说起日本的季词,那么不得不提相对应的中国农历。农历一月,二月,三月是春季。四月,五月,六月是夏季。七月,八月,九月是秋季。十月,十一月,十二月是冬季。
在日本但是随着公历的使用,中国农历不再使用。致使很多传统节日的时间发生混乱。这也导致了季词使用上会有一些偏差。
例如,七夕节。最初七夕节是中国农历的七月七日。这个时段正是初秋。如果按照公历七月七日来算的话,是中国农历的五月或六月。那么就是夏季了。
日本の季語といえば、対応する中国の旧暦を挙げなければならない。旧暦の1月、2月、3月は春です。四月、五月、六月は夏です。7月、8月、9月は秋です。10月、11月、12月は冬です。
日本では西暦の使用に伴い、中国の旧暦は使用されなくなった。多くの伝統的な祝日の時間を混乱させた。これも季語の使用に少しずれが生じる原因となっている。
例えば、七夕の日。最初の七夕は中国の旧暦の7月7日です。この時期はちょうど初秋だ。西暦7月7日で計算すると、中国の旧暦の5月か6月になります。それでは夏ですね。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
日本でも、19世紀半ばに西歴(新暦)を導入するまでは、旧暦で月日を数えていました。仰る通り、この違いが、西暦で生きる現代日本人にときどき違和感を与えています。
例えば西暦の1月1日の挨拶で、極寒なのに「迎春」「新春」と書くのもそうですね。
古典を読む際は、その季節感のズレに注意を払うべきですが、多くの日本人は忘れがちです。季節感を大事にする俳句の季語において、その違和感は最も大きくなってしまいますね。
久里 琳さま
こんにちは。
ああ、朝顔も秋の季語でしたか。七夕もそうですもんね(下記にご指摘ありましたね)。それでも、今や新暦八月にもやっぱり初秋のイメージはなく、いわゆる「秋」のイメージとのギャップに戸惑います。
「かけてく」は「こえをかける」と「駆ける」の掛詞でしょうか。近景に朝顔の花がいくつかぽんぽんと咲く鉢、遠景に麦わら帽子をかぶって楽しそうに大騒ぎしながら走っていく数人の子供たち、ついでに最近景にそれを微笑ましく見つめるお母さんが見えるようでした。
……あ、ここでなぜ「お母さん」なんだろう、「お父さん」でもいいはずなのに……。こういうふとしたイマジネーションって、実体験に大きく縛られるものなのだなあと実感した瞬間でした。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
旧暦の秋は、新暦に直すとだいたい8月から10月頃なので、1か月ほど早いんですよね。子供たちなら夏休みまっさかり。どうしてもギャップを感じてしまいますよね。
「声をかける」は考えていませんでしたが、、言われてみれば、たしかに! にぎやかな声が聞こえてきそうですね。情景がより色づきました。
私もお父さんよりはお母さんを思い浮かべます。「父なるもの」と「母なるもの」はそれぞれ別物でもとより優劣をつけるものではありませんが、より深い情を感じるのが「母」であることは、大部分の人に共通の感情であるように思いますね。