第58話 制約の1分

「初めてのインプラント導入した味はどうだい? リアン」


 深い海のような暗い一室。天井に埋め込まれた、小さな数個の電球がほのかに室内を明るくしている。


 不気味とも言える一室で、ハリのある女性の声が響く。

 

 その声の主は暗闇でもはっきりと浮かび上がる、燃えるような赤髪を持つ女性。


 足を組んで椅子に深く座り、パンツ一枚でベッドに横になるリアンに視線を向ける。


 シュッとした輪郭に端整な顔立ち、優しくも鋭い三白眼は美人な彼女をより際立たせている。


「不思議な感じだ、ドクター・ウンファ。今までよりも強くなった気がする」


 ドクター・ウンファと呼ばれたその女性は、机の上に置かれたタブレットをタッチする。


 すると、天井から吊り下げられた機械が上がり、手術台ベッドの上半分が起き上がる。


「そりゃあ、よかった。後は本人の使い方次第だね」


「なら、早いところ使いこなせるようにならないと……」


 リアンは上半身を起こし、インプラント化した腕や足などの各部位の動きを確かめる。


「それと、ご注文通り、『スピードライズ』もインストールしといたよ。お望みの通り、戦いを有利に進められるだろうさ」


「ありがとう。すぐに使えるのか?」


「使えるが、まずは感覚を掴むところから始めな。この手のインプラントは実践で使えるようになるまで、体に慣らすことが大事なのさ」


「分かった。あとで試してみる」


 リアンはベッドから立ち上がり、足を上げ下げして感覚を確かめる。


「それと、おまけでテリトリープロテクションもインストールしといた」


「電子広告で見たことのある奴か。確か自分を中心に大きなバリアを張るんだよね?」


「その通り! 不人気なインプラントの代表格だがね。このネオン街が煌めくサイバーパンクの世界では自分が恋しい奴が多いのさ。命を張ってまで他人を助けようとするヒーローなんていないも当然なのさ」


 ウンファは白い歯を見せ、ニヒッといたずらっ子のような笑顔を見せる。


「リアンにはいろいろ、世話になったし、安いおまけで悪いけど」


「その心遣いだけでも嬉しいよ。この世界じゃ不人気でも、他の世界では役立つものに化けることも考えられる」


「その可能性があったね、別世界で役立つ可能性があるなら、嬉しい限りだね」


 ウンファとの雑談をしながら、各部位が正常に稼働することを確認を終えたリアンは、近くの棚に置かれた服に手を伸ばす。


「インプラントも良好。やっぱり、ウンファは信頼できるドクターだ」


「だから、異世界とやらの存在について、あたしに話したのかい?」


「当然。信頼しているからこそ、話したんだ」


「信頼が命の仕事に、その言葉はありがたいねぇ〜」


 相当嬉しかったのか、ウンファは大声で笑う。


「大丈夫だと思うが、短時間でインプラントを多様しないように。同時に併用するのも危険だよ」


 笑顔を絶やさない彼女であるが、その目は真剣そのものだった。


 着替え終えたリアンは、同じく真剣な眼差しで力強く頷く。


「これから先、どんな世界で、どんな障害が行く手を阻むかわからない。多少のリスクは覚悟の上だよ」


「ファンタジー的な話で言えば、魔法の取得とか技術とかの取得には時間がかかりそうなイメージだからねぇ〜。この世界に来て正解だよ、リアン」


 ドクター・ウンファはタブレットを持って椅子から立ち上がり、リアンに請求書を提示した。


 


 

