32 短歌への応援コメント
懸命に打ち込んでいる姿は、ときに清々しく美しいものです。
僕は、受験勉強が実社会に役立たないとは全く思っていなくて。知識は、須く道具。打ち込んだ経験値は、力。何処で何をどのように、どのタイミングで使うのか。ばしっと決まったときはまさに魔法みたい。しかもこれが連鎖していく!
学生の皆さん、これから開かれる人生は楽しいぜっ!とお伝えしたいですよね!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
受験勉強で得たものが役に立たないというのは一部の人には適用できても、たいていの人には、仰る通り、有用だと思います。なにより、何かに打ち込む姿勢が尊いですよね。
がんばる学生の方々には、努力の先に待つ果実を楽しんでほしいと思います。
31 俳句(冬)への応援コメント
あーっ、朝から反省です…っ
足つるりよそ見誡む
寒い日でもスカートで頑張っている女の子の足に視線が吸い込まれちゃっていけないいけないごめんなさい、という歌かなと思った呪文堂は色々誡める必要を感じましたっ
夜に乗る電車、その車窓から夜の町を眺めるのが昔から好きでして。一つ一つの灯に物語があって、今日という日を終えようとしている。流れていくけど確かにあって。想像は膨らんでいきますね。
今朝も誡めを頂戴しましたっ!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
寒い日でもスカートで頑張る、、その気持ちがかわいいですね。そんな健気な姿に視線が吸いこまれてしまうのもわからなくも・・・まあでもここは誡められておきましょう(^^)
車窓からの眺めにいろいろ想像が膨らむ、こんなところから詩が生まれるような気がします。
30 自由詩への応援コメント
疲れたり困ったことがあったりすると、こちらにお伺いしたくなってしまう呪文堂です。今日も学びを頂戴しました。
『なにを書かないか』
これ!これなんですよ!どうやら、これが全然解っていない!全然!!なにやら浮かんだものを文字に当て嵌めちゃうと逃げちゃう。思い出そうとした瞬間に消え去る夢のように。かといって、おどおどしながらふんわり持ち上げようとすると、まるで掬えない。舌っ足らずで表せない。
いやあ、書くって凄いことですね。桜を見ても能天気には笑えずに、溜息つきながら歩くのは学生時代以来でしょうか。
でもまた。悩める幸せを得たともいえる!
勉強させて頂きますっ!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
すこしでも疲れの癒やしになったのであれば幸いです。むしろ悩みを増やしてしまったかもしれませんが、、それもまた人生と文章修行の醍醐味ですよね。
なにを書かないか、本当に難しいですね。繊細に、でも勇気をもって大胆に削り、ぽんと置くように書く。難しいからこそ面白くて、やめられないのかもしれません。悩める修行です。
修行する者は幸いである、、って託宣はなかったかもしれませんが、こういうことかなと思います。
編集済
29 短歌への応援コメント
思ったことがすぐ顔と口から出るらしい、だだ漏れの私には鋭利に光る仮面に憧れすら感じちゃいますっ
短歌と俳句との違い、そうなのですね!勉強になります!
短歌を学ぶことで、いままで無頓着だった自らの喜怒哀楽としっかり向き合うことが出来るかもしれません!…非常に苦手分野なのですが。
夕日みて 湧きし心地の 訳を問う
置き去りにせし 我に逢うゆえ
やっぱし、難しいですっ
作者からの返信
応援ありがとうございます!
あくまで個人的な意見ですが、、短歌の方が感情が出せるような気がします。あんまりくどくなく、それでいて素直に。
でも思ったことをそのまますっと顔に出せる呪文堂さんには、短歌の助けはいらないかもしれませんね。これはひとつの才能だなと思いました!
28 俳句(冬)への応援コメント
音に知る外界の大雪。音に描く月下の雪原。いいですねえ!
白楽天の復見窻戸明も、物語の流れとしてはいいのですが、久里琳様の「全てを音のみで構成させた世界」が素敵!雪は音を吸い込むのでしょうか、静かです。そこにがさりと響く枝折れの聲。静のなかに響く動がさらなる静を喚起させますね。
ああ、朝からお腹いっぱいっ!
ありがとうございましたっ!!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
音で目に浮かべる夜の雪景色。音だけで描く趣に共感いただいて、うれしいです。
静と動の対照を思い浮かべてくださったんですね。詩って、読む側の受け取り方次第でいくらでも変わるので、良質な読者を得られるのは幸せです。
ありがとうございました!
27 漢詩への応援コメント
すっげえっ!と思わず呟いてしまいましたよ!松竹梅ときて歳寒在友亦為樂と結ぶ。そもそも漢詩を作ること自体が無茶苦茶ハードなのに、この美しくて爽やかな情景たるや!本当に参っちゃいましたっ!
僕は年末年始の祭礼が特に好きでして。一年で最も過酷なこの時期を、心機一転祝って暮らそうという人々の知恵。それを支えるのが松竹梅であり歳寒三友。素敵ですよね。
カクヨミで久里 琳様にお会いすることができたこと。この幸運に改めて震えちゃいました!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
過分なお褒めのお言葉、光栄です。漢詩はたしかにハードル高いですよね。でもつくってみると面白かったりもするので、いずれまたチャレンジいただければと思います。
極寒のなかでも何か楽しみを見つけてくるのが人間の偉さですよね。年末年始の祭礼、たしかに心に訴えるものがあります。
私も呪文堂さんの作品に刺激を受けています。これからも、よろしくお願いします!
25 俳句(冬)への応援コメント
ときに脳が滋養を求め、知の集積たるこちらにお伺いしたくなるもので。時偶しか現れぬ痴れ者でごめんなさいっ
木枯しに落葉さはぐや急ぎ足
いいですね〜地に足ついた大人の句です!街のざわめきまでが聞こえてきそうです。僕なんかだと、木枯らしと聞けばついつい遊び心が舞い上がってしまいまして。
木枯らしや吹き上げみせよ白き足
…ごめんなさいっ 何かが湧いている脳には滋養もへったくれもございませんでっ
作者からの返信
応援ありがとうございます!
時折訪れのある便りもまた愉しいです。訪れとは音擦れでもありますね。落葉のかさかさいう音なんかがまさに。
いたずらな木枯らしが垣間見せる白い足、、それもまた風情かも。
むかし雪の東北を旅したときに、女子高生たちが短いスカートから白い足を出しているのを見て、寒さよりも美への執念が勝つのかと感心したのを思い出しました。男も女も、妄執から無縁ではいられませんね。
追録1 漢詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
当面の最後の最後の漢詩となりました。この詩はフライングで、掲載されてすぐに旅先の雪国で読ませていただいておりました。窓のそとに広がる白い世界にこの漢詩がぴったりで、新年をよりいっそう清々しくしてくれた記憶があります。
もうひと月以上も前のことになるのですね、なんと時の流れのはやいことでしょう。
これからも、学びつつ、新たな試みを楽しみつつ、久里 琳さまが素敵な作品を生み出されるのを楽しみにさせていただきます。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
旅先の雪国で! 素敵ですね。この詩が旅と雪景色に花を添えることができたのならば幸いです。
本当に、時が経つのははやいですね。ほぼ毎日のようにコメントをいただいて、なにを感じられたか伺うのが楽しみでした。
そして、素晴らしいレビューを寄せていただいて、ありがとうございました!
これを励みに、またあたらしいものを生み出していけるよう、頑張りたいと思います。佐藤さんの連載されている第三部の展開も楽しみにしています。
(ひとまず)完結のご挨拶への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
あああ、終わってしまいました。
詩に疎く、もっと意識的に読むべきだ、学ぶべきだと思いつつも、何をどうしたらよいか分からなかった自分にとって、久里 琳さまの『詩・歌・句の欠片』はうってつけの教材でした。平日は毎日(時々さぼりましたが)楽しく拝読し、新たな発見をもらい、少しだけ読むことの楽しさが分かってきた気がします。
またいずれ久里 琳さまの詩・歌・句を楽しめる機会がありますように!
