第2話  見慣れぬ顔 2

「一緒に飲もうなんて珍しい。平野先生は?」

「わたしの薬で、ぐっすり。朝まで大丈夫」

「え……」

 祐衣は岡島医師と目を合わせる。凜の体重と症状に合わせての処方だが、三錠を砕いて飲み物に混ぜたと聞いて、「お昼まで起きない」と祐衣がうなずいた。

「――それで、話って何?」 

「祐衣ちゃんには、何もないの。だって~あなたはいい子だからね。用があるのは、おまえだ!」

 凜に指をさされ、岡島は姿勢を正した。


「過度のアルコールは、脳の損傷につながりますが……」

「いい? 祐衣ちゃんを泣かせたら、わたしは許さない。最後まで添いとげる覚悟を決めなさい」

「喜んで……」

「お金の苦労なんかさせないで。この子は頭もいいし、よく働きます」

「ちょっと、やめてよ~どうしちゃったの?」 

「わたしは、機嫌がいいの」

 凛はこの夜、朝まで二人を帰さない。「明日も、夜中に電話をする」の弊害へいがいに耐えられず、今日は断りの来店だった。


「朝の四時だよ。せっかくの休みなのに、先生は起きないし、わたしも気持ち悪いし……」

 祐衣がトイレに駆け込むと、入れ代わりに京香が顔を出す。ドアを開けてから、ずっと首をかしげている。その顔を見て、先手を打ったのは祐気だった。

「京香さんは、凛ちゃんに何をされたの?」

「――どうして知っているのよ」

「凛ちゃんは今日から三連休だって、平野先生と遊びに行くのかもね」

「そう……それならいいけど、ちょっと気になるのよ」

 祐気の顔を見ながら、京香はイスに腰を下ろした。


 語りはじめたのは、凛の異変だった。仕事帰りに京香の家を訪ね、健一相手にヒーローごっこで遊ぶ。その後、パソコンを開き、京香が通りすがりにのぞくと、『簡単、今日の献立こんだて』のサイトに切り替えた。

「あなたね~自分の家にもパソコンがあるでしょう?」

「あれ、急にお腹が空いてきた。そうだ、ホットケーキ作ってよ。生地は柔らかめでシロップ大目。マーガリンはいやだよ。バターにしてね」

「誰が作るって言ったのよ」

「焦がさない程度の、焼き色が好き」

「――いい加減にしなさいよ。拓海君が心配するから帰りなさい」


「うるさいな~ホットケーキ食べたら帰るって~」

「つまり、食べるまで帰らないのね?」

 凜はニッと笑って手を合わせたあと、右手で人払いをする。空腹の健一にせかされ、夕食前におやつを作る羽目になった。

 ホットケーキ完食後、凛は帰らず今度は「髪を切って」と言いはじめる。一度閉めた店内にあかりを灯し、京香は凛の髪にブラシを入れた。

「小樽はいい街だよね。ここが、ふるさとみたい」

「あら、嬉しいこと言うわね~」


「わたしは、この街に育てられた気がする。親や兄妹に恵まれ、友達もたくさんいて、よく笑ってよく泣いた。たった三ヶ月なのに、十年来の付き合いになった」

「みんなあなたが好きなのよ」

「――あの日、健一君と京香さんにケガがなくてよかった」

「あなたが事故の話をするなんて珍しい」

「一瞬だけど、健一君と目が合ったの。わたしの力だけじゃ、車を交わせなかった……」

「どう言うこと?」

 京香が鏡越しに視線を合わせると、凛は笑いながら首をふる。普段より口数が多く、よく笑う。仕上りに手鏡を渡すと、短くなった前髪を指で触り、気に入った様子だった。


「ねえ、何か変でしょう?」

 京香は、身を乗り出して祐気に聞いた。

「うん……平野先生は?」

「携帯が繋がらないの」

「凛ちゃんはネットで何を調べていたの?」

「買い物をしたみたい。荷物がわたしの家に届いたわ」

「中身は?」

「人の荷物は、見ないわよ。昨日、あの子に渡したけど……何を買ったのかしら」

「献立サイトじゃねぇ~な。完全包装とくりゃ~中身は……」


 にやりと笑うはじめに、銀次郎が咳払いをする。目線を使い窓際の席の客を教える。開店と同時に入って来た客は、書きにくそうにボールペンをぐるぐるまわし、携帯にうなずきながらメモを取っていた。やがて、店内に五回目の鈴が鳴り、スウェットにダウンを羽織った拓海が飛び込んで来る。額に手を当て不快な目覚めと戦っていた。

「凛は? 凛はどこだ?」

「何を言っているのよ。二人で出かけるんじゃなかったの?」

 京香の言葉に、拓海は首をふる。

「――起きたらいないんだ。どこに行ったのか知らないか?」

「東京よ」

 窓際の客がふり返り、携帯に耳を当てたままで答えた。

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