第9話  声の花束 1

 十二月十四日、翔の月命日は深夜に降った雪で、歩道の境目を見失わせる。商店街の花屋で買ったのは、アマリリスとかすみ草。翔が好きな赤い花だ。除雪車が削った歩道はせまく、雪の壁ぎりぎりを歩く。すると、スピードを上げた車が、クラクションを鳴らして脇を通った。

 数日前の自分を忘れ「乱暴な運転、危ないな」と不機嫌な顔を返す。やがて、翔が飛び越えたガードレールに差しかかると、色鮮やかな花束が四つ出迎えた。


「誰……?」

 凜は首をかしげるが、『死亡事故多発地帯』の看板を見れば納得ができた。

 ごめんね、翔……

 言い慣れた台詞を、おそらく聞き飽きた翔へ送る。翔の世界へ飛ぶには臆病な体は重く、生きる力は未だ身につかない。過去と今に挟まれ身動きが取れず、涙をみつぎ物にして凛は手を合わせた。


「ちょっと、ちょっと~来てたのかい、京香ちゃん?」

 車の排気音に紛れて、背後からかん高い声が聞こえてきた。

「健一、風邪ひいたんだって~? 大丈夫なのかい? そういえば漬物ごちそうさん。いい味に漬かっていたよ。いつも、もらいっぱなしで悪いね~」

 凛が機関銃のような声にふり返ると、「あら?」と、女性が口をつぐむ。大判のストールを頭からかぶり、右手に持つのは菊の花だ。女性は、しばらく凛の顔を眺めると、口を開けたまま指をさした。


「あんた、あのときのお嬢さんだね。どうしたのさ~いつ小樽に来たんだい? 心配していたんだよ~」 

 両肩をつかまれ、凛の体は前後に揺れた。

「花をお供えに来たのかい? 元気な姿を見られて嬉しいじゃないのさ~はじめさんから、東京の病院に移ったと聞いたときは驚いたよ」

「――ち、ちょっと待って」

 凛は手を離し、雪の壁まで距離を取る。「はじめさん?」と、首をかしげた。


「さっき、京香さんと間違えましたよね?」

「最初は祐衣ちゃんかと思ったよ~でも、あの子はいつも祐気と二人で来るからね~」

「どうして……どうして、あの人達はここに来るの?」

 凛が詰め寄ると、転倒防止用のストックを盾に、女性は後ずさりをした。

「京香さんの起こした事故って……」

 言い切る前に、金属音のような耳鳴りが頭の中に響き出す。車のエンジン音に紛れて、騒がしく呼ぶのはトーンの違う声だ。誰かの悲鳴が蘇った瞬間、凛はその場に座り込んだ。


「あんた、大丈夫かい? ちょっと落ち着きなって~」

「教えてください。京香さんは、この国道で事故を起こしたの? 花束はあの四人が供えた物ですか?」

「まいったね~あたしゃ、よけいなことを言っちまったのかい……」

 女性はストールを凛の肩にかけ、峰岸みねぎしと名乗る。ガードレール下の住宅街を指さし、赤い屋根が自分の家だと言った。


「あんたの乗っていた車は、ここを突き破って落ちたんだよ。ちょうど家の庭でね~最初は地震かと思ったよ」

「じゃあ、あの人達は?」

「あんたを助けた人達だよ。ここから飛び降りて来たのが、はじめさんだったね~なかなか救急車が来なくてさ~あの四人は、ず~っと励ましていたよ。覚えていないのかい?」

「そんな……」

「月命日には、必ず花を供えに来る。あんたの意識が戻るように、祈っていたんだろうね」

「知っていたんだ。わたしのことを知っていた」

 凛は峰岸に「ありがとう」の言葉を残して走り出す。たくさんの声が、束のように聞こえていた。それだけに、誰の声を聞いても思い出せなかった。坂をのぼり、息が切れるたび束は緩み解けていく。やがて、常連たちと交わした音色が凛の記憶と重なった。

  ◇

「やっぱり、凛ちゃんがいないと寂しいな~」

 祐気は食べ切ったカレーを避け、カウンターに頬杖をついた。

「今日は月命日だから、いろいろ話があるの。きっと、『平野先生を呪って』って、頼んでいたりして……ふふ」

 祐衣の顔を見て、拓海は飲みかけのコーヒーをカウンターに置く。銀次郎に向かって、「塩」と頼んでいた。

「空がくもってきやしたぜ。また雪ですかね~お凜さんの涙みたいだ」

「やめてよ~気が滅入ってくるわ。銀ちゃん、わたしにも塩をちょうだい」

「何を言っているのよ~」

 銀次郎が京香にコーヒーを差し出した瞬間、勢いよくドアが開く。同時に吹き込む氷点下の風に、カウンターの常連たちが身を震わせた。

「みなさんに、聞きたいことがあります!」

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