蛇足と称している部分、今後も続けて欲しいです。詩歌の中で文字となっていない部分は読み手に想像してもらうとはいえ、やはり詠み手が「どういう景色を見て、どういう心情で詠んだのか」というのは欲しいものです。
それを踏まえて、夕顔の句が好きです☆
夕方になり、猫が空き家にやってきた。ずっと住処にして誰にともなく「ただいま」と鳴いたのか、たまたま立ち寄って「居心地が良さそうだぞ」と一鳴きしたのか。想像が色々と膨らんできます。それでも、夕方の主人無き家と猫の存在という少し切なさを含んだ対比がブレてないなぁと感じます。夕顔の咲く姿が、猫を迎えているようにも想像できたりして面白いです (*´ω`*)
作者からの返信
お越しいただき、ありがとうございます!
蛇足部分OKと背中を押していただいて、ありがとうございます。そのお言葉に安心して、しばらく試行錯誤したいと思います。
夕顔の句を気に入ってくださったんですね。空き家と夕顔に、猫の組合せ。なんだか切なさを感じてしまうような。。。声から姿を想像するのも楽しいですよね。さまざまに想像を広げてくださって、作者としてはうれしい限りです!
私は短歌は作るのですが、俳句は私には難しく感じられ、手が出ません……。
薊をこんな風に捉えるのは斬新で面白いですね!
外国の方って(国にもよりますが)日本人に比べ詩歌が好きな人多いと思いませんか?
ずっと小説を書いてきた私が短歌を作ろうと思ったきっかけの一つは、外国の方と交流する機会があった事ですね。
作者からの返信
お越しいただき、ありがとうございます!
こう見ると、ちょっと薊がいじらしく思えてしまいますね。
短歌と俳句は、似てはいますが別物ですよね。自分でつくってみると、特にそう思います。相性もあるような気がしますね。(次回は短歌を載せる予定です)
言われてみれば、外国の方は詩歌が好きかもしれませんね。文学的な話をする機会はあまりなかったのですが、ふとした拍子に歌のようなフレーズが口に上ることがありました。
久里 琳さま
こんにちは。
詩歌には本当に暗いのですが、最近少しずつ興味が出てきたので、こちらにもお邪魔させていただきます。
三つの俳句、漢字かな交じりで書かれた場合と、ひらがなのみで書かれた場合とで、ぜんぜん見た目の雰囲気が違うな、とまず思いました。特に前者、それのみを見ていた時には気づかなかった雰囲気が、ひらがなのみで書かれた後者のリズム感を楽しんだ後に振り返ると、ぱあっと感じられてきました。美しい俳句だと思います。表意文字って偉大ですね。
作者からの返信
こちらにもお越しいただき、ありがとうございます!
私も最初は散文だけで、詩歌には縁が薄いと考えていたのですが、つくってみると思った以上に面白くなりました。佐藤さんも興味が出てこられたとのこと、いずれ作品を拝見するのを楽しみにしています。
ひらがなだと純粋に音とリズムが楽しめる一方、漢字が入ると頭と目で意味のひろがりが楽しめるのがいいですよね。本当に、表意文字は偉大だと思います。