 リアンを中心に展開されたドーム状のバリアが、サンドワームのレーザーを防ぐ。


 バリアに直撃したレーザーはジリリリリッ! と音を立てながらテリトリープロテクションの形に沿うようにして、火花を散らす。


「不人気なインプラントでも、役に立ったよ。ありがとう、ドクター・ウンファ」


 過去のことを思い出したリアンは、物思いに耽るかのように感謝の言葉を小声で呟く。


「リアン! スフィーをどこかで休ませたい! ここから移動する方法はねぇか!」


 マオの緊迫した声がバリア内に響き渡り、振り返る。


 スフィアを抱き抱えるマオの体は、小刻みに震えていた。


 いつも強気で大人びた姿の彼女は、年相応の少女に見えた。


 その姿を目にしたリアンは、急いでマオの元へと駆け寄る。


「大丈夫だ! 打開策はある!」


 震える少女の背中を、優しく摩る。


 リアンがひと呼吸する。


 乱れた鼓動が安定する。


 そして、呼称する。


「――スピードライズ!」


 背中のインプラントが緑の光を発したと瞬間、リアンを除く世界の動きがほぼ止まった。


 レーザー、マオの震え、砂埃や雨水に至るまで、全ての現状がほぼ静止した。


「俺だけが普段通りに動ける時間。世界の動きを100万分の1にするインプラントか。別世界の言葉を借りるなら、チートだな」


 マオとスフィーを両肩に抱える。

 

 向かうべき方角を確かめると、テリトリープロテクションから抜け出し、走り出した。


「スピードライズの持続時間は1分。それまでに、マオとクイーンガードを白銀の騎士団に引き渡す」


 制約の1分。


 スピードライズはまさしくチート。


 能力は素晴らしいものだが、体に大きな負担がかかるインプラントである。


 どんなに屈強な男でも、1分以上使用すれば、インプラントによる神経障害、やがて人格破壊が始まる。


 リアンも例外ではない。


 1分以内にライピスを預けた仲間たちが集まる場所へ移動する必要がある。


「普通に走っただけじゃ、1分以内に辿り着けない。足のインプラントも使うか」


 リアンは足に力を込める。


 両足に刻まれたインプラントの切れ目から緑の光が漏れ出る。


「――レッグバースト!」


 低い声で唸ったと同時に地面を力強く蹴る。


 足に施されたインプラントが発動し、地を蹴るごとに体が地面スレスレで浮く。


 結果、歩幅が大きく向上し、走るスピードが上がる。


「インプラントの出力を限界まで上げる!」


 レッグバーストの出力をさらに向上させ、移動速度をさらに速める。


「数十年の時を経て、親友に戻った2人を死なせてたまるか!」


 スピードライズ、レッグバーストと2つのインプラントを併用して敵の目を欺き、スピードを上げる。


(もっと速く! もっと速く! 少しでも速く、2人を安全な場所で手当てしないと!)


 魔族2人の傷は深い。


 外傷こそ少ないものの、魔力の使いすぎによる、疲弊がひどいものだった。


 特に、スフィアの疲弊はひどく、魔力に関して無知なリアンでも、その疲弊具合は一目瞭然だった。


 このまま放っておけば、彼女は精神から壊れてしまうだろう。


 ありとあらゆる可能性が脳裏をよぎるたび、焦燥感が襲う。


 鼓動は早まり、思考は縦横無尽に巡る。


 焦燥感と助けなければという感情が、無意識にインプラントの出力を増幅させる。


 インプラントを併用し、さらには出力を最大限まで上げて使用したとなれば、何が起きるか。

 

「ぐっ!?」


 インプラントの多様による、神経障害である。


 脂汗を滲ませ、リアンは膝をつく。


 呼吸が乱れ、視界が歪む。


 全身に電気が走ったかのように痺れ、動けなくなる。


 このまま使用し続ければ、人格破壊へと進むであろう兆候だった。


「こんなもん、2人の苦労に比べれば!」


 それでもリアンは、気合いで立ち上がる。


 神経障害が起きると分かっていないがらも、インプラントを使用を止めず、足を動かす。


 結果、走ると10分以上はかかる距離を、リアンは1分以内の移動に成功。


 ライピスを預けている白銀の騎士団たちの元へ辿り着いた。


 皆がいる前で、スピードライズを解除する。


 突如、目の前に現れたリアンと、他2人の姿に皆が驚愕した。

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