第12話  狂 人 2

「翔……あなたは狂っている」

「狂っているのは君の母親だよ。僕に迎えを頼むなんてどうかしている」

「お母さんが……?」

「ああ、『凛はガラの悪い大学生と付き合っている。あの子の力になって』だってさ。僕等のことを知っているくせに、あの人は一緒にさせたいんだ」

「犬じゃあるまいし……」

「犬以下だよ。僕等も君の母親もね?」

 翔が顔をのぞき込んでも、凛は目を閉じたままだった。携帯を壊した石が指先に触れると、手を広げ握りしめる。カッと目を開き翔の頭に狙いを定め、右横から殴りつけた。 


 額に添えた手の隙間から血が流れ出し、翔は体を屈める。凛が次に狙うのは翔の肩だ。ひるんだ隙に蹴り飛ばし、草むらに転がる翔の体にまたがった。

 片腕を通したブラウスが風に揺れ、凛は夜の闇に素肌をさらす。無表情で石を高く持ち上げ、一気にふり下ろすと、翔の耳を傷つけ草むらに埋まった。 

「今度、こんな真似をしたら本気で耳を潰すよ! 次は顔、次は頭……しつこいと、あんたの命も潰すからね!」

「今、潰して……どうせ僕等は逆らえない」

「わたしは違う。だれに汚されたって屈しない。わたしはあんたのお人形じゃないの! 何度だって戦うから!」

 凛は悲鳴をあげて、翔に見立てた石を殴りつける。翔への怒りに火がつきながら、的を絞れない自分に凛は泣いていた。

  ◇

 コンビニ前の交差点で拓海は息を整えた。脇腹を押えながら、体を屈めると額から汗が落ちる。通りの向こうに見える鳥居の中央には、深い闇が手招いていた。

 境内の裏手は雑草が生い茂り、湿った空気を漂わせる。街灯の下で見つけた凛の携帯は砕かれ、跡形もない。その横に血のついたスニーカーが片方転がっていた。

「凛は、もういないよ……」

 声にふり返ると、石碑の台座に翔が腰を下ろしている。シャツのボタンは外れ、白い肌が闇に浮かぶ。「僕と楽しんで先に帰った」と笑う声に拓海は拳を握った。

「瀧川――――!」

 拓海の手は翔の胸倉を締め上げ、街灯の下まで引きずる。襟元は汚れ、側頭部から血がにじみ、眩しそうに細めた目は赤い涙を流していた。


「僕を殴る暇があったら、凛を追い駆けた方がいい。僕の嘘を信じたみたい」

「どう言うことだ!」

「あなたは、何も知らない。凛を守って来たのは僕だ。僕から離れちゃだめなのに、あなたが邪魔をするから」

「凛はどこだ? どこに行った!」

 翔の襟をつかんだ手に、拓海は力を込めた。

「さっきも言ったでしょう? 家だよ……間に合うといいね」

 薄ら笑いの翔を殴る気は、すでに失せていた。鳥居を抜けてすぐ、拓海はタクシーを止める。携帯の残骸を握りしめると、おそろいのストラップがちぎれ、拓海の足元に水晶玉が転がっていた。

 ◇

 許さない――

 凛はつぶやきながら、居間へ続く廊下を歩く。右手に金属バットを引きずり、床にばらかれた植木を踏みつける。枯れた娘に、水のひとつも与えない悦子が咲かせた花が憎かった。

 壁にいくつもの穴が開き、床に落ちた絵画には泥のついた足跡が残る。凛が居間のドアを足で開けると、階段を二段残したところで立ち尽くす武がいた。


「降りて来たら、あんたも同じ目に合わすよ」

「バカなことは……」

 武の言葉を嫌い、凛は植木鉢を投げつけた。悦子の逃げる気配に息を整えグリップを握り直す。足を引きずる悦子に浴びせたのは、シャンデリアを叩きわったガラスの雨だった。

 怯える顔を眺め、凛は狙いを定める。背後から吹いて来た風に髪を揺らし、凛はバットを高く持ち上げた。

 

「そこまでだ!」

 拓海に腕をつかまれ、下ろしたバットは悦子の肩をかすめる。悦子は悲鳴をあげ、その声に武が耳をふさぐ。拓海に体を抑えつけられても、凛のバットは悦子に向っていた。

「落ち着け! どうしたって言うんだ」

「拓海には関係ない。この家から出て行け!」

「凛!」

「いや――――!」

 凛は手に触れた物すべてを凶器に変え、悦子目がけて投げ付ける。あとずさりをする悦子の手はガラスで切れ、フローリングに血の手形が残る。「怖ろしい子」

 とつぶやく唇は震えていた。


「親に向かってなんてことを……」

「親? あんたなんか母親じゃない! 娘を利用して自分の想いを遂げたいだけでしょう?」

「なんの話」

「わたし、知っているんだから……どうして、どうしてわたしがあんたの身代わりになるの!」

 拓海の手をふり払い、凛はふたたびバットを握り締めた。

「何が教育者だ。何が悦子先生だ! あんたは欲にかられた汚い女、わたしは、あんたの道具じゃない! 道具じゃない! 道具じゃない!」


 凛は叫びながらバットを床に叩きつけ、次に狙うのは壁、そして花瓶、サイドボードの植木鉢をなぎ倒し、ガラスの上を裸足で歩く。凛の視線が悦子をとらえると拓海は走り出し、悦子の前に滑り込む。ふり下ろしたバットは拓海の髪を揺らしたところで動きを止めた。

「そこをどいて……」

「もう、やめろ」

「どきなさいよ!」

 バッドをふり下ろすが、拓海は瞬きひとつしない。風圧で髪が揺れても凛の顔を見上げていた。

「お願いだからどいて……」

「バットを離せ、おまえにそんなものは似合わない」

「どけって言ってんだよ!」

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