第1章 惑星ニムン
第4話 【リアン・マティアス】という男
リアン・マティアスはとある世界の惑星にある、とある町で生まれた元気な赤ん坊だった。両親の仲もよく円満で平凡な家庭に生まれた、いたって普通の赤ん坊だ。
よく笑い、よく泣き、よく食べる、活発な赤ん坊。
両親に愛でられ、親戚や近所の大人たちからも可愛がられたどこにでもいる赤ん坊のはずだった。
しかし、リアンの目は両親や他の大人たちを見ていなかった。見ていたのは次元の向こう側、異世界を見ていた。
正確には自分の住んでいる以外の世界を覗き見ることができたのだ。
自分が住んでいる世界とは違う世界の住人。同じ人間でありながら、服装や髪型、目つきや耳の形などすべてが異なっていた。
それが物珍しくて、仕方がなかったのだ。
「ここの世界の人たちは、こんな生活をしてるんだ! 面白いなぁ」
心も体も成長し物心つく頃には、異世界の住人を覗き見て、それを絵にすることがひとつの楽しみと言えるものとなっていた。
この頃にはアバウトに見たい世界を念じることで意図的に異世界を覗けるようになっており、力をある程度コントロールできるようになっていたのだ。
「あら、リアン、またお絵描き?」
「う、うん、ママ! 僕いろんな絵を描くのが好きなんだ!」
「あらそう。あなたの描く絵は創造力豊かで、何かの才能があるかもしれないわね」
リアンのお絵描きの中には彼の世界に存在しえないものばかりであった。一言でいえば空想上の物。
それを見た両親は、驚くこともなく『創造力豊かな我が子』として受け入れていた。
(パパとママが僕を創造力豊かだと捉えてくれて助かってる。異世界を見る力があるだなんて知られたら、絶対に気持ち悪がられるし、それ以前に理解されない)
物心ついた頃、同時に思ったのは自分の持つこの異世界を覗き見る力は異端なものであるということ。同年代の子供と触れるにつれて、これは自分にしかない特別な力なのだと知ったのだ。
この能力は誰にも話さず、自分ひとりの楽しみのひとつとして抱えていくことにした。
そして月日が流れ、リアンは18歳になったころ彼の身に小さな事件が起きる。
いつものように異世界を垣間見ていた際、とある事件現場を目撃しまったのだ。
「——! な、なんだこれ!」
思わず声を荒げてしまうほどの光景。
それはとある一家の、凄惨な事件現場だった。
力をコントロールできるようになったといっても、精密に見たい世界を見ることはできない。
大雑把に見ることができる程にコントロールできるようになっているというだけで、覗いた世界が治安の悪い世界だったり、喧嘩に明け暮れるような暴力的な世界だったり思いもよらない過失で見たくないものを見てしまうことが多々あるのだ。
今回、彼が事故的に見てしまったのは丸太で組まれたログハウスの中で起きた事件であった。室内は鮮血で赤一色になっており、遺体が三体。どれも上半身と下半身の真っ二つに斬られている。
そして、悲惨な現場にひとりの人物が立っていた。全身黒いフードで覆われ、手には三人を斬ったであろう鮮血が付着した刀が握られている。体躯からして男だろう。
「や、やばい……、早く閉じないとっ!」
見てはいけないものを見たような気がする。そう思ったリアンは、顔面蒼白のまま異世界の目を閉じようとした。
その瞬間だった。
刀を持った人物が振り向き、ピエロのような仮面を被った顔を見せたのだ。
そしてその男はゆっくりと視線を斜め上に上げ、リアンと視線が交差する。ピエロの奥のから覗く濁った眼は、明らかにリアンを認知しているように見えた。
「あ……あぁ……」
仮面越しからも分かる、狂気の眼差しにリアンは異世界の目を閉じることも忘れて尻餅をつき、怯えることしかできなかった。
リアンの異世界を見る能力はこちらから相手を認知することはできても、相手からはリアンを認知できないものとなっている。
つまり、裸の女性を見ようが今回のような殺人現場を目撃しようが、精神的に負担がかかること以外何ら問題ないのだ。
しかし、今回だけは違う。刀を持った殺人鬼は明らかにリアンを認知しているように見えた。
「とっ、閉じないと!」
恐怖心に支配されながらも、何とか重い腰を上げリアンは異世界を垣間見る目を閉じた。そしてそれ以降、異世界を覗き見ることを辞めた。
それから数か月後のことだった。
ある日、リアンは母親から買い物を頼まれ帰路についていた。少し遠出の買い物だったため、いつもよりも時間がかかってしまった。
「ただいま、母さん」
そして、いつものように家の扉を開けいつもの「おかえり~」という母親の迎えを待っていた。
しかし、その日はなかった。誰もいないのかと思ったが、カギは開いていた。父親も今日は仕事が休みだと言っており、家にいるはずだ。誰かしらいるはず。