いまさらながらですが、ひとまずの完結おめでとうございました。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
佐藤さんが詩に疎いとは思いませんが、詩人・歌人・俳人(玄人/素人にかかわらず)を自認する方々の理解の深さには私も及ばないなあと思っています。
とはいえ「詩を読み詩を愛する者はみな詩人である」との三好達治の言葉に勇気を得て、詩を楽しもうと取り組んできました。その一端を共有できたのであれば幸いです。
ここまでおつきあいいただき、毎回コメントをいただいて、ありがとうございました! コメントにはあらたに気づかされることがたくさんあり、刺激になりました。
59 俳句(夏)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
ああ、朝顔も秋の季語でしたか。七夕もそうですもんね(下記にご指摘ありましたね)。それでも、今や新暦八月にもやっぱり初秋のイメージはなく、いわゆる「秋」のイメージとのギャップに戸惑います。
「かけてく」は「こえをかける」と「駆ける」の掛詞でしょうか。近景に朝顔の花がいくつかぽんぽんと咲く鉢、遠景に麦わら帽子をかぶって楽しそうに大騒ぎしながら走っていく数人の子供たち、ついでに最近景にそれを微笑ましく見つめるお母さんが見えるようでした。
……あ、ここでなぜ「お母さん」なんだろう、「お父さん」でもいいはずなのに……。こういうふとしたイマジネーションって、実体験に大きく縛られるものなのだなあと実感した瞬間でした。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
旧暦の秋は、新暦に直すとだいたい8月から10月頃なので、1か月ほど早いんですよね。子供たちなら夏休みまっさかり。どうしてもギャップを感じてしまいますよね。
「声をかける」は考えていませんでしたが、、言われてみれば、たしかに! にぎやかな声が聞こえてきそうですね。情景がより色づきました。
私もお父さんよりはお母さんを思い浮かべます。「父なるもの」と「母なるもの」はそれぞれ別物でもとより優劣をつけるものではありませんが、より深い情を感じるのが「母」であることは、大部分の人に共通の感情であるように思いますね。
58 長歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
長歌はもう本当に物語ですね。「まんが日本昔ばなし」の世界を思い浮かべつつ読みました。講談や啖呵売も、七五調の繰り返しがたびたび現れ、ストーリーがよどみなく進んでいきますね。耳障りが良すぎて、つい聞き流してしまうのが難かもしれません。そうさせないために、ところどころ調子を崩したり、あるいは語を繰り返したりしてアクセントを付けたりというのもあるかもしれませんね。
反歌の美しさも堪能させてもらいました。長歌の躍動感と比べ、反歌は静を感じさせます。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
日本昔ばなし、なつかしいですね。内容だけでなく、七五調にも昔ばなしを想い起こさせるものがあるのかもしれません。
七五調は入りこみやすいけど耳障りが良すぎる、というのも、たしかにありそうです。音の響きだけで満足して、意味を深く掘り下げないなんてことも。どこか引っかかるところをわざと作るのはいいかもしれませんね。
反歌は鎮魂歌のつもりで歌いました。そこに静を感じていただいたんですね。
57 今様への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
うほっ、今様! いいですねえ、高校生のころ、梁塵秘抄を歌い狂うなんていいなあと思っていましたが、それよりはるか昔から、今様はすでに記録があったのですね。「ちょっとラップに通じる」、まさにその通りだと感じました。
御作を音読して、ラップだよ、これ!との思いを新たにしました。踏韻が心地よく、リズム感に富み、ちょっとばかり斜に構えた言葉、粋がって口ずさむのにぴったりですね。
北原白秋の「ことりのひな」や「初恋」も、五・七の繰り返しで、すうっと頭に入り、いつまでも残りますね。五・七のリズム、おそるべしです。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
高校生のころから梁塵秘抄に目をつけられていたとは、すごいですね。歌い狂う! お高く止まらない今様には似つかわしいかも。
ラップ認定、ありがとうございます(^^) 斜に構えた言葉をリズムに乗って口ずさむ、昔も今も、こんなのが痛快ってところはありますよね。そして昔も「今風」と呼ばれていたあたりに、いつの時代も変わらず世代間や伝統/革新の確執はあるんだなあ、と。。
北原白秋の詩は親しみやすくて好きです。五・七もその理由かもしれませんね。本当に、五・七のリズムはおそるべし!です(^^)
56 仏足石歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
仏足石歌?! 初めて聞きました。面白い、と、何度も口ずさんでみました。
「短歌のあとに、おまけで七音を足してできたのが、このリズムなのかな」ふむふむ、とそのつもりで読んでいたのですが、どうも、そう取れないのです。三句目が体言止め(歌でもこういってよいのでしょうか?)だからでしょうか、そこで切れる感がとても強くて、三句、三句で対になっているように感じられるのでした。あるいは、五七五、七、七七で、序破急のような。
歌の世界観がとても不思議で、引き込まれます。人気のない静かな水辺を歩いていると、突然小さなささやき声がして、次の瞬間水音がして、すべてが消える。すべてって? 水辺を歩いていた「彼」を含め? もうこの世にいない「彼女」(あるいは「子供」か?)ともども、水底へと消えてしまったの?
魅入られそうです。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
見た目も三句目で切れてちょうどふたつに分かれるように見えますね。切れ目をどこにするかで響きや印象も変わるので、歌はいろいろ工夫や楽しみ方がまだまだありそうです。
この歌は、民話的ファンタジーとホラーの境目ぐらいでしょうか。
ささやき声、不吉な水音、そして静寂。。だれもかれも消えてしまって、目撃者さえいなくなって、もしかしたら世界そのものさえなくなって、、そんな情景を想像いただければ、この歌は成功といえそうです。
55 旋頭歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
旋頭歌を口ずさんでみると、開いている感じがします。外に向かい、収束しない、おおらかさ、ですね。久里 琳さまのおっしゃるように「掛け合い」に適した形なんだろうな、と強く感じます。即興で、こんな掛け合いができたら、にやりとほくそえんでしまいそうです。反面、ひとり心の内を込めるには、ちょっと向かない形なのかもしれないなと思いました。
韻を踏み、視点をちょっと展開させ、ぴたりとはまった対句になると、読んでいて気持ち良いですね。渓あいを静かにのそりと歩む熊。旋頭歌の牧歌的な雰囲気に合う光景だなあと思います。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
開いている感じ、言われてみればそうですね。完結へ向かわず、外を目指すような。即興で掛け合いができたら、楽しみも広がりそうですね。その分ひとりで研ぎ澄ますには向かなさそう、というのもそうだと思いました。
歌に合った愉しみ方があるんだと思います。のそりと歩む熊の姿には合っているようで、安心しました!
54 自由詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
話が脱線しますが(最初から(笑))……
「魚を孕む夢を見て泣いたひとは、おそらく妊娠したことも、流産したことも一度もないんじゃないかなと想像します」
物を書きを始めると、経験を書くことと、想像を書くことのあいだにどれほどギャップがあるかが気になってきました。異なる性別、異なる趣味、異なる職業、異なる指向、異なる年代。
それまでは小説を読んでは「この男性作家さんはちっとも女のことをわかってないな」とか「この作家さんはこの職業は未体験だな」とのんきにあら探しをしていたのですが、はて、それぞれの本質とはなんぞや、ということを最近考えます。
「魚を孕む夢を見て泣いたひと」は物書きでもなんでもないですが、ある物事に対するイメージの範囲は経験者と未経験者とで有意に異なるのだろうと思うと、つい考えざるを得ませんでした。
詩にもどり、九匹の魚を流産した夢は、胎児の写真からの連想かもしれませんね。実際に妊娠すれば、原色の生々しい現実がモノクロの胎児の写真なんて簡単に押し流してしまい、もはや魚を妊娠することもなくなるのかな、と感じたのでした。
「少女から女へと罪深く変容」することとは、いったいどういうことなのでしょうね。「少女」にのみ与えられた宿命なのか、「少年」にもありうるものなのか。「少女」は無垢で「女」は罪深いのはなぜなのか。……当然ひとことで語れることではありませんが、この感覚をテーマにして、またいくらでも物語が生まれてきそうです。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
未知なるものは想像を働かせて書くことになるので(ある程度リサーチはするにしても)、すべてのフィクションは幾分かファンタジーである宿命を免れませんね。
どんな大作家の造形にもその片鱗は見え隠れしますし、なかには妄想が結実したような女性/男性像も・・・。とはいえそんなファンタジーな人物が永遠の輝きを発することもあるので、結局はいかに魅力的な嘘を創造するかが作家の手腕なのかも、と思ったり。(あんまり薄っぺらい妄想には萎えてしまうのが正直なところですが)
少女と少年の差異はどこにあるのか、、色んな角度からものが言えそうですが、この文脈でいうと、少女は体を作り替えて女に変容するのに対して少年は男になるのに劇的な変化を伴わないところかな、と思います。その際女は血と親しむようになるけど男はいつまでも血に慣れず怖れる。。こんな感覚がどこまで共感を得るのか、それこそ想像するしかないんですけどね(^^)
53 短歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
久里 琳さまがひらがなでお書きになっているときには、そこにいくつもの言葉が込められているのでは?! と勘ぐって少し考えてみましたがギブアップ。答えは……能の「翁」でしたか。能は未踏のフィールド、これはわかりませんでした。
「とうとうたらり、たらりらたらり」「たらりたらりや、たらりあがりら」
口ずさみたくなるような、のどかな響き。私はあまり不穏さを感じませんでした。なるようにしかならんのやでえ、あはは、と貼りついた笑顔の翁の面に笑い飛ばされている気がして。この響きだけで伝えたいことを表しきっているような気がします。
個人的には「風騒ぐ」の歌が好きです。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
謎のダイイングメッセージ(死んでませんが)を解読しようとしていただいたんですね。推理小説だったら探偵をミスリードさせてしまいそうな意外な真相、、失礼しました(^^)
この言葉に翁の笑顔を読むのもまた感性ですね。どうも私は能の謡を聞いていると胸騒ぎがしてしまいがちで、それがここにも表れてしまっているのかもしれません。
「風騒ぐ」の歌には、そんな不安を吹きとばして上を向こうという意思が表れているような気がします。
52 俳句(夏)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
「やればできる」、大切じゃないですか(笑)。というか、『アドベントカレンダー症候群』はしっかりストレートな恋物語だったような気がするので、久里 琳さまの恋の素養はばっちりなのではないかと……
それはさておき、現実的なおばちゃんは非常につまんない解釈をしまして……
夜半に、「アイス食べたいなあ、チョコたっぷりのこってりしたやつ、おいしいだろうなあ」、我慢できずコンビニに走り、星空を眺めつつ、一口、二口、「最高!」……ところが、三口、四口食べるころには「やば、今、何時? これ何キロカロリー?」思わず食べるスピードが落ち、アイスはぽた、ぽた、輝いていたアイスの魔法も解けにけり、です。
いや、実際は食べたかったら後悔なしで食べるんですけどね。
次の恋の歌も期待しています!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
『アドベントカレンダー症候群』も、恋の歌を詠んだおかげかもしれませんね。これからも恋する気持ちをがんばって書いていきたいと思います(^^)
夜のアイスとはまた罪深いですね。罪を自覚したとたんに解ける魔法! といえばロマンチックですが、、実はアイスは溶けても魔法は解けない・・・という現実もいとおかし(^^)
51 漢詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
たしかに、恋の歌とはおめずらしいですね。しかも、「秀色当可餐」って、思いっきりストレートな表現で、これまた久里 琳さまの詩歌ではなかなか見ないタイプの表現です。
「こんなまっすぐな恋ができるのは、十代・二十代の特権のような気がします」
たぶん、こんなまっすぐに恋を表現できるのは、ということなんじゃないかと。おそらく、いくつになっても、同じように突然恋に落ちることはあるんじゃないかと思います(推測……)が、きっと、それまでに重ねてきた人生が、その気持ちを素直に意識すること、表現することを躊躇わせてしまうんじゃないかなあ、と(推測……)。
瑞々しさ、いただきました。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
瑞々しさ、受け取っていただいて、うれしいです(^^)
現実に人を前にして、「食べちゃいたい」はぜったい言えないですね(^^) 言えたとしても、言った瞬間に蒸発してしまいそう。
「まっすぐ表現できるのは」と言い換えるとすっきりしますね。いくつになっても恋には落ちる、でも理性がそれを発露させない。たしかに恋に落ちるたび素直に行動していたら、世の中不倫やセクハラだらけになってしまいそう。。はた迷惑な行動に移さないなら、いくつになっても恋はいいものかもしれませんね(推測)。
50 短歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
ひいい、この歌を読むだけで、足の裏がぞわわっとしてきます。落ちてもいい、は自分の中の誘いの声であり、海から聞こえてくる誰かの囁きでもあり。ぞぞぞ。
死にいざなわれる、それにはいろんな状況があるでしょうが、とくにわけもなく、ふらりと魅入られそうになることって、ありますね。死は生者にとって永遠に未体験のできごとです。「死」というイメージにまつわる「麻痺に似た甘い快感」をたとえ感じることがなくても、単に未体験のできごとへの好奇心で、一歩踏み出してしまう人もいるかもしれません。
よ、夜のドライブで海に行って岸下の荒波を見るのは危険です……それこそ、何のためらいもなく一歩前へ出てしまいかねませんよ。ぜったい一人で行くのは止めましょうね(笑)
作者からの返信
応援ありがとうございます!
