第3話  凜の足跡

 逢坂の姿に、拓海の顔つきが変わる。トイレから出て来た祐衣も逢坂の顔を見て、はじめに耳打ちをしていた。

「彼女は、朝一番の飛行機で羽田に向かったわ。搭乗記録の確認が取れたところよ」

 逢坂は常連たちの顔を眺め、警察手帳を使ってあいさつを終えると、出席を取るように名前をフルネームで呼んだ。

「貴重なお話を聞かせていただいて、ありがとうございます」

「それ、盗み聞きって言うのよ」

「『京香さん』と、おっしゃいましたね?」

 逢坂が、カチっとボールペンを鳴らした。


「わたしも彼女がネットで何を買ったのか、気になります。パソコンを見せてもらえると、助かりますが」

「いやよ。プライベートな物でしょう? 完全包装とくればね~」

「――あまり時間を無駄にしない方が、いいと思います」

 逢坂は、手帳を開いた。

「事故を起こす前に、瀧川は母親に電話をしています。ただ、美千代さんは精神的に不安定で、内容は覚えていないそうですけど」

「翔さんは一人息子よね。その気持ちは分かるわ」

「もし、罪の告白をしたのなら、浅倉が放っておくとは考えにくい。それに、母親と名乗った正美さんを警戒しているとしたら、記憶が戻れば何が引きがねになるか……」


「ふざけるな!」

 拓海の声が、逢坂の言葉をさえぎった。

「血は繋がらなくても、あいつにとって母親はおふくろだけだ!」

 逢坂に向かう拓海を、はじめが押さえつけた。

「近くで見てきた俺が一番知っている。勝手に凛の人格を変えるな!」

「変えた訳じゃなくて、戻ったのよ」

 逢坂はボソッとつぶやいたあと、ふたたび京香に視線を戻す。すると、眉間みけんにしわが縦に入っていた。


「協力してもらえる顔じゃないですね?」

「わたし達は、毎日、あの子と向き合ってきたの。何ができて、何をできないかくらい分かる」

「――では、なおさら見せた方がいいと思います。親御さんが失踪して今日で一年です。ご存じのとおり瀧川の命日は四日後、彼女の誕生日でもあります。きっと、彼女にとって何かの意味があるとわたしは思っています」

 逢坂は常連たちをくるりと見まわし、「信じているんでしょう?」と念を押す。静まり返る店内に「信じているわよ」と答えたのは銀次郎だった。


「気がすむまで見たらいいわ。それで逢坂さんも納得するでしょう」

「助かります」

「凛ちゃんは人の痛みが分かる子なの。記憶がなくても、人の本質って変わらないものよ」

「わたしもそう願いたいです。みなさんのためにも……」

 逢坂は銀次郎に向かって頭を下げた。そのうしろを早足で京香が通る。ダウンを片手に持ち、滑り止めの金具をカツカツ言わせながら店を出て行く。その背中を追う常連たちと共に、逢坂も店をあとにした。


 逢坂がパソコンを開くと、履歴は消えていなかった。上から順に「レシピ動画」が一覧で並び、ところどころに護身用販売サイトと、コスプレ専門店が入っていた。メールを開くと『ご購入ありがとうございます』の下にスタンガンと催涙さいるいスプレー、さらに手錠の文字が続く。裏サイトの足跡をたどると、クロロホルムまで出てきた。

「どんなプライベートなのよ」

 逢坂は拓海に視線を流す。パソコンの下に挟まるのはA4の紙だ。逢坂が広げると、一面『正美』と打ち込んであり、その名前を赤のマジックで潰していた。


「――もしもし、わたしよ。平野正美さんに警護をつけて……あと、念の為に美千代さんにもね」

 逢坂が携帯を切ると、購入商品を頼んだのは自分だと自首の嵐だった。逢坂はだるそうに常連たちに向かって「はいはい」と手を挙げ、壁に寄りかかる拓海を見た。

「たいした町民意識ね」

「おまえ、バカだろう? 凛はプログラマーだぞ」

「分かっているわよ。履歴くらい復元不可能な状態に消せるわよね」

「おまえを誘っているんだ。探してこい……凛の足跡」

「もちろん、すぐ東京に帰るわ。ちょっと気になることもあるし……」


 凛の入院中、逢坂が会いに行ったのは一度だけだった。『瀧川翔』の名前を出すだけで泣かれ、小樽、雪、オロロンライン、事故のキーワードで過呼吸になる。ドクターストップをかけられ、面会は十分で終了した。

 そのすべてが匂う小樽で、今年に入って見た凛の顔はよく笑っていた。花束を抱えオロロンラインを歩く凛とすれ違い、あいさつをされ逢坂は足を止める。それは、南小樽病院で凛の姿を追う視線にふり返ったときと同じ顔だった。


 意識は、常にもうろうとしていると聞いていた。年齢を聞くたびに、幼少期をさまようと医者は言った。刑事のオーラを消す力不足か、凛の勘がよいのか、どちらにせよ、うろつく自分の気配を感じ取っているように思えた。

 拓海から聞いた瀧川翔の人格は冷酷で、同性として腹が立つ。ただ、どんな怒りが拳を握らせたのか、逢坂には見えてこなかった。

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