帰ってきたことを知らせる声が両親の耳に届いていなかったのかと思い、買い物袋を持ったまま、いつものようにリビングへ向かう。
「ただいま、母さん」
その言葉と同時にリビングの扉を開けた途端、彼の顔は真っ青になった。
「——ッ!」
恐怖心と絶望感が一気に彼の体を支配し、冷や汗と震えが止まらない。
リビングは鮮血で染められ、壁には血が飛び散った後がついていた。
家具はすべて上下真っ二つされ、破壊されている。
そして、両親の体も上半身と下半身の真っ二つに分かれていた。
呼吸をするたびに悪臭と血生臭さが鼻の奥を付く。それがより一層、彼の中に眠る恐怖心を爆発させる。
「父さん! 母さん!」
悲惨な光景を前に声を出せたのは、リビングに入ってから一分ほど経ってからだった。
買い物袋をその場に落とし、血だまりをベチャベチャと踏み歩き鮮血にまみれながらリビングに足を踏みいれる。そして父親と母親に近づき、腹の底から必死に声をかける。
しかし返事はない。両親の目からは光が失われ、触れれば体も冷たく肌も白くなっていた。
「誰が……こんなひどいことを……」
消えゆくような声でそう発すると、力が抜けたように血だまりに尻餅をつく。
そして両親の鮮血で真っ赤に染まっている自分の両手に視線を向ける。
「父さんと母さんが名にしたって言うんだ……、俺たち家族が何したって言うんだ!」
瞳に涙を浮かべ視線を床に向けると、血だまりに向かって拳を叩きつける。
だれが何の目的で、こんな残虐なことをしたのか皆目見当もつかない。
再び両親の骸に視線を向ける。
「こんな残虐な殺し方、素人ができるものじゃない……」
泣いたことで少し冷静さを取り戻したリアンは、混乱しつつも状況を把握する。
そして、ふととある光景を思い出す。
「真っ二つに斬り殺すこの殺し方……、異世界の目で見たことがある……」
彼が思いだしたのは、数か月前、異世界を垣間見ることを辞めたきっかけとなったログハウスの惨殺現場。
「あの日に見た遺体も同じように上半身と下半身の真っ二つに斬られて殺されていた……」
そして、とある結論に至る。
「あのピエロの仮面を被ったやつがやったんだ……! 俺があの日、ログハウスの殺戮現場を見てしまったから……」
両親が殺されたのは自分が事件現場を見てしまったからだという結論にたどり着いた。
それ以外の可能性が考えられなかったのだ。
「父さん……母さん……ごめん! 俺のせいだ! 俺がこんな力を持ってしまったから!」
自分の力を悔やみ、ただ座ることしかできない。自分にはどうすることもできない。ただただ自分が無力なことに、悔しさを覚えることしかできなかった。
そのときだった。
ブワァァァアァンッ!
彼の後ろで不可思議な音が鳴った。
振り返ると、見覚えのない扉が突如現れていたのだ。
「な、なんだこれ……」
血だまりに着いた腰を上げると扉の周りを一周する。
部屋らしきものはなく、扉が一枚立っているだけである。
「ドアの向こう側には何が……」
好奇心に逆らえず、試しにドアノブを握り扉を開く。するとそこには一帯を照らす太陽と草原が広がっていた。同時に、心地の良い温かい風とかさかさという葉の擦れる気持ちのいい音が彼の心を癒す。
そして、草原の奥では異世界の目で見たことがある謎の生物。
「この扉……俺が見たことのある異世界に繋がっているんだ!」
扉の中に顔を入れて周りを見回してみる。
草原のさらに遠くに街らしきものが見える。その街はとても大きく、白く巨大な外壁で守られているのが見える。
「きっとあの街は、異世界の目で見た王都だ」
扉の向こうは、異世界だと確信したリアンは家にある武器になるものをかき集め、旅行に使う大きめのリュックに必要なものを詰め込んだ。
「ピエロの仮面の男も異世界の人間だ。きっと、何かの力を使って俺の世界に来てあの日の目撃者である俺を殺そうとしたんだ。そして俺の家に現れたやつは、両親と鉢合わせて殺した……」
憶測の域を出ないが、辻褄は合う。
彼は再び扉の前に立つ。
「両親の仇は自分で打つ。父さんと母さんを殺したピエロ野郎を俺は許さない!」
怒気を含む声で自分を鼓舞すると、草原に繋がる扉の中へ足を踏み入れる。
「絶対にピエロの殺人鬼に報いを受けさせる!」
リアンはそう言い、扉の中へ足を踏み入れ新たな世界へと旅立とうとする。
「父さん、母さん……。絶対に仇はとるから……。安らかに眠ってね……」
ドアノブに手をかけ扉を閉める。するとそこにあったはずの扉は跡形もなく消え去り、父親と母親の骸だけが転がっていた。
そして彼は、異世界トラベラーとしてピエロの殺人鬼を探し出すため旅を始めるのだった。
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