足の裏がぞわわっとする感覚、まさにそんな瞬間でした。あの声はどこから聞こえてきたのか、、、追体験していただいて、うれしいです。わけもなくふらりと魅入られて、、というのも誰かの囁きなのかも。。
死は未知で、恐ろしいと同時に魅惑するものでもありますよね。でも決してその誘惑に従わないように。。一人で夜のドライブ…まではよくても、海の荒波をのぞきこむのはダメ、絶対!ですね(^^)
49 俳句(夏)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
これはまたすがすがしい一句ですね。澗という漢字を初めて見ました。登山でふと清流のせせらぎを耳にし、透きとおった水を目にすると、涼を感じるだけでなく、「しんどい~、苦しい~」の脳内ぼやきも、一瞬だけ、流し去ってもらえそうです。
十七文字に「や、かな、けり」を効果的に織り込むのは、難しそうですね。すべての言葉を吟味しつくしたうえでの妙なのでしょうね。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
初夏の山登りは、心が晴れ晴れします。暑くて汗だくになるのが難点ですが、、そんなとき清流を目にするとすうっと涼しくなって、ぼやきもきれいに洗われていく、というのがぴったりですね。
切れ字を単に入れるのはできても、「効果的に」織り込むというのが難しいですね。今もまだ掴めていません。。。
48 自由詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
「「わたし」から「きみ」へのラブレターのようなものなのかもしれません」
そうだったのですね?! 一度目はその意識がなく、「きみ」と「わたし」の距離感を考えずに読んでいたので、このご解説に新鮮な驚きを感じました。
ご解説を読んでから再読すると、「きみ」が誰か(あるいは何か)を想い、そんな「きみ」を「わたし」は黙って遠くから見守る、そんなイメージがわいてきました。
一読めから印象的だったのは、「血が夜を染める。罪を洗うように」です。「血」は「汚す」ものではなく、「浄める」ものなのですね。この感覚はまったくなかったので、とても興味深いです。
罪を洗い流す「きみ」の血が尽きたときに夜が明け、罪深き夜はようやく終わりを告げる。でも明るい光のもとでは言葉はその深い意味を失い、かたちばかりのものとなり、「きみ」の想いもまた置き去りにされていく、そんな受け取り方をしてみました。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
「ラブレター」というのはすこし突飛だったかもしれませんね。ここでは恋とは限らないのだと思います。わたしはきみを想っているよというメッセージ……友情や、広い意味の愛情を込めた。でもたしかに、「きみ」の視線は「わたし」へは向かず、別の誰かや何かに気をとられているんでしょうね。。
血で罪を洗うのは、自然と出てきたのですが、言われてみればちょっと不思議な感覚かもしれませんね。透明無垢な水では洗い流せず、血でしか洗えないような罪があるような気がします。
夜が終わりを告げたとき、想いは置き去りにされる、、うつくしい情景を連想いただいて、うれしいです。
47 短歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
「迷子は世界とのファーストコンタクト」、この感性、良いですね! たしかにうなずけます。迷子になった記憶は一度だけなのですが、冷静に考えればわかるようなことが一切考えられず、周囲はまるで知らない世界に変じていました。
「あの」にこめられた意図もまたをかし、です。たった一音「こ」が「あ」に替わるだけで、歌の奥行きがぱあっと広がったように感じます。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
迷子は世界とのファーストコンタクト、、共感いただいて、うれしいです。
思考も感情も乱れて、周囲はまるで知らない世界。人にとっての世界の本質は、「他」であることなのかもしれませんね。
一音の違いになにを感じるか。言葉になにを込めるかと同様に、言葉からなにを受け取るかも、センスなんだと思います。
46 俳句(春)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
たしかに、トンビと聞いて最初に思い出すのは、「ピーヒョロロ」と天から降って来る気の抜けるような鳴き声です。あの声のせいか、のどかな光景想起に直結する鳥ですね。五月の薫風とともに青空からトンビの声が聞こえてくる、そんなイメージがわきました。
春がたけ、木々の緑も濃くなるイメージと、松葉の濃い緑のイメージが呼応します。でもその松は、残り松。松も、地域によっては松枯れ虫の影響で、枯れては切り倒されています。かたや、東海道沿いには昔からの大樹が林となって残されていたりします。「残り松」で何をイメージするかで、確かにこの句全体の物語が変わってきそうです。
与謝蕪村の鳶鴉図、見てみました。どちらもひたすら耐え忍んでいる姿が、厳しい自然下に暮らす生き物らしさを醸し出していますね。トンビとカラスはしょっちゅう喧嘩しているイメージがあります。喧嘩というか、カラスがトンビをからかっているのかもしれません。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
トンビの声は本当にのどかな情景をつくりますよね。松葉は緑濃くなり、あたたかく晴れた空を旋回するトンビ、、平和な春が待ち遠しいです。
うちのあたりは幸い松枯れの害に遭っていないようですが、地域によっては風景が変わって寂しい想いをされているんでしょうね。楢枯れも山林の脅威になっていて、こちらも心配です。病害虫に耐えての「残り松」だとしたら、またぜんぜん違う感情が湧きそうですね。
蕪村の鳶鴉図、検索いただいたんですね。カラスとトンビだったら、、鳴き声からしてカラスの方がうわ手に見えますね!
45 漢詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
決まりごと一切無視の漢詩、そういうのもありなのですね! がちがちに決まりに縛られた誌というイメージしかなかったので、これは目からうろこです。でもそうですよね、がちがちの決まりがあれば、それを破ったものがでてくるのは当然。このでこぼこした漢詩の見た目に、頭をがっつんとやられた気分になりました。
決まりを知ったうえでの、「敢えてリズムを崩した詩」、確かにこれは楽しそう。
春の詩なのですね。漢詩の読みのほうでしか味わえないのですが、漢詩の読みって、これもまた、独自の雰囲気を持っていますよね。茫洋として卑しからずとでも言いましょうか、山の上から地上を見下ろしているような気持になります。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
決まりごとの中で言葉を磨くのも、それを敢えて破って新しい表現を創造するのも、両方とも詩の楽しさであり効用なんだと思います。でこぼこした漢詩にも、でこぼこだからこその面白さを感じていただけたのであればうれしいです。
春、それも大陸の春をイメージしました。「茫洋として卑しからず」はそんなところからも感じられたのかもしれません。漢詩の読みは本当に雰囲気がありますよね。漢文を意識しながら日本語の文章を書くと、その雰囲気の片鱗がにじみ出るような気がします。
44 短歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
「今回はかきつばたの歌を」と見た瞬間、あー、うふふとにやけました。島根県松江市ではその「かきつばた」にまた別のイメージがあります。小泉八雲の『怪談』「小豆とぎ橋」ですね。
つっかえて、たたらを踏んで……「おっとっと」と言いつつ聖地巡礼を楽しんでいる様子が見えます。古典を読んでその世界を味わうだけでなく、応用してみるというのは、また、別の素敵な楽しみ方だと感じました。
ということで、笑い話にちょっと作ってみました。
からつゆの きたのそらにも つばくらめ はてなきたびを たのしうたいて
北の空で空梅雨? と強引ですが、かきつばたの花の時期のワンシーンということでご容赦ください。
『応天の門』、面白そうですね、機会があったら読んでみます。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
「小豆とぎ橋」は知りませんでした。ぞっとするお話ですね!
