人共、手の汚れを自慢げにカメラに見せ、泥だらけの顔で笑っていた。

「かわいいわね……」

「その頃は、瀧川も殴ったりしていないですから」

「――逢坂さんと話していると、優しい気持ちが吹っ飛ぶわ」

「よく言われます。ところで、彼女は友達がいないのかしら? 親や瀧川と写っている物ばかりですね」

「拓海が言っていたわ。翔さんが距離を取らせたみたい。人間関係が人を大人にするのに、せまい世界で凛ちゃんは何を見てきたのかしら……」

「親のエゴでしょう」


 逢坂は、ポケットタイプのアルバムを高速でめくる。首をかしげ一気に最後のページにたどり着く。正美がきれいに積み上げたアルバムは、元の散乱した姿に戻っていた。

「何がしたいの?」

「前から気になっていましたけど、瀧川の家に彼女の写真が一枚もないんです。ここは瀧川の写真だらけなのに、はがした跡もなかった」

「そう……普通、幼なじみなら親同士で共有するわ」

 正美は持ったままの写真に、視線を落とす。そのうしろで、山口がのぞき込んだ。

「僕が親ならこの写真は欲しいな。目元がそっくり、同じ顔してかわいいですね」

「同じ顔?」 


 正美が見直そうとすると、取り上げたのは逢坂だった。じっとにらみつけてから手帳を開く。過去の日付をめくり、確認を終えると紐でくくられた古いアルバムを引っ張り出す。手に取ったのは『目黒めぐろ第一小学校』と書かれていた。

「どうしたって言うのよ?」

「見つけました。息子さんに言われていた動機です」

「動機って、そこは凛ちゃんの母親が勤めていた小学校よ」

「はい……瀧川の父親も務めていました」

「え?」

「正美さんは気がつきませんか? これが凜さんを虐待する理由です」


 正美の前に積まれたものは、悦子が二十年前に勤めていた卒業記念アルバムだった。教職員紹介のページを開き、交互に指を差した写真を見て正美は首をふる。

「まさか……」

「瀧川の父親は、一年の臨時りんじ採用ですが接点せってんはあります。悦子さんより、かなり年下ですね。瀧川翔によく似ている」

「そんなことがあってはならない……そんな悲しい話は……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る