第14話 優しい景色

 凛は、立ち上がろうとするが足に力が入らず、四つん這いであたりを探しまわる。やせた指にまわっていたリングは、中央にダイヤが散りばめられている。思い出もさることながら、高額なブランド品なだけに凛の鼻息が荒い。しかし、降り出した雪がプラチナの光を見失わせた。

「見えないあんたに、探せる訳がない」

 おかみさんは息を深く吸い込み、「懐中電灯を用意しな――!」と叫ぶ。坂の上では、一足先に祐衣と祐気がメガネを探している。おかみさんに向かって手をあげたのは会長と副会長だった。


「指輪だよ! 指輪を落としたんだとさ――!」

 おかみさんの声に反応して玄関先の街灯が、ひとつまたひとつと灯り出し、懐中電灯の光が『見晴らし坂』をのぼっていく。日没と共に下がりはじめた気温で街は凍りつき、住人達の息が雲のように見えた。

 もう、いいから――

 凛の唇は、同じ言葉を繰り返すが声にならない。道の両端で灯る懐中電灯は一列に並び、夜空に向かって揺れている。それはいつか見た景色のようで心が熱い。「諦めな」の一言で、泣く準備はできていた。


「きれいだな。ろうそくじゃないが、小樽名物『雪あかりの路』だ」

 拓海の声を聞き、かすんだ記憶に無数のろうそくのあかりが蘇った。

「雪あかり……そう、『雪あかりの路』だ」

「本物は二月に見られるぞ」

 拓海が笑いながら横にしゃがんだ。

「死んだばあさんが、失くした指輪は探すなって言っていた。誰かの不幸を食うと身を隠すそうだ。無理に見つければ悪さをする。そのうち新しい指輪がくるから、おまえは手を広げて待ってろ」

 拓海は立ち上がると、肩をまわして打撲の痛みを散らす。

「平野先生~車を戻したぜ~」

 はじめの声に手をあげた。拓海は素早く運転席に乗り込み、エンジン音を確かめる。凛が頭を下げても知らぬふりで、アクセルを二回ふかした。


「あの……」

「そうだ。おまえに言い忘れていた話がある。『朝里自動車学校』は、十月に全教習車を新車に変えたばかりだ」

「――どうりで、足まわりがいいと思いました」

「おまえのせいで横転したのは、教習車仕様だが二百万はする」

「重厚なボディーで助かりました」

「いいか? きっちり賠償がすむまで逃がさないからな。俺を命の恩人と敬い、『お散歩』で働いて返せ。分かったな」


 拓海は、クラクションを鳴らして市道を左折して行く。助手席でふり返った青年は、以前、凛のせいで電柱にぶつかった生徒だ。

 人命救助の理由があっても、拓海の運転で教習所に帰る以上、不合格は自然な流れと言える。人災と呼べる不幸に、凛は最後まで目を合わせることができなかった。

 凛の手にメガネが戻ったのは、教習車が立ち去ってすぐで、坂を駆け下りて来た祐気が手渡した。

「フレームは壊れてないよ」

「ん……」

「でも、指輪が見つからないの。ごめんね、凛ちゃん」

「――もういいの。本当にもういいから……」

 凛はメガネをかけ、坂を見上げると空へ導く光が住人を映し出している。満天の星が『見晴らし坂』を照らす、とても優しい景色だった。



 翌日、凛は『喫茶・お散歩』の店内で床掃除に汗を流す。開店十五分、床の仕上がりに満足すると、日捲りカレンダーを一枚はがした。師走の文字の下には、二体のお地蔵さんが笑っている。今月の格言は『前を見よ。うつむいていたら、人の優しさは分からんぞ』だった。

「今日は僕が一番だ~」

 と、祐気がドアを開ける。そのうしろに祐衣と京香が続き、はじめの鼻歌が店内に響く。最後に顔を見せたのは、制服姿の拓海だった。

「い、いらっしゃいませ……」

 と、凛が言う。その声を聞いて、座りかけた五人が一斉に立ち上がった。三十秒ほど凛を凝視してから座り直す。その仕草を見て、「練習より声が出たわ」と銀次郎が笑っていた。


「僕、コーヒー飲む。凛ちゃんの入れたコーヒーがいいな」

「わたしも、祐気と同じ~京香さんは?」

「右に同じ。トーストもつけてね」

「俺はココア。ちょいと甘めで頼むぜ」

「似合わな~い」

 と、祐衣が笑い出し、甘党のはじめをからかう声が響く。そして、凛の前には拓海が腰を下ろす。『前を見よ』その格言に、凜は顔を上げた。

「ご注文は?」

「浅倉凜。——が入れた、まずいコーヒー」

「それなら、得意です」

 この日、冬へ加速する街で、無愛想な新人がスーツケースのロックを解除する。立ちのぼる湯気で凛のメガネはくもり、まるでホワイトアウトの世界だ。やがて、雪が晴れた先には、頬杖をついて微笑む拓海が見えた。

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