対してこちらの歌はのんきな情景ですが、、こんな聖地巡礼も、まあいいか、と(^^) 古典はいろいろな引き出しがありますよね。
からつゆの歌、いいですね。雨待ち顔でかきつばたが見上げる空を、つばめが涼しげによぎって行く光景が目に浮かびました。
『応天の門』も目にされる機会がありましたら、ぜひ。
43 俳句(春)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
リズムか意味か。悩ましいですね。私はその時々で重視するものが変わりそうですが、今ならリズム優先で、なんとか意味をおさめようとしそうです。「過ぎぬまに」とかどうでしょう? ただ文法があやふやでして、この場合の「ぬ」は否定か? 完了か? わからなくなってきました ^^;
今年は梅の咲くのが早かったですね。ウグイスも間もなく鳴き始めそうです。職場近くの藪でウグイスが何羽も鳴くのですが、さえずりにはっきりとした個性があって楽しいです。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
リズムと意味と、両立を目指してきりきり悩むのも一つの道なんでしょうね。がらっと発想を変えると道が開けることも。
「過ぎぬまに」、それもいいですね。この場合は否定で通じるんじゃないでしょうか。(完了だったら「過ぎぬるま」かなあと、、でも自信ありません)
今年は春が早く来そうですね。ウグイスのさえずりを聞き分けられるとは! そういえば、鳴き声にも良し悪しがあるらしいですね。
42 自由詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
タイトルを付ける悩ましさ、わかります。うまくひねり出せたときの楽しさもあるけれど、たいてはもどかしさのほうが勝ります。考え抜いて付けるのではなく、イメージそのものの言葉が降ってきてぴたりとはまる、なんて経験はほとんどないです。ただ、タイトルありきでストーリーを考えて小説を書くということは、結構しているような気がします。
小説よりも絵画性の強い詩はタイトルの与えるインパクトもより大きく、タイトルいかんで輝く色調も変わってきますね。タイトルがないというのもまたひとつの形なのでしょう。詩を書く心の動きとタイトルを付ける心の動きはベクトルが異なっているようで、詩を解釈するときにタイトルが大きなヒントになることが多いため、読み手としてはタイトルありのほうが嬉しいですけれど。
「遠くで貨物列車の汽笛が鳴った」 「汽車」ではなく「貨物列車」であるところに趣きを感じます。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
タイトルをうまくひねり出せたときの楽しさ、出ないときのもどかしさ、両方ありますね。悩ましいからこそ楽しいのかもしれません。
タイトルありきで書きはじめる、、これもあります。タイトルだけあって、肝心のストーリーはまだ浮かんでないものも。。。
詩もタイトル次第で輝きがちがってくる、というのはその通りだと思います。だからこそ、つけるのを躊躇ってしまうのかも、と思ったり。
貨物列車に趣きを感じられるとのこと、うれしいです。古びているけど現役で、人にもてはやされることもなく黙々と走りつづける姿がいいなと思います。
41 短歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
「人を多み」、最初は「ひとをおほみ」と読みましたが、「ひとをたみ」のほうが語調はずっと良いですね。
某有名アーティストさんの超有名な曲にも、彼女の造語だと思われる語がひとつ入っています。謡も詩歌と同じく(それ以上に?)音の響きとリズムが大事になってきます。言葉の正しさとどうしても相いれない場合、響き・リズムを取ることも選択肢のひとつだと、個人的には思います。そうやってゆっくりと変化していくのも、また言葉の本質なのかもなあ、と……。
下の句、「ら」に加えて「こ」も多いですね。「くら」「こら」「から」「ごら」と繰り返されるのも気持ちよいです。「ら」と「こ
」の形からでしょうか、まるまるもこもこした感じがして楽しいです。人込みのもこもこ、子供たちのまるまる。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
「ひとをたみ」の語調にご賛同いただいて、ありがとうございます(^^)
超有名な曲の造語、どんなのだろうと想像しました。影響力ある人の作る新語は言葉を切り拓いていく力がありますよね。言葉が豊かになる方向へ変わっていくのは私は歓迎したいと思います。
響きやリズムに引っ張られる変化も、まあ、ありなんじゃないかと。
カ行とラ行は相性がいいのかもしれませんね。なかでも「こ」と「ら」はたしかに見た目も相性がよさそうですね。
40 俳句(春)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
春……花粉や黄砂に苦しめられる季節でもあり、新年度・新学期に頭を抱える時期でもあり、新人たちの初々しさにわが身の老いの意識を新たにするときでもあり、ですね。暖かくって良い香りがしておいしいものも増えて、とわくわくが増えれば増えるほど、ときにふと感じる寂しさも大きくなるような心持ちがします。
「人につかれ」とひらがなでつづられたところに、「ん? なんかあるぞ」と感じたのですが、「花摘む折り」は気づきませんでした。「衝かれ」たり「疲れ」たり「憑かれ」「突かれ」たり、いろんな動作に繋がりますが、すべては春に呑まれた「ひと」の心の動きに繋がるのですね。おもしろいです。
「就かれ」だと新人を担当した人のストレスを表す句になるのかな?「浸かれ!」だと、友達なんていらない!と言う子供にもっと人と交わりなさいと諭す感じですかね。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
春はわくわくと同時に、寂しさや緊張によるストレスも高くなる時期ですよね。わくわくに乗り切れず、むしろストレスの重くのしかかるのを感じてしまう方の気持ちにも寄り添えたらと思います。
「人につかれ」は、読む人によりいろんな解釈ができると思っていましたが、こうやって並べてみると、本当にさまざまだなあと思いました。それぞれ春のアンニュイにつながるのがおもしろいですね。
人に浸かれ!と読むとまた別の雰囲気がありますね(^^)
39 漢詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
漱石や明治時代以前の作品を読むうえで漢文の素養が重要ということは高校で先生に聞かされた言葉です。その時は正直言って「あ、無理」と思いました(笑)。
文学作品をしっかり味わうためには、その背景に気づき、理解することが不可欠だと思います。何も知らずとも感覚で味わえ、という人もおり、それも楽しみ方の一つかもしれませんが、私としは、まずは作者がそこに込めたものをできるだけ正確にもれなく感じてみたいです。
作品に加えて、解説が付記されていたり、コメント欄で質問もできるウェブ小説の形態は、その点、魅力的ですね。
「震える」という字のもつ特定のニュアンス、このような知識(本当はそれを感覚できるほど豊富な読書体験)に裏打ちされた作品の深みを味わえるようになると、楽しみがぐんと広がるでしょうね。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
たしかに、明治以前の人たちと同レベルで漢文の素養を身に着けようとしたら、無理!ってなりますよね。読んでも読んでもきりがないんじゃないかな、と。。
仰る通り、感覚的に堪能するのも楽しみの一つですが、理知的に読むのも読書の楽しみですよね。その両方を味わいたいと私は思っています。理知的な受容にウェブ小説はたしかに向いていますね。
字の持つ意味や、形・音からイメージを広げながら感じられる佐藤さんの読み方は、十全に楽しまれているなと思っています。
38 短歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
これはまた、漢字が少なくてまろやかなひらがなにあふれた、見た目からしてやわらかな歌ですね。口ずさむと、たしかに、繰り返される「は」の音が、ほっこりした雰囲気を醸し出している気がします。
通勤路にとある工場の所有する広い花壇がありまして、そこには四季折々の花が植えられるのですが、秋から冬にかけて植えられるのは菜の花。年明けごろから花をつけ始め、そろそろ食べられそうだな、今ならおいしそう、早く食べなきゃ、そろそろ厳しいかも、あああすっかり開いちゃって……と捕食者の目で愛でながら歩いています。
それを言い当てられたような気になったのでした(笑)
作者からの返信
応援ありがとうございます!
「は」の音と、見た目からもやわらかな空気を感じていただいたんですね。音と目の両方で楽しむのが詩なのかもしれませんね。
菜の花の花壇を捕食者の目で愛でる、、レアな反応のような気がします(^^) 自分だけが知る密かな愉しみ、、言い当てられるとどきっとしそうですね(^^)
37 俳句(春)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
「くずる」という音のひびき、面白いですね。適度な張りのあるものが衝突でぐしゅっと崩れる感じがして、この場合だと、トマトかほおずきが地面の上で半分つぶれるようなそんなイメージを思い浮かべました。
ご解説の「おぼろな」と「おぼれる」の押韻も面白いです。
地に沈む太陽はまだ見たことがありません。落ちていく橙色の玉がひたすら平らな地平線に触れたかと思うと、その形を崩し、低い空に朱の帯を巡らせる、そんな壮大な光景を一度見てみたいものです。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
日本語は言葉を柔軟に崩すことができて、いろんな音の表現ができるのがいいですね。そこから太陽の崩れる質感まで読みとられるとは、これが言葉を媒介にするおもしろさだなあと思いました。
おぼろな・おぼれる、のちょっとしたいたずらまで拾っていただいて、うれしいです(^^)
地に沈む太陽を、初めて見たときはふるえました。ぜひいつか、見ていただきたいと思います。
36 自由詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
「空は残酷なほどいつもどおりの青さで」という表現にはっとさせられました。大雪で町が埋まろうと、大雨で村が水没しようと、地震で都市が壊滅してしまおうと、空は素知らぬ顔で真っ青に澄み渡るんですよね。
東日本大震災の翌日、いつも踏切が開かないほど列車が行き交う駅に一本の電車も通らず、ひとりのひともおらず、ただやわらかな日差しを浴びる線路を渡ったことを思い出します。
いくつもの光景をまざまざと浮かび上がらせる力のある詩だと感じました。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
いくつもの光景を浮かび上がらせる詩とのお言葉、うれしいです。
空は下界の苦難にも素知らぬ顔で、いつもの通り真っ青に澄み渡るんですよね。当たり前のことなんですが、異常を際立たせるような気がします。
いつもはひっきりなしに通る列車がひとつも通らず、踏切で待つ人もいない。。大震災のじくじくした傷跡を感じる思い出ですね。
35 短歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
「そこらじゅう泥の散らばる」まで読んで、ど、どういうこと?! と戸惑いましたが、下の句で納得です!
霜柱! これも「昔の子、あるある」じゃないでしょうか? 九州出身ですが、冬の朝は霜柱をしばしば見かけましたよ。見かけるたびに、足でしゃくしゃく、手でさくさく、遊びながら学校に行っていましたね。あのわくわく感は何だったのでしょう(笑)
今では、冷え込む朝が減ったせいで、泥があったとしても霜柱ができにくくなっているかもしれません。たしかに、今の子は知らないかもなあ……。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
詞を読み進める最中にも想像をひろげる、、豊かな読み方をされていますね。そんな風に読んでいただけると、作り手としても幸せです。
霜柱、九州にもありますよね。実は一時期南九州に住んでいたことがあるのですが、しっかり霜柱がありました! なぜだかわくわくしますよね。今の子たちにもそんな素朴なわくわくを味わせてあげたいです。
34 俳句(冬)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
「私自身の子供の頃を思い出してみると――ちょっとやんちゃすると家の外に放り出されて、しばらく中に入れてもらえず」……ありました、ありました。私は「あーけーてー!!」と泣き叫んでいましたから、確かに今なら通報事案(笑)。
俳句のほうは「しのび泣き」なのですよね。もっとしみじみとした情緒、むしろ、この世の存在ではない何かの気配を感じます。しんしんと冷える雪の夜、温かな部屋に座っていると、どこからか子供のすすり泣く小さな声が聞こえてくる。だれだろう、近所に子供はいないはずなのに……。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
佐藤さんにもそんな幼年時代がありましたか(^^) いつ頃からかそんな光景は見なくなりましたね。
最後は背中のぞぞっと寒くなる真冬のホラーに。。。たしかに、冬の夜の子供の泣き声はちょっと不気味ですね。大声よりも、すすり泣く声の方がホラー感たっぷり。。
33 漢詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
雪山を波と例えるのにはっとさせられました。考えたことがなかったです。でも、確かに波ですね。青空を背にした雪の連峰なんて、まさに沖つ白波かもしれません。
玄冬……冬は黒(玄)なんですね。山肌に貼りつく雪のお寺を見つつスキー場に向かうというのがまた趣き深いです。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
走る車から見てるとああ波だな、と。青空を背にするとますます鮮やかですね。そんなちょっとしたおどろきが詩や物語になると、なんだか嬉しくなりますね。
冬が黒というのは中国の思想ですが、青春・朱夏あたりはいいとして、白秋・玄冬はちょっと今の感覚とは違うかもしれませんね。現代日本人なら、秋は黄色で冬は白でしょうか。
32 短歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
ああ、まさに今日・明日と大学入学共通テストでしたね。今年も、電車やバスの中で、駅で、大学の前で、この歌のような光景が繰り広げられているのでしょう。
ラストスパート、英単語を繰り返すのはもはや記憶するためではなく、運を天に任すような気持のいのり、あるいはただ気持ちを落ち着かせるためのルーチーン。苦しさと同時に解放も予感させる光景です。はるか昔の自分事も思い出します。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
すごい偶然のタイミングになりましたね(^^)
仰る通り、もはや記憶のためではなく安心のための作業なんでしょうね。祈りのようなルーチーンが心を落ち着かせるなら、そこには意味があるんだろうと思います。
今まさに受験している人たちにも解放がはやく訪れるといいですね。
30 自由詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
ああ、けだるさを言い表すのすらもうけだるい、という雰囲気の詩ですね。仔犬のただひたすら嬉しそうな様子が、きついなあと。でも仔犬の尻尾がなくなってしまったら、この生ぬるい日曜日のけだるさもバランスを失っちゃうんでしょうね。
「なにを書いて、なにを書かないか」、難しいです。自分には見えていても他人には見えていなかったり、自分はひとつまみのスパイスのつもりだったのに他人には辛すぎて吐き出すくらいになったりがしばしばです。
絵画だと、ざっと一目で概観を確認できるけれど、文章はそれができず、そのもどかしさ、心もとなさが取捨選択の難しさに拍車をかけます。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
何もかも投げ捨てて消えてしまいたいとも思うけど、コーヒーの香りや時計や仔犬の尻尾がそれを引き留めている、だからこそ煩わしい、、のかもしれませんね。
取捨選択は、ほんとうに難しいですよね。その難しいところをああでもないこうでもないと考えるのが文章の愉しみなんだとも思います。結果的に人の感覚と違ってしまうこともありますが。。
29 短歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
自分の弱さを吐き出すのに「でも文字数も形式も自由な詩で、滔々と弱音を吐き出すのはしつこいような気がして」という感覚、すこし異なるのかもしれませんが、もしかしたら同じことを別の側面から見ているのかな、下記のことを考えました。
言葉って、重ねれば重ねるほど、ひとつひとつの重みは減っていくものだと感じます。減り方は直線的ではないし、もしかすると、最初はむしろ増えるのかもしれませんが。
幾重にも重ねることで、総体としてリズムや韻という新たな魅力が生まれるにせよ、そのひとつひとつの言葉にはえぐるような鋭い効果が薄れているように感じるのです。コートの上からいっしょけんめい背中をかいてる気分?
短歌の限られた字数のなかだからこそ心情を素直に吐露してもくどすぎず、そのひとつひとつの言葉がダイレクトに伝わってくるのかなと思います。もちろん、言葉の選び方を誤れば、思ってもみない方向に読み手を導いてしまう危うさもありますけれど。
脱線気味のコメントで失礼しました。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
削って削ってシャープにすることで、言葉は鋭い力を持つのかなと思いました。仰る通り、研ぎ方を間違うとぜんぜん違う方向へ導いたり、まったくのなまくらになってしまうのかもしれませんが。
短歌や俳句の達人というのは、そのセンスがあるんでしょうね。
詩を契機にいろんなことを考えていただいていて、作り手としてはうれしいです。新たな別の視点に出会えるのも楽しいですね。
28 俳句(冬)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
音もなく降り積もる雪の深さを別の音で知る、趣きがありますね。
本歌取りみたいな感じだなと思いましたが、漢詩から歌に取り込むのは本文を取るというのですね。元となる漢詩を知っていないと新たに生み出された歌の深さも感じられないわけで、ですから漢詩を乗せてくださっているのはありがたいです。
すこしずつもとの漢詩を読み替え、新たに自分の世界を作り出すというのは、面白いですね。数人で同じ漢詩をもとに本文取りをやってみると、また楽しそうだなと思いました。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
雪そのものは無音なのに、重さで音を出してしまう、、趣を感じていただいて幸いです。
古代において「文」といえば漢学のようですね。「香炉峰の雪」でピンときた清少納言のような人がごろごろいた頃は、本文を取る歌もたくさんあったろうと思います。
その面白さは、今でも再現可能かもしれませんね!
追録1 漢詩への応援コメント
あけましておめでとうございます。更新されている!と嬉しくなりました。
「前へ進むために思いきって旧い衣を脱ぐこと」の、凛とした雰囲気が、漢詩から清らかに伝わってきました。
これからも、久里さんの素敵な言葉選びに触れられることを、とても楽しみにしております。今年もよろしくお願いいたします(*ฅ́˘ฅ̀*)
作者からの返信
あけましておめでとうございます!
お越しいただきまして、ありがとうございます。
前へ進むためには時に思い切りや潔さが必要になることもありますよね。そんな思いを感じとっていただいて、うれしいです。
すこしでも一初さんに響くものがあれば幸いです。今年もよろしくお願いいたします!
27 漢詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
なるほど、ちょうど一年前の御作なのですね。
見た瞬間(漢字の良いところは、「見た目」つまり一文字一文字の意味でまず味わえるところですね)、すがすがしくて、きりりとして、おめでたいことこの上ないなあと感じました。たぶん、清、霜、竹、月、梅、白、淡雪、寒あたりが真っ先に目に飛び込んできたからだと思います。
意味もとらえて、さらに喜ばしさが増します。「歳寒に友在り、亦た樂と為す」、しんしんと雪の降る新年、温かな部屋の中で年賀状や新年のメッセージを読む人の姿が思い浮かびます。
松・竹・梅がもともと「歳寒三友」であること、初めて知りました。どれも、枝にこんもりと白雪の積もる光景が似合いますね。
2023年の新年を寿ぐ作品に、さらに翌年のお祝いを重ねるのもなんですが、どうぞ良いお年をお迎えください。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
今またちょうど歳末ですね。歳のあらたまるのに相応しい、清くおめでたい題材を並べたのに感応いただけて、うれしいです。
新年のあいさつを贈り贈られるなかに友のある幸せをしずかに噛みしめる、、たまにはそんな日があってもいいなと思います。
松・竹・梅のトリオは日本でもすっかり定着しましたが、それだけ冬の情景として訴えるものがあるんでしょうね。仰る通り、雪が似合いますね。
まだもう少し23年も残っていますが、、佐藤さんもどうぞ良いお年をお迎えくださいませ!
26 短歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
しばらくのあいだ、おばあさまのお兄さまになられていたのですね。おばあさまにとっては、お母さまやお父さまより、お兄さまの思い出が深く刻まれていたのですね。
時を経て再び懐かしい人に会えて心から喜んでいるのに、どうしてそれを見守るこちらは喜びの気持ちだけを感じていられないんだろうな、と寂しくなることがありました。親親戚ではなく、数年前に亡くなった恩師ですが。
素直に、今あるその人を慈しんで接することができるようになりたいものです。
考えさせられる一首でした。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
年老いて恍惚郷に入るのは、周囲は哀れに感じても、当人にとっては幸せなのかもしれませんね。ずいぶん昔に亡くなったお兄さんと再会して、幼時の楽しい日々を再び生きているのだと思えば、むしろ祝福するぐらいが良いのかもしれません。
苦痛らしい苦痛もなく息をひきとったのも幸いでした。
(ひとまず)完結のご挨拶への応援コメント
コメント遅くなりましたが、完結おめでとうございます!
普段触れることのない漢詩、短歌、俳句に接する事ができて、とても楽しかったです。
いつの日か、続編が始まったりするかも、と密かに期待を(^^)
新作にもお邪魔させていただきます!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
思い立ってさあやるぞ、としないと、なかなか詩に接することはないですよね。お楽しみいただけて、幸いです。続編は、気長~にお待ちいただければ(^^)
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
25 俳句(冬)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
この句は上から下への視点の移動がおもしろいなあと思いました。
「木枯らし」は「風」、あるいは漢字から「木々」を思い浮かべます。もうほとんど落葉してしまった寒々しい木々の間を冷たい風が吹き抜け、わずかに残った枯れ葉を吹き落とす。
「落葉さはぐ」の「落」で落葉していく様子が思い浮かび、それは足元の落ち葉と一緒になってカサカサと渦を巻く。
落ち葉の踊りを気にすることもなく「急ぎ足」は気ぜわしく路面を去っていく。
なんだかドラマのオープニングのようでもありますね。急ぎ足で去っていった人はどこに行ったのかな? そこで何が待っているのかな?
作者からの返信
応援ありがとうございます!
木々の間を吹き抜けた風が次には足元の落葉を動かす、、動きのある情景を思い浮かべていただいたんですね。上から下への視点の移動、それに時間も幅をもって移動していきました。一瞬を切り取る写真ではなく、数秒と短いながらも動画になっているんだなあ、、と妙に感心しました。
さて、去って行った人はどこへ行ったのか、あるいは帰ったのか、、動画の先にも思いを馳せる余韻が残っていればいいなと思います。
24 自由詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
真夜中に月光で目覚めるってとても美しいイメージですが、意外とよくありますね。真夜中に出ている月は満月近いですから、本当に明るくって、しかも美しくって、一発で目が覚めちゃいます。詩を作りたくなるのもわかります。
しっかりと目覚めているようで、その実、月明かりに惑わされていて、妙に鋭敏な感覚と、どこかかしいだ精神で、記憶に残らない詩をよむ。……本当はどんな詩だったのか、興味がつのります。
「 どこか耳になつかしく、
なぜかなつかしく、
だれかの鼓動と響きあうようでぼくらは
立ちどまることができない 」
この語調が心地よくて好きです。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
真夜中の満月に目覚めることが、たまにあります。月明りって、思っているより明るいんですよね。
記憶の向こうっかわの詩、、、どんなのだったんでしょうね(^^)
「どこか耳になつかしく、」からの流れは、語調を意識しました。読みとっていただいて、うれしいです。
定型詩でなくてもリズムはあるし、その心地よさというのは詩にとって大事な要素なのだと思います。
23 短歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
オノマトペがぴったりはまった作品に「うおっ、やられた!」って思うこと、ありますね~。特売日とはいえ、おいしいものを大なべ一杯に作ることができて、子供たちも食欲旺盛で、みんなにこにこ。ほっかほかの家庭のようすが目に浮かびます。
ただ、ときに、「これってみんな同じ感覚を共有できてるのかしら」と不安になることもあります。同じ感覚を共有するのって、似たような体験をしていないとまず無理ですよね。オノマトペの成立は繊細な条件に依存しているんだろうなと思いました。
肉ごろりん、子らがぺろりん、作、久里琳……なんて思っていたら、一年前にすでにご指摘なさっていた方がいらっしゃいましたね、ふふふ (^^)
作者からの返信
応援ありがとうございます!
たしかにオノマトペは、うまく共感できると効果抜群ですが、えっそこにそれ?なんて風に違和感をもってしまうとぶち壊しになってしまう恐さがありますよね。だからといって安全な道をとって誰もが納得の常套句みたいに使うのもつまらないし。。ほんとうに繊細だなあと思います。
作者名もくわえて「りん」の三連投! 自分では気づいていませんでした(^^)
これに味をしめて「りん」を多用したりしたら変なキャラが出来上がってしまいそうです…(^^)
22 俳句(秋)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
ああ、これは、読んだとたん、にやりとしてしまいました。
衣替えは少なくとも年二回(いや、多くのかたは四回するのかしら?)機会がありますが、夏服を出すときと冬服を準備するときとで、「なつかしの服」を見つけたときのイメージが大きく変わりますね。
「冬支度」だと、「あら、懐かしいものが……はい、また数年後に会いましょうね」となりそうですが、これが「夏支度」であったなら(そもそも夏に支度という言葉、あんまり合いませんね)、「あら、懐かしいものが……ちょっと、まだいけるんじゃね?」あるいは「思い切って捨てちゃおうか!」という奮起を感じそうです。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
おなじ衣替えでも夏と冬とで受けるイメージが異なる、、たしかにそうですね。冬には備えるのに対し、夏はむしろ備えをゆるめるような意識で、だから「支度」という言葉が合わないんだろうなと思いました。
「まだいけるんじゃね?」、、いいですね(^^) このあたりも、心がどことなく浮き立つ夏だからこそ、なのかもしれませんね。
21 漢詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
太公望さんですね。あ、太公望は川か。
細く長い竿で天をさしつつ糸を垂れ、ひたすらひとり座り続ける釣り人の背中が見えます。
絲竹ということば、初めて知りましたが、たしかに釣り糸と釣り竿に例えるのにちょうどよい構成ですね。弓も同様にたとえられるのかな。理詰めで遊ぶのもおもしろいです。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
中国で釣りといえばまず太公望ですね。でもたしかに川(^^) 古代中国の都はたいてい海から遠いので、海を身近に感じる人はいなかったのかもしれません。
ともかくのんびり釣りを楽しむのは中国も日本もたぶんおんなじですね。
弓も音楽とつながりが深いですね。弦楽器の源は武器の弓だったんじゃないかなと想像しています。(裏はとっていませんが)
仰る通り、理詰めの言葉遊びもおもしろいですよね。漢詩にはそんなのが多いという印象です。
19 俳句(秋)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
ああこれは……「満艦飾」を中心に、句全体でにぎにぎしさを体現していますね。ひらがながみっつしかないし。
先に「秋」の句だと知らされていたので、海峡を津軽海峡あたりでイメージしていました。貧相な想像力です。春って言われたら、鳴門海峡を思い浮かべていたかもしれません(笑)。
久里 琳さまの漱石論、どこかでじっくりお聞きしてみたいものです。もしかして、すでにエッセイでお書きになっていたりしますか?
作者からの返信
応援ありがとうございます!
漢字だらけだと、見た目が窮屈になりますよね。そんなところにもにぎにぎしさを感じられるとは、さすがです。
海峡によっても季節感が違う、、たしかに(^^) 私は津軽海峡は「冬」と感じますが、人によっても違うのがまたおもしろいですね。
漱石論は、、そんなご期待されるほどのものは書けなさそう、、と思いますが、またどこかでそんなお話もできるといいなと思います。(今のところ、書いていません・・)
17 短歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
みごとに句頭が「ア」音で統一されていますね。語調が良くて、里の趣ある春秋の光景を思い浮かべつつ、とんとんと読み進め、最後「ん? 帰らじ?」と意味深な表現に首をひねるという、興味深い一句だと感じました。いろんな理由がありますね、帰らじの里。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
名に「歌」のつく短歌に限らず、詩は歌に通ずるんだろうと思います。歌だからやっぱり音の響きを意識しますよね。ここでは同じ音でたたみかけるのを意識しました。語調が良いとのお言葉、うれしいです。
「帰らじ」は意味深ですよね(^^) あえて限定はしませんので、裏になにがあるのかご想像を広げていただければと思います。
16 俳句(秋)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
自分だけなのかもですが、ラ行に目が行きがちです。俳句の十七文字のなかに「る」がふたつあると、そこが呼応しているように感じます。「流る」と「ぐる」でぐるぐると渦巻いて流れるようなイメージにもつながってきます。もくもく、ぐるぐる。本当に恣意的ですみませんが……。
不穏な、どこかうずうずして落ち着かない気持ちを思い出させる句ですね。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
ラ行が気になられるのですね。
上代の日本語ではラ行ではじまる言葉はなかったらしいですね。といっても中国からたくさんラ行始まりの言葉が入って久しいので、そんな昔のことは関係なさそうですが。
あと西洋のLとRがともに日本ではラ行に発音されがちですが、西洋人からしたらちょっと理解しがたいのかもしれませんね。LもRも、ラ行ではない発音になることもよくありますし。
学者ではないので的外れな感想かもしれませんが、ラ行は特殊な音なのかもしれないなあ、、と思いました。
15 漢詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
感情が言葉に現れるだけでなく、言葉が感情や気質を作り出すこともあると思います。漢詩を楽しむ人は、和歌とまた異なる端正で理知的な世界に影響を受けていくのだろうな、と妄想しました。七言に形がきっちりとおさまり、方形に整えられた詩を見ると、まずその美しさにぞくっとします。
味わい方はまだまだ分からないのが正直なところですが、三句目の音が好きです。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
言葉から感情や気質が生まれる、、そうですよね。優れた言葉からも生まれるし、受け取り手の感性からも生まれるのだと思います。
漢詩の愉しみがどこにあるかというと私もなにか言えるほどの造詣はないのですが、、ひとつ、理屈っぽい! というのはあると思います(^^) よく言うと、端正で理知的ということですね。
仰る通り、これがはまると美しいんですよね。
佐藤さんは三句目がお好きなんですね。これも人によりそれぞれの感じ方ができるのがおもしろいと思います。
14 短歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
おお、甘い歌ですね。
ためいきに含まれる二酸化炭素とラムネの炭酸が掛詞、とかいらないことを考えてしまいましたが、それはさておき、「ためいき」と「甘い」は相性がよいのだろうと感じました。
たしかに、がっかりした時や、イラっとした時につくためいきも多いですが、切ない思いを吐露するためいきも、また、ためいきを構成する大きなイメージのひとつですね。
「甘い」とはいえ、ラムネの酸味とかすかな刺激(=痛み)をともなう「甘さ」。ため息にぴったりだと思いました。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
ため息がとける空にも、ラムネにも二酸化炭素が、、そんな連想をしていただけることで、歌の世界がひろがっていくんですね。
せつない思いを吐露するためいき、、甘いは甘いけれどそれだけじゃない。ラムネの甘さのなかには痛みも酸味もある、、そこがまさに、せつないため息と通ずるところですね。
13 自由詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
白秋の詩を彷彿とさせますね。
自由詩だと「自由」が多すぎて、読み手自身の経験やメージ力、思考能力をより多く要求するような気がします。自分の内面が詩に投影されがちで、キャーって気恥ずかしくなってしまうところがあります。
現在形と過去形については、外国語を読んでいるとまざまざと感じさせられる問題です。日本語の現在形って、呪文堂さまがご指摘になっているように、「意思」か「近未来」であって、現在起きていることではないニュアンスがしばしばあります。なんでこれを現在形って呼ぶのだろう、と思わされますね。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
白秋のような巨人を思い浮かべていただいて、光栄です。
たしかに自由詩は、読み方次第でいくらでも豊かにひろがっていきますね。自分の内面が投影されて気恥ずかしい、、というのもその通りで、つくったあと「これは封印!」と決めてしまうことも。。。
仰る通り、日本語の現在形は必ずしも現在を示すわけじゃないんですよね。それに対して欧州語は総じて時制がしっかりしているので、普通に過去形が延々続いたりしますね。文章の最後に来ないから気にならない、というのもあるかもしれません。
12 俳句(秋)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
「曼殊沙華」という字面の華やかさに、もう有無を言わさずあの赤い花を思い浮かべるのですが、実際は白色種が多い地域もあるのですよね。赤を思い浮かべるか、白を思い浮かべるかで、また味わいが全然変わるなあと思いました。
私も家族・親戚・知人を多く見送りました。読み手の経験によって感ずるものが大きく異なる一句だと感じます。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
私もまっさきにあの赤い花を思い浮かべますが、たしかに白い花もありますね。白だと毒っぽい激情がなくなって、厳粛な悲しみがあらわれるような気がします。
見送った人たちの具体的な顔や思い出が浮かぶと、また感じ方も異なりますね。
11 短歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
ここまで拝読させていただいてきた中(まだたったの11話ですが……)では、久里 琳の御作のうち、短歌が一番好みです!
上の句で、初句、二句、三句がそれぞれ [oe][ue][oe]で終わっているのが心地よいリズムですね。
私はつい語調ばかりに目がいきがちなので、今回は詩情にもひたるぞ~と思ったのですが、「どうぞ罰を」で、もう、スイーツを前にした殺し屋さんのことしか思い浮かばなくなって……無理でした。すみません(苦笑)、
作者からの返信
応援ありがとうございます!
お気に入りくださって、うれしいです。
今回も音のリズムに気づかれましたね。似た音を積み重ねてリズムをつくっていくのは、単調になってしまうリスクもありますが、うまくいくとその単調ささえもが心地よく響くような気がします。
スイーツを前にして指先をふるえさせる殺し屋、、、頭を垂れて罰を受けそうですね(^^)
10 自由詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
老船と秋の一日、恍惚の幻、戦い……漁港に係留されている船のすがたを思い浮かべると同時に、まだ人生の闘いは終わっとらんと、縁側で痛む膝をさすりながらつぶやく老人に思いをはせたりしました。星都ハナスさまもお書きになっていますが、やっぱり人と重ねてしまいます。
高度経済成長をモーレツ社員として働きどおし、引退した後も、夢に見るのは在りし日のことばかり。息巻くおじいちゃんにおばあちゃんが、戦うばかりが人生じゃなかろうに、と笑って声をかけたりして……すみません、脱線していますね (^^;)
いろんな心象風景によりそう詩だと感じました。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
老船を描いた姿に、まだ闘志ののこる老人を重ねていただいたんですね。
その妄執を、哀れと感じるか滑稽と見るか、人によりさまざまな受け止め方がありそうです。また、いろんな感じ方をしていただくことで、詩は作者の軛をはなれて広がっていくんだなあと思いました。
縁側の老夫婦、このさきも豊かな日々を過ごしてほしいですね。
9 漢詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
夏山賛歌ですね。登山がお好きなのですね (^^)
「春のパステルカラーの、やさしい自然もいいですが、夏の原色の、猛々しい自然にも強く惹かれてしまうのです」
私も圧倒されるような夏の緑が好きです。春はどちらかというと黄色(黄緑)、緑といえば夏というイメージがあります。その緑を引き出すのに、「嫩葉」はやや柔らかすぎないかしら、とちょっと気になりました。
もしも起句が春、承句が夏を描いているのでしたら、私の理解不足ですので、上記コメントは無視してくださいね。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
登山はじつは、去年はじめたばかりなのですが、、のんびり近場で楽しんでいます。
圧倒されるような夏の緑、いいですよね。夏の山ではそんな緑とそこらじゅうで会えます。それこそ脅かされるぐらい。
言われてみれば、「嫩葉」を夏の情景にもってくるのは不用意でしたね。季節を決めずにつくり始めたので、さいしょは気にならなかったのですが、、荒々しい緑のイメージとは合わない言葉をそのまま置いてしまっていました。
8 俳句(夏)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
「芭蕉の評価についてまわる「侘び寂び」ってなんなのか、語るほどの造詣は私にはありませんが、短歌がのびのびと雅びなのと比べると、まったく別物なのは分かる」
ふふふ、「侘び寂び」と「のびのび」・「雅び」、「び」でそろえるなんてなかなかできない芸当かと。さすがですね。こういう文章を見るとついにやっとしてしまいます。
富士山って山門があるのですね。「とざんどう」と「とざんみち」、前者は普段馴染みのあることばであることに加え、「おー」の音ですんなり淡々と登山が進んでいく、あるいは修行僧のように従容として苦行につくイメージが思い浮かびます。後者は「み」で一度口を閉じ、ひと手間かけて発音すること、しかも口を緊張させる「い」音のためか、これから続く道の険しさが強調される気がします。どっちもありかなあ。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
「び」でそろえる、こんなところにまで目を留めてくださって、ありがとうございます。こうやって言葉遊びをしてしまうのも、散文・韻文にかかわらず愉しいですよね。
紛らわしい文章でごめんなさい。山門は、別の山の情景でした。富士山も下の方から登ればどこかにあるかもしれませんが、五合目からだとないですね。
「とざんどう」と「とざんみち」。音の響きとそこから想像する光景がそれぞれ違って、どっちもありだなあ、、と私も思います。
7 短歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
なるほど、今回は若者の心情の歌ですね。にやり、としてしまいました。若いなあって(いけませんね、おばちゃんはすぐに茶化してしまう)。二句、三句にまたがる箇所が歌のイメージの中心になって迫ってくる感じですね。
刺激に過敏で、針の落ちる音も雷のように感じてしまう、あの年代独特の張りつめた雰囲気を思い起こさせます。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
若いなあ、、ですね(^^) 前が見えてなかったり変な方向へ突っ走ってってしまったり、、そんなのも含めてきらきらしている時代なんだと思います。
針の落ちる音も雷のよう、そんな過敏な時期でもありましたね。
6 俳句(夏)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
俳句そのものを味わうというのも、もちろん味わい方のひとつなのだと思いますが、私は詞書があるのが好きで、この句が出来上がるまでの経緯や思いが先に説明されるのは嬉しいです。
「よ」ではじまり「よ」で終わるのですね。輪廻を想像させます。夜、遠い浜辺で打ち上げられている花火が見える。私はその喧騒すら届かない暗い浜辺で波の音を聞きながらほの白い貝殻を拾っている、そんなイメージがわきました。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
先に詞書があるのが伝統的なスタイルなのかもしれませんね。どんな物語があって詩が生まれたのかを知ると、詩の世界が広がるような気がします。
「よ」から「よ」、、図らずも言葉の輪がとじるような形になったのを拾ってくださって、うれしいです。そこから輪廻を思い浮かべられるのは鋭敏な感性ですね!
5 長歌(+反歌)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
長歌! いやもうびっくりです。長歌、うん、聞いたことはあります。でもまず、どんな形式だったか調べないと実態が分からないレベルです(調べました、思い出しました)。
えええ、これで不出来なのですか? 朗読すると五七調(でいいのでしょうか)に加え「の」の繰り返しがとても心地よいリズム感となっていますね。また枕詞でとんとんとんと語が引っ張り出されていくのも気持ちよいです。思わず笑みがこぼれてしまう、素敵な歌だなあと思いました。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
長歌、、そういえばむかし学校で習ったかも?という感じですよね(^^)
心地よいとのご評価、うれしいです。「の」の繰り返しや枕詞で語を引っ張り出すのは長歌らしさかなあと思って意識しました。
そのぶん初心者っぽい「がんばってつくって見ました!感」が出てるような、、と気になっているのですが、素敵な歌とのお言葉でちょっと自信が持てました。ありがとうございます!
4 自由詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
「整合性だとか、論理的だとか、世界の構造だとか。そんなものを、詩だと忘れていられる」
なるほど! 自由詩を作る醍醐味って、そうとらえればよいのですね。確かに、物語を実際に書いてみて、ストーリーが必要であるということの縛りの大きさを思い知らされると、上記の魅力がわかります。
一方、読み手として、どう味わうべきなのかはまた別問題ですね。「すべき」なんてものはないと言われそうですが、霧の中にいると、やっぱり手がかりってほしくなるんですよね。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
散文でも詩でも、実際に書いてみてわかることってありますよね。詩ではストーリーをつくらないのに、言葉をつらねると勝手にストーリーがひろがっていくのもおもしろさだと思います。
どう味わうか、、私は言葉と、なにも考えずにどう心に響くかを娯しんでいるような気がしますが、、本当に人それぞれなんでしょうね。
詩を読み詩を愛する人はそれだけで詩人だ、、とだれかが言ってたのを思い出しました。
24 自由詩への応援コメント
細い月の寒空の下、自分だけがぽつねんと置いていかれてしまったような淋しさと、唯一人世界と語れるような悦び。そのような夜に詩を得ることができたなら、素敵ですね。
湧き出す言葉。あまりにしっくりと、最初からそこにあったように明確なのに。気づくと靄のように消えている。あれは、不思議ですね。自分は所詮自分の一部でしかないと思い知らされる一幕です。
素敵な詩をありがとうございました!
作者からの返信
こちらにもお立ち寄りいただき、ありがとうございます!
淋しさとともに、唯一人世界と語れる悦び。あらためて言われてみると、世界を独占しながら詩が降りてくるって、すごい体験ですね。
そうなんです。湧き出るように詩が生成されるんですよね。そしてまた消えていく。。詩が残らなかったとしても、それはそれで素敵な時間なのかもしれませんね。
3 漢詩への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
俳句、短歌ときたら次は漢詩……え、そう来ますか? いやいや、皆さまおっしゃっているように、もう「すごい」としか言えないです。
漢詩は、日本語読み下しではたぶんこう読むんだろう程度しかわからず、その味わい方もよくわかっていません。
そもそも、韻を楽しむなら中国語の発音を知らないとできないですよね? 日本人が漢詩を楽しむには、どうすべきなのでしょう? 音の楽しさはちょっと置いておいて、読み下しのリズムと詩の世界を楽しんだらよいのでしょうか?
全然応援コメントじゃなくて質問になってしまいました。すみません。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
私も漢詩の味わい方や音韻をわかっているわけではありませんが、いくつも読んでいるうちに、あ、これ好きとかうわあ深いっ、とか思うようになってきました。平仄はちょっとハードルが高いですが、韻はわりと普通に音読みしていたらそう外さないです。(たまにあれっ?と思うのもあります)
あと日本人だけの娯しみ方かもしれませんが、読み下し文もなんだか名文を読んでるように思えるときがありますね。
2 短歌への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
最初の歌、句の頭に「あ音」が多いのが、リズム感を生み出すのと同時に明るい感じを生み出しているように思います。
またその中にぽつりと混じる「い音」、数少ないからこそ、配置の妙が際立ちますね「あじさゐのいろ」と「ゐ」に導かれて四句の頭の「い」がさっそうと現れるように感じました。
二つ目の歌、なぜでしょう、最初読んだとき、夏の海辺の真っ暗な夜空が思い浮かびました。「恋」と「呪い」も「oi」で呼応するのですね。恋と呪いは相性が良いのか?!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
言葉の明るさについては私は意識が足りませんでした。言われてみれば、口を開放する「あ音」は明るい印象を与えるのかもしれませんね。
五・七だけに頼るのではなく、言葉の音や流れでもリズム感は出したいところで、特に上の歌では意識したので、そこを感じていただけたのであれば、うれしいです。
下の歌は、青空さえまっくらに感じてしまう心情を歌っているので、夜空が思い浮かばれたのであれば、歌にしっかりシンクロいただいたのだと思います(^^) 恋と呪い、、けっこう相性が良さそうですね。。
1 俳句(夏)への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
詩歌には本当に暗いのですが、最近少しずつ興味が出てきたので、こちらにもお邪魔させていただきます。
三つの俳句、漢字かな交じりで書かれた場合と、ひらがなのみで書かれた場合とで、ぜんぜん見た目の雰囲気が違うな、とまず思いました。特に前者、それのみを見ていた時には気づかなかった雰囲気が、ひらがなのみで書かれた後者のリズム感を楽しんだ後に振り返ると、ぱあっと感じられてきました。美しい俳句だと思います。表意文字って偉大ですね。
作者からの返信
こちらにもお越しいただき、ありがとうございます!
私も最初は散文だけで、詩歌には縁が薄いと考えていたのですが、つくってみると思った以上に面白くなりました。佐藤さんも興味が出てこられたとのこと、いずれ作品を拝見するのを楽しみにしています。
ひらがなだと純粋に音とリズムが楽しめる一方、漢字が入ると頭と目で意味のひろがりが楽しめるのがいいですよね。本当に、表意文字は偉大だと思います。
19 俳句(秋)への応援コメント
秋刀魚が食べたくなりました!
久里琳様の前で「漱石先生が好き!」なんて恥ずかしくって言えません(←言ってますね、恥さらしなんです)が、漱石先生と正岡子規の往復書簡、あれは魅力的ですね!(いや、まだぺらぺらめくっているだけなんですがっ)
『草枕』が好きで、こちらもぺらぺら捲るだけなんですが、たしかに俳句で。絵描きのくせに絵を描かずに俳句を捻ろうと頭掻いてますよね!
俳句という、極限まで削るがゆえに立ち上がってくる、世界と観察者たる自分との繋がり。則天去私ってここにヒントがあったりするの?なんてもういつだって解らずにぐるぐるしてます。学びたくっ
ご指導、宜しくお願い致しますっ!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
ちょうど秋刀魚の美味しい季節ですね。あの匂いを思い出すだけでよだれが。。漱石先生も舌鼓を打たれたんでしょうね。
正岡子規とのやりとりも、味がありますよね。作品の中でも互いの名があがることがあって、おおっと思いながら読んでいます。
『草枕』、たしかに俳句ですよね。文章のなかに俳句らしさを見つけると、うれしくなります。観察者であり、演者でもある。読むたびに、漱石の思想と人となりが立ち上がってくるような心地がして、それが読む愉しみにつながるんだと思います。
編集済
(ひとまず)完結のご挨拶への応援コメント
久里様、こんにちは😊
(ひとまず)完結おめでとうございます💐
そしてお疲れ様です。
俳句、短歌、詩、その他諸々、色々なことに挑戦されて素晴らしいと思います。
私自身も勉強になることがいっぱいありました。
また、いつか新たな形でお会いできる日を楽しみにしてます(^^♪
作者からの返信
応援ありがとうございます!
詩や歌をつくるのは、発見が多くて楽しい挑戦でした。この美さんにも得るものが何かしらあったのであれば幸いです。
ここまでお付き合いくださって、ありがとうございました! またほかの場でも、よろしくお願いします!
(ひとまず)完結のご挨拶への応援コメント
連載お疲れ様でした!
様々な習作を拝読できて、さらに丁寧な解説のおかげで知らなかった形式や決まり事など、色々と勉強になりました。
もちろん形式にとらわれない自由な発想も素晴らしいと思います。
久里さんのこだわりや本音なども垣間見えて、とても楽しい作品でした✨
作者からの返信
応援ありがとうございます!
この連載で、すこしでも得るものがあったのでしたら幸いです。
千数百年も前から日本で愛されてきた歌や、さらにそれより前につくられた漢詩など、積み重ねられた伝統はさすがに偉大だなあと思いますね。それらに学んで、また新しいものをつくることができればいいなと思います。
一年間お付き合いいただいて、ありがとうございました!
(ひとまず)完結のご挨拶への応援コメント
連載のかたちでの詩・歌・句を、毎回本当に楽しませていただきました。私自身、昨年に初めての短歌には挑戦しましたが、その他のものは未知の領域で、さまざまな分野に精力的に挑まれている久里さんの姿勢と言葉選びに、いつも刺激をいただいておりました。
これからも、久里さんの他の作品を、楽しく読ませていただきます。素晴らしい作品たちを公開してくださり、ありがとうございました!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
詩や歌は、散文とはまた違ったおもしろさ、むずかしさがあって、奥深いですね。さまざまなスタイルに挑んで、未熟なところもあったと思いますが、刺激と楽しみになっていたのであれば光栄です。
散文の方もまた進化させられればと思います。一年にわたってお付き合いいただき、ありがとうございました!
(ひとまず)完結のご挨拶への応援コメント
いろんなタイプの詩歌に挑戦されていて感心しかありませんでした。お疲れさまでした。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
この一年、思った以上に楽しく詩歌に取り組めました。これが文章にも活きてくればいいなと思います。
挑戦にお付き合いいただいて、ありがとうございました!
(ひとまず)完結のご挨拶への応援コメント
完結お疲れ様でした。一年間楽しみに読ませていただきました。
毎回、「へー」と思うことばかりでした。今後も詩作は続けられるということで、安心しました。スポットの詩も楽しみにしています!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
楽しみにしてくださっていたとのこと、うれしいです。私もつくりながら調べて「へー」と思う発見がたくさんありました。
スポットで掲載する際にはまたお越しいただければ幸いです。
☆もいただいて、ありがとうございました!
(ひとまず)完結のご挨拶への応援コメント
週末になると久里さんの詩が出る、というのが生活の中に入っていました。今回はどんなスタイルかな、と思いながら開くのが楽しみでした。1週間に1度、(他の作品を書きながらも含めて) の連載はなかなかの熱量が要りますね。でもいつも質の高い歌で、久里さんの感性と知識は刺激になりました。
また読める機会を楽しみにしています。まずは完結おめでとうございます!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
週末の掲載を楽しみにしてくださっていたとのこと、うれしいです。さまざまなスタイルに挑戦するのは、私自身の楽しみでもありました。
私も、柊さんの文章をはじめ、カクヨムのいろんな方の文章に刺激を受けていますが、私の歌も刺激になっていたのであれば光栄です。
またいつか、新作を掲載したときにはお立ち寄りいただければ幸いです。ありがとうございました!
(ひとまず)完結のご挨拶への応援コメント
私が作る詩は短歌オンリーですが、様々な詩型に取り組む九里琳様の姿勢は素晴らしいなと思いました。色々と勉強させていただきました。
私も向上心、好奇心を持って言葉に取り組んで行きたいですね!
作者からの返信
応援ありがとうございます! ☆もいただいて、ありがとうございました!
詩の型にも相性がありますよね。特に道を極めようとするなら、どれか一つに絞るのが良いのだと思います。
私の場合は入口付近をいろいろ覗いていってるような感じですね。それはそれで楽しいです。
rainyさんがまた新作を出されるのも楽しみにしています!
(ひとまず)完結のご挨拶への応援コメント
夏に始まり夏に終わるのですね。
一年間お疲れ様でございました。
久里様の上品で穏やかな世界を堪能いたしました。
特に漢詩は勉強になりました。正直難しかったです。
詩、短歌、俳句って楽しいですよね。
日本人の遺伝子に合ってるので(勝手に思ってます)時々作りたくなりますね。
また、掲載されることお待ちしております。
(ひとまず)の完結おめでとうございます。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
じつは始めた頃から、一年ぐらいにしようと考えていましたので、今が頃合いかなと。
堪能いただけて、うれしいです。漢詩はやっぱり壁が高いですよね。。すこしでも近づく機会になりましたら幸いです。
日本人の遺伝子に合っている、まさにそうだと思います。短歌・俳句コンテストにたくさん応募があったのも頷けますね。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
(ひとまず)完結のご挨拶への応援コメント
完結お疲れ様です!
詩作を嗜むという御作、短い中で表現するという奥深さがありました。
これまでに触れてこなかった分野なので、良し悪しも分からずにただ楽しむだけでしたが(笑)
作者からの返信
応援ありがとうございます!
ふだんなかなか触れることのない世界ですよね。限られた文字数で表現するのは、何を言って何を言わないかや、どう言うかを考える機会になりました。
なにが正解かはいまだによくわかりませんね。。楽しんでいただけて、良かったです。ありがとうございました!
59 俳句(夏)への応援コメント
说起日本的季词,那么不得不提相对应的中国农历。农历一月,二月,三月是春季。四月,五月,六月是夏季。七月,八月,九月是秋季。十月,十一月,十二月是冬季。
在日本但是随着公历的使用,中国农历不再使用。致使很多传统节日的时间发生混乱。这也导致了季词使用上会有一些偏差。
例如,七夕节。最初七夕节是中国农历的七月七日。这个时段正是初秋。如果按照公历七月七日来算的话,是中国农历的五月或六月。那么就是夏季了。
日本の季語といえば、対応する中国の旧暦を挙げなければならない。旧暦の1月、2月、3月は春です。四月、五月、六月は夏です。7月、8月、9月は秋です。10月、11月、12月は冬です。
日本では西暦の使用に伴い、中国の旧暦は使用されなくなった。多くの伝統的な祝日の時間を混乱させた。これも季語の使用に少しずれが生じる原因となっている。
例えば、七夕の日。最初の七夕は中国の旧暦の7月7日です。この時期はちょうど初秋だ。西暦7月7日で計算すると、中国の旧暦の5月か6月になります。それでは夏ですね。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
日本でも、19世紀半ばに西歴(新暦)を導入するまでは、旧暦で月日を数えていました。仰る通り、この違いが、西暦で生きる現代日本人にときどき違和感を与えています。
例えば西暦の1月1日の挨拶で、極寒なのに「迎春」「新春」と書くのもそうですね。
古典を読む際は、その季節感のズレに注意を払うべきですが、多くの日本人は忘れがちです。季節感を大事にする俳句の季語において、その違和感は最も大きくなってしまいますね。
58 長歌への応援コメント
とても切ない詩ですね!
山上億良の貧窮問答歌とアンデルセンの世界が合わさったような世界に感じました。
外国の叙事詩は長歌形式で翻訳されている事が多いですね。昔は物語は竪琴や琵琶なんかの伴奏と共に語られていたのでしょうから、物語と詩は不可分だったのでしょう。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
やっぱり長歌となると、貧窮問答歌は頭のどこかにあったような気がします。
叙事詩の翻訳は長歌形式、、言われてみれば、そうですね。それだけ日本人にはそれが合うってことなんでしょうね。
音楽とともにあったのが要因、というのもそうですね。マルが歌ってくれると、より魅力的になるんだろうなあ、と思いました。
33 漢詩への応援コメント
素はしろと読むのですね!
玄はたしか「糸を染めた色」、でしたか?(遥か昔に読んだ字統にそんなことが書いてあったような…)だとしたら見事な対ですね!
素を「す」と読むは音読である、これに感銘を受ける久里琳先生こそを、僕は本気で尊敬しますっ!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
玄はたしか「染めた糸」ぐらいの意味だったと思うので呪文堂さんのご理解とほぼ同じですね。そして素も玄も字形のなかに「糸」を有っていて、実に宿命的な対ですね。
漢字習得以前からあった日本固有の言葉だと思っていたら違った…!というのがたまにあって、知るほど言葉はおもしろいと思いますね